アメリカで最も有名な日本人アスリートは誰か。現地でスタンダップコメディアンとして活躍するSaku Yanagawaさんは「数々の偉業を成し遂げたコバヤシではないか」という――。(第2回)

※本稿は、Saku Yanagawa『どうなってるの、アメリカ!』(大和書房)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Inside Creative House
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Inside Creative House

■最も有名なアジア人アスリートの名はコバヤシ

近年アメリカ国内でのアジア系の台頭が目覚ましい。

現在、大統領選を駆け抜けるカマラ・ハリスはアジア系。来年には史上初のアジア系米大統領が誕生するかもしれない。

国内の人口動態から見ても、現在アジア系の「存在感」が増しているのは明らかだ。2020年に行われた国勢調査によると、アメリカ全土でアジア系人口が占める割合は7.2%だった。この数字は2000年の3.6%、2010年の4.8%と比較しても、大きく増加していることがわかる。そしてこの伸び率は全人種の中で最も高い数値となっている。

今や、ほとんどのスポーツにもアジア系をルーツにもつスター選手が存在し、シーンを盛り上げている。

野球の大谷翔平はもちろんのこと、テニスの大坂なおみやスピード・スケートのアポロ・オーノ。バスケットボールでも八村塁やジェレミー・リン。ボクシング界のレジェンド、マニー・パッキャオ。そしてゴルフではタイガー・ウッズもアジア系だ。

そんな中、忘れてはいけないひとりの日本人レジェンド「アスリート」がいる。フード・ファイターのタケル・コバヤシ(小林尊)だ。

アメリカで10年以上暮らしてきたが、もっとも知名度のある日本人は「Kobayashi」であると言っても過言ではない。

■愛称は「ザ・ツナミ」

そもそも早食いや大食い競技を英語では「Competitive Eating(コンペティティブ・イーティング)」という。日本語では「フード・ファイト」と呼ぶが、「Food Fight」は食べ物を使っての喧嘩を意味するため、上記の語が用いられる。

コバヤシはそんな「コンペティティブ・イーティング」のシーンに、まさに彗星の如く登場した。毎年7月4日の独立記念日にニューヨークのコニーアイランドで開催されている「ネイサンズ・ホットドッグ早食い大会」。この大会では、時間内に誰がホットドッグを一番多く食べられるのかを競い合う。アメリカでは、全国的に独立記念日には、多くの人々がバーベキューを行うのが慣例だが、中でもホットドッグはもっとも一般的なメニューとして「アメリカらしさ」を体現してきた食べ物と言えよう。

そして本大会は、1916年に、そんなアメリカの「国民食」ホットドッグを誰が一番愛しているのかを競うために、移民4人を参加者にして始まった。

1970年代からは恒例化し、毎年会場には5万人の来場者が詰めかけ、その模様をスポーツ専門局のESPNが生中継するなど国民的行事に成長した。

2001年にデビューしたコバヤシは当時の世界記録の2倍を平らげるパフォーマンスでアメリカ人の度肝を抜いた。

すらっとした体型ながら、次々にホットドッグを飲み込んでいくその姿には「The Tsunami」の愛称がつき、ソーセージを割って食べる独特のパフォーマンスには、聖書のソロモン王の挿話から「ソロモン・メソッド」の名がつけられコバヤシの代名詞にもなった。

ネイサンズ・ホットドッグ食べ比べウォール・オブ・フェイム(写真=David Shankbone/CC-BY-2.5/Wikimedia Commons)

■早食いをスポーツにした

この大会から前人未到の6連覇を果たすと、実況アナウンサーは「The best athlete ever(史上最高のアスリート)」と呼んだ。

それまでレクリエーション要素の強かった大会に鮮烈に登場し、コンペティティブ・イーティングをエンタメのみならず、スポーツたらしめたコバヤシはまさにアメリカのスーパー・スターになった。「先駆者」でありながら「レジェンド」でもあるコバヤシに対して、同業者のみならず、多くの著名人がリスペクトを表明した。あのブルーノ・マーズも彼の大ファンであることを幾度となく公言している。

