小川哲が語る、宗教と陰謀論と小説 「人間が生きていく上で、必要不可欠なものなのではないか」

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 長編小説『地図と拳』で直木三十五賞・山田風太郎賞をW受賞するなど、注目を集める作家・小川哲氏が最新作『スメラミシング』(河出書房新社)を10月10日に刊行する。同作には宗教をテーマとした6作の短編を収録。SNSで活動する陰謀論者のオフ会を描くサイコサスペンス「スメラミシング」、七十人訳聖書に隠された衝撃の秘密を明かす歴史空想小説「七十人の翻訳者たち」、神が禁忌とされた惑星の不都合な真実を突き止める「啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで」など、どれも重厚でありながらエンタメ性が非常に高い作品に仕上がっている。小川氏に宗教をテーマに小説を執筆した理由についてインタビューした。(篠原諄也)

参考:小川哲、なぜ自らを小説の主人公にした? 最新作『君が手にするはずだった黄金について』を語る

■推し活、恋愛…現代人の身近にある「宗教的」なもの

ーー小川さんにとって宗教とはどういうものでしょう?

小川:それを考えてみたくて、この作品を書いたところがあります。どの短編も広い意味での宗教的なものを扱っています。つまり何かを盲目的に信じたり、無批判に受け入れたりすることですね。それは僕ら人間が生きていく上で、必要不可欠なものなのではないか。だから否定するというよりも、どうやって向き合っていくか、あるいは共存していくか、そのように考えたほうがいいと思っています。

ーー日本はよく無宗教だと言われますが、日常生活においては何かを無批判に信じたりしていることは多いのかもしれません。

小川:そうですね。例えば「推し活」もある種、宗教的なものだと思っています。あとスポーツで応援するチームがありますよね。例えば、阪神ファンだったり、ヴィッセル神戸が好きだったり。僕はサッカーが好きなんですが、好きなチームを応援している時は、自分でカルト宗教的だなと思いますね(笑)。自分と会ったこともない人たちの集団が、自分と会ったこともない人たちの集団に負けただけなのに、すごく悔しくなったりする。「意味ないな」と思いながらも、それでも悔しいんですよね。

 何かをすごく好きになって応援しているときに使っている脳の部位は、もしかしたら人が神を崇めているときに使う脳の部位と近しいのかもしれません。あと信仰までではなくても、身近な誰かを好きになるときは、人間はすごく陰謀論者的になりますよね(笑)。   

ーー恋愛が陰謀論に似ていると。

小川:例えば、ちょっと相手から連絡が来なくなったときに、ただ寝ているだけなのかもしれないのに、その理由を深読みしたりする。そもそも恋愛というのは、自分で相手の偶像を作り上げて、それを好きになっているような側面もあります。

 そのように自分の捉え方で世界を構築するというのは、僕らが毎日のようにやっていることです。それは人が人である以上、避けられないことじゃないかと思っているんです。そういう意味での宗教的なものを今回の短編集では描きました。

■「小説家というのは人間の宗教的な部分に乗っかって仕事をしているんじゃないか」

ーー宗教的なものというのは、そこにフィクション性があるということだと思います。文学も同様にフィクションですが、接点はあるでしょうか?

小川:小説というものの原点には、やっぱり宗教があるんじゃないかなと思います。最初に収録した短編「七十人の翻訳者たち」でも書いているんですが、物語というものは元々、聖書のように自分たちの歴史や教えを制度化するために進化してきたものだと考えています。

 人間が小説を楽しむことができるのも、フィクションとして都合よく配置された情報を読み解くことに快楽があるからでしょう。だから小説家というのは、人間の宗教的な部分に乗っかって仕事をしているんじゃないかと思うんですよね。

ーーその一方、陰謀論やフェイクニュースが世の中に広まっているときに、その虚偽を暴くような側面も文学にはあるような気もしました。

小川:物語化されたものや、都合よく情報が取捨選択されたものを、僕らはいとも簡単に信じてしまいます。そういう前提に立った上で、どう距離を取るのか。あるいは、自分が信じているものを見せてくれているときに、どう警戒するのか。それは小説の読み手が常に考えなくてはいけないことです。誰かを傷つけたり迫害したりするために、物語が使われているのではないか。小説を読んでいるからこそ、そういう警戒ができるようになる側面があると思います。

ーー本作では宗教的なものに対して、科学や数学が対比的に描かれています。この対比についてはどのように思いますか?

