「孫の面倒は見ない」森昌子 山本舞香と結婚の三男・Hiroに告げていた「鬼母宣言」

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《これからはお互い家族として支え合い、如何なる困難にも立ち向かい、苦楽を共に生きていきたいと思っております》

10月13日、ロックバンド「MY FIRST STORY」のHiro(30)と女優の山本舞香(27)がそれぞれのインスタグラムで結婚を報告した。

「Hiroさんは森進一さん、森昌子さんの三男です。今年7月に山本さんとの同棲を『文春オンライン』で報じられ、Hiroさん本人が認めていました。結婚発表日は山本さんの27歳の誕生日とともに昌子さんの66歳の誕生日でもありました。嫁姑の“縁”を感じます」(音楽関係者)

山本の知人はこう語る。

「Hiroさんはライブがあると、舞香さんだけでなく、彼女の家族も招待していたそうです。かねて彼は『お互い、親に気に入られないと、どんなに相手を好きでも結婚はできない』と言っていて、人生の伴侶には“家族との相性のよさ”を求めていたと聞いています。Hiroさんもご両親には『とても気遣いできる女性』だと紹介していたそうです。彼女が初めて昌子さんと会ったときはメークを控えめにして、昌子さん好みの手土産を持参したといいます」

昌子は’19年の年末に、多くのファンから惜しまれつつ引退した。

「デビュー当時からお世話になった恩人であるイベント企画会社社長ががんで亡くなったことと、還暦を迎えたことが大きな原因だったと話していました。それに加え、都内のマンションで一緒に暮らしていた高齢のお母さまのサポートに専念するためだったともいわれています」(前出・音楽関係者)

実はHiroは2年前、引退した母・昌子を、開設したばかりの自らのYouTubeに出演してもらおうと交渉したことがある。

「動画スタッフがHiroさんの自宅を突然訪ね、昌子さんへの出演をお願いし、彼が戸惑いながら母に電話するというものでした。その際、Hiroさんは現在の昌子さんの住所を知らないことや、最後に会ったのは約6年前だということを明かしたのです。

結局Hiroさんが昌子さんの新居を訪れるも、母子共演はかなわなかったという結末でしたが、150万を超える再生回数を記録しています」(前出・音楽関係者)

現住所を知らせず、6年間会っていなかったというのは“奇妙な母子関係”に思えるが――。

「昌子さんは’17年のバラエティ番組でも、“次男の結婚式を仕事のために欠席した”という仰天エピソードを披露しています。『日にちは次男夫妻が勝手に決めた。父親(進一)が出ると聞いたから、どちらかが出ればいいと思った』と笑顔で話していましたね」(テレビ局関係者)

■実母から“鬼のような母親”と言われていた

だが、これらの言動は昌子独自の育児信念に基づいたものだと語るのは、別の音楽関係者だ。

「’05年に進一さんと離婚した昌子さんは、シングルマザーとして3人の子供を育て上げました。ご存じのように長男はロックバンド『ONE OK ROCK』ボーカルのTakaさん(36)です。“門限を破ったら家に絶対入れない”“18歳になったら家から出す”など、あまりに独特で、彼女の育児本『母親力 息子を「メシが食える男」に育てる』がベストセラーになるほどでした」

’17年2月、昌子本人は本誌にもこう語っていた。

「いまのお母さん方に比べると、私はかなり厳しいお母さんです。もちろん、3人とも男の子ということもありますが、たとえば、公園に行って、何かにつまずいて転ぼうが平気でした。手助けもしないで『自分で起きなさい!』と。

叱る場合も、いけないことをした瞬間に叱らないと意味がない、効果がないと考えて人前でも平気で叱りました。ですから、母から『鬼のような母親だ』『私はそんな人間に育てたつもりはない』とよく言われました(笑)。

私は一人っ子で本当に甘やかされて育ちましたけれど、13歳で大人の世界に足を踏み入れて『生きていくことの大変さ』を思い知りました。とくに男の子=男性はそうですね。仕事だけでなく、家族を養っていかないといけませんから」

実母から“鬼母”とまで呼ばれていた昌子だけに、「しつけ」には強いこだわりが――。

「『しつけ』は、まず、言葉遣いと目上の人を敬う気持ち。そこで、幼いころから、親はもちろん自分の兄弟にも敬語を使うようしつけました。ですから、次男、三男はいまでも長男と話をするときは敬語を使っています」

前出の音楽関係者も言う。

「昌子さんは血気盛んな思春期の息子たちと真剣に向き合ったため、取っ組み合いや殴り合ったことが何度かあったとか。また、長男とは1回だけ、修羅場になったことがあり、包丁を持ち出し『お前を殺して、そのあと母さんも死ぬから!』と言ったそうです。“それくらいの覚悟がないと本当の意味での子育てはできない”とも主張していましたね」

そんな昌子だけに、子供たちが大人になったら、いち早く「自立」を強く促していた。本誌のインタビューでもこう語っていた。

「『18歳になったら家を出なさい』と言っていました。私から見れば18歳は立派な『大人』ですし、私は、息子たちが18になるまで自分の身を削って子育てをしてきて、もうやり残したことはなかったですから……」

そのため、息子たちが結婚して家族を持った後、姑として固く決めていることがあった。別のインタビューでこう力説している。

《息子たちには、もし孫ができても面倒はみないと言い渡してあります。母は私に命を注ぎ続けてきた人ですけど、そんな母が反面教師になっていて。私は子どもたちを18歳までは自分の時間を全て使って全力で育て、すべて教え切りましたので、あとは自分たちで生きていってほしいと思っています。『これからは自分のために時間を使わせてね』と伝えたいです》(『婦人公論』’19年6月11日号)

結婚したら自分の家庭を何より大事にしなさい―“鬼母”の真意はhiroに伝わっているはずだ。