そして昨今、アメリカでは日本風「Izakaya」のブームが到来し、各地に店舗を増やしているが、多くの店でソーセージには「Kobayashi」という名前がつけられている。アメリカでは通常ソーセージはビーフかチキンが多く、ポーク・ソーセージは稀である。そのため、日本スタイルのポーク・ソーセージには、ソーセージを象徴するコバヤシの名前が与えられ、多くのアメリカ人がその意味をも理解しているというわけである。

写真=iStock.com/bhofack2
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そんなコバヤシもMLE(メジャー・リーグ・イーティング)との契約問題で2010年を最後にこの大会に出場していない。(半ば出入り禁止処分とも言われている)

そしてコバヤシに代わる存在として、シーンに登場したのがジョーイ・チェスナットだった。2007年から2023年まで16連覇を成し遂げる絶対王者で、数々の記録を打ち立てるまさに新・レジェンド。

■ネトフリが試合を配信

しかし、チェスナットは今年、ヴィーガン用の食品を扱う「インポッシブル・フーズ」と契約を結んだことにより、ネイサンズの大会から出入り禁止処分を受ける。

すると今年6月、そんな出入り禁止処分を受けた新旧レジェンドのために最高の舞台が用意されることが発表された。ネットフリックスがコバヤシとチェスナットのホットドッグ早食いの配信を発表したのだ。題して『CHESTNUT vs. KOBAYASHI: Unfinished Beef(邦題は『チェスナットvs.小林 究極のホットバトル』)』。

この場合の「Beef」は「牛」と「罵り合い」という意味がかけられている。レジェンド同士のライバル関係を示唆するこの刺激的でウィッティなタイトルの一戦が行われるのは、これまた「バーベキュー日和」の祝日、9月2日のレイバーデイ。

発表のあった6月、多くのスポーツ・ニュースはもちろん、一般のニュースでさえもがこの対戦を取り上げた。

ネットフリックスも大々的にプロモーションを行っており、事実上のコバヤシの引退試合に華をそえる姿勢を見せている。

数々の偉業を成し遂げ、シーンを作った「レジェンド」タケル・コバヤシ。アメリカの国民食を誰よりも平らげた日本人「アスリート」のラスト・ランにアメリカが注目している。(追記:ジョーイ・チェスナットが世界記録となる83本を平らげ、コバヤシの66本を上回り「史上最強」の称号と賞金10万ドルを手にした。)

■米の植民地主義を象徴する歌手

スポーツだけではなく、近年エンターテインメント・シーンでは、アジアの波がもはや見逃すことのできない現象として「可視化」されている。

数多のアーティストの中でも、2024年もっとも頻繁に耳にしたアジア系のミュージシャンこそブルーノ・マーズだった。

彼を「アジア系」と評することに首をかしげる読者もいるかもしれない。しかしラジオ局はこぞって「アジア系」のミュージシャンとしてブルーノ・マーズを紹介していた。

ブルーノ・マーズ(本名:ピーター・ジーン・ヘルナンデス)はプエルト・リコ系ユダヤ人の父とフィリピン人の母の間にハワイで生まれた出自を持つ。

24Kマジック・ワールド・ツアーでライブを行ったブルーノ・マーズ(写真=slgckgc/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

前述の大和田俊之著『アメリカ音楽の新しい地図』(筑摩書房、2021年)では、このブルーノ・マーズというポップスターを通して、アメリカの歴史を再考察している点で興味深い。

1893年、アメリカは西海岸の安全保障や捕鯨基地確保を目論み、ハワイ王朝を廃止させ、のちに併合した。さらには1898年にスペインと米西戦争を行い、旧スペイン領のプエルト・リコを保護国としカリブ海地域への影響力を強めると、太平洋でもフィリピンとグアムを領有した。