小川:それは収録した「啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで」で書いたことでした。とはいえ、僕は科学というのも、その根底には人間の宗教的な部分が横たわっていると思っています。つまり、科学のプロセスというのは、純粋に事実を積み上げていくというよりも、最初に仮説としての直感があると思うんです。それは人間がちょっといい加減だからできるようなところがあって。最初に誰かがアブダクション的に推論して予想してみる。そしてそれは正しいのかどうかを検証するという過程が科学なのだと考えています。

 これが正確な例なのかわからないのですが、昔、人々は星空を見て、星が動いていると考えていた。でもそこで誰かが「実は地球の側がまわっているんじゃないか」と発想をする。それ自体は直感やひらめきだと思うんですよね。だから科学の発展には、実は人間の愚かだと思われているような非論理的な部分がすごく重要なんじゃないか。この作品を書きながらずっと考えていたことでした。

◼️陰謀論にハマってしまう心理・現象を解き明かす、表題作「スメラミシング」

ーー表題作「スメラミシング」では、SNSで活動する陰謀論者たちのオフ会が描かれていました。着想のきっかけを教えてください。

小川:どの短編も宗教や神を扱うことは最初に決めていたんですが、特に陰謀論については、僕が小説家として正面から取り組まなくてはいけないと思っていたんです。というのは、陰謀論は極めて小説的なんですよ。世の中には巨悪の黒幕がいて、裏で悪いことをやっていると。現実世界のあまり意味がないことや偶然起こったことを理由づけして、全部を1本の線で結び付けようとする。それが陰謀論の基礎にあるものだと思っています。そういう想像力というのは、小説家が育てているんじゃないか。だから正面から考えたいと思いました。

ーー特にコロナ禍は陰謀論というものが浮き彫りになった時期でしたか?

小川:そうですね。陰謀論を信じる人は世間と摩擦を持っていたり、「これがおかしい」と違和感を感じていたりする人が多いと思います。それがコロナという形で目に見えるようになった。つまり、皆が世界に対して不満に思っていることが一致して、コロナという共通の敵が現れたわけです。それがこの作品の着想でした。

ーー陰謀論というのは意外と身近にあるものですよね。

小川:他人を馬鹿にしがちな自分も、おそらく陰謀論のように何かを無目的に信じていて、他人から見たら同じように思われているかもしれないという自覚を持つことが重要だと思うんです。

 そうすると、ちょっと他人に対して優しくなれるというか。自分と世界観が違う人に対しても、違った目線で見られるようになる。人間は陰謀論的な枠組みから逃れることは原理的に不可能で、どれだけ警戒しても何かを無批判に信じてしまうのではないかと思います。

ーー「スメラミシング」は、ある語りのトリックによって、すごく意外性のある終わり方をして、読者を驚かせます。

小川:この短編の背景にあったのは、今話したようにみんな何かを陰謀論だとあざ笑っているかもしれないけれど、自分自身もそういう側面があるんだということでした。この小説の主人公は毒親に育てられていて、そのせいで苦しんでいる人だという前提で読んでいくと思います。けれども読み進めていくと、主人公にはある性質があることがわかる。それによって苦しめられていたのは、母親の側なのかもしれない、となるわけです。そして最終的には、語り手は読者が思っていたことを究極の形で裏切ることになります。これは小説の形を借りて、読者を一つの陰謀論にはめてみたかったんです。だからあの終わり方になったのかなと思います。

(篠原諄也)