著書の中で大和田は言う。

「ブルックリン出身のプエルトリコ系ユダヤ人の父親とフィリピン出身の母親を持ち、ハワイで生まれ育ったブルーノ・マーズは、その意味で19世紀末のアメリカ帝国主義、とりわけその植民地主義の痕跡を文字通り体現する存在だと言えるのだ。」

■はじまりはエルヴィスのモノマネ

孤立主義を転換させ、植民地主義へと転じた19世紀末のアメリカの外交政策。ブルーノ・マーズという存在を、その「産物」と見る視点は合点がいく。

そして、そんなブルーノ・マーズが最初に脚光を浴びたのがエルヴィス・プレスリーのモノマネだったことは示唆にとむ。幼少期、エルヴィスの曲を完璧に歌いこなす少年として地元のテレビにも特集されている。

黒人由来のリズム&ブルースを白人として歌うことで、白人マーケットにクロスオーバーさせ「ロックンロールの王様」となったエルヴィス。しかし、それらが黒人文化の「搾取」だという批判的文脈も目にする。

その意味で、ブルーノ・マーズのキャリアが、大和田の言う「宗主国のアイコン」エルヴィスの模倣でスタートしている点はおもしろい。

ご存じの通り、その後のブルーノ・マーズの音楽性はより「黒く」展開していくことになる。とりわけ3作目のアルバム『24K Magic』ではR&B色を全面に押し出し、1990年代のニュージャック・スウィングの要素を盛り込み、グラミーでは最優秀アルバム賞を獲得している。

2021年にリリースされたアンダーソン・パーク(母が韓国出身)とのデュオ・シルクソニックでの『Leave The Door Open』でも意識的に1970年代のフィリー・ソウルを思わせる甘いボーカル・スタイルをある種パロディ要素を含めて表現している。

■名前の由来は火星

ちなみに「ブルーノ」という芸名は幼少期に似ていたプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノから。そしてデビューが決まりレーベルとの契約を交わす際、ヘルナンデスという苗字から、ラテン・ポップの歌い手として売り出されようとしたことに難色を示した本人が、「地球の範疇に収まらないMars(火星)」という意味を込めて「マーズ」と名乗った。

Saku Yanagawa『どうなってるの、アメリカ!』(大和書房)

近年の「黒い」音楽性に対して、カルチュラル・アプロプリエーション批判が向けられることも少なくないブルーノ・マーズ。しかし、そうした批判にこそ、ブルーノ・マーズの芸名に込められた「願い」とともに返答するのがフェアであろう。

アメリカの帝国主義の歴史を体現する存在の「アジア人」ブルーノ・マーズが真似る「白い」エルヴィスという存在。そして「アジア人」によって表現されるブラック・ミュージックとそれにまつわる批判的文脈。

アメリカという国がたどった搾取と侵略の歴史、そして混ざり合わさった文化と議論の先に存在するブルーノ・マーズという稀代のスター。

もはや地球という枠に収まりきらないという願いが込められたブルーノ・マーズというポップスターは、それでも「われわれアジア系の」ミュージシャンなのだ、と改めて感じ入る。

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サク・ヤナガワスタンダップコメディアン
1992年生まれ。大阪大学在学中に単身渡米し、シカゴの名門コメディ劇団「セカンド・シティ」でデビュー。現在はシカゴの複数のクラブにレギュラー出演するほか、全米各地でヘッドライナーとしても公演。 2021年フォーブス誌「世界を変える30歳以下の30人」に選出。2022年にはアメリカ中西部で最大のコメディ・フェスティバル”World Comedy Expo”のプロデューサー、芸術監督を務める。著書に『Get Up Stand Up! たたかうために立ち上がれ!』(産業編集センター)、『スタンダップコメディ入門 「笑い」で読み解くアメリカ文化史』(フィルムアート社)。
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(スタンダップコメディアン サク・ヤナガワ)