中国が「福島原発の処理水放出」を問題視した「ほんとうの理由」、「反日」なわけではない…

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アメリカに並ぶ強大な国家となった中国への脅威。そこから生まれた様々な「誤った中国解説」が、あたかも事実であるかのように流布されている。今すべきことは、正しく中国を知ることだ。

強大な国家となった隣国・中国への脅威から、虚実が織り交ざった反中言論が多量に流布されている。中国研究者であり「月間中国ニュース」編集長の中川コージ氏は、それらいい加減な原論に惑わされることなく、正しく中国を知ったうえで適切に対処することが重要であると語る。『日本が勝つための経済安全保障--エコノミック・インテリジェンス』は、そのための方法を説く力強い1冊である。本書の一部を抜粋して紹介する。

中国に関する言説が爆発的に増加

近年、中国に関する日本国内の言説量は、爆発的に増えています。しかしその中には、語り手が言論界の大物であったとしても、中身は高校生レベルの旧共産国失敗の歴史のみを論拠に、現在の習近平指導部の「独裁失敗可能性」を語っているようなものも少なくありません。

中国が強大な国家になったことは事実であり、人々の関心やメディアの注目を集めるのも当然のことではあります。しかし中国を「極悪独裁帝国」と決めつけ、断罪するだけでは、本当の中国の姿をとらえることも、それに対して日本がどうすべきなのか、という正しい対処法も見えてきません。特に中国の内政におけるロジックが分からないままに、「なぜ中国が今、このような対応に出るのか」「次にどのような行動に出るのか」を語っても全く意味がないどころか、ともすれば有害にすらなりかねない状況にあります。

「対中認識」の落とし穴

そこでまずは経済安全保障を語るはるか以前の前提として、踏まえておくべき「対中認識」について解説します。

目下の話題は中国による台湾進攻、いわゆる「台湾有事」に関するものです。「発生は既定路線、あとの論点は2年後なのか5年後なのかにすぎない」というような断言調のものも散見されます。中国の野心についても、尖閣が位置する東シナ海にも拡張の意思を示し、南シナ海でも関係諸国と摩擦を起こしている。勝手に世界地図に「九段線」を引き、線の内側は中国の領域だと主張している……。台湾進攻も時間の問題だ、というわけです。

極論を言えば、10分後でも、明日にでも、「台湾有事」は絶対的に発生の可能性がありますが、正常性バイアスまみれのずさんな分析でその蓋然性が高まったかのように吹聴するのは、デマゴーグの手法です。

このように、「中国は覇権志向に基づき、常に領土領海に拡張的である。地理的拡張は中国にとってメリットがある」という前提を土台として、論客たちが中国起点の軍事衝突の危機を煽る、という状況はここ数年続いています。しかも単に煽るだけでなく、煽ったうえで有事の日本の政治課題まで語るため、情報の受け手が「中国の動向や日本の政治事情にも詳しい人が、具体的に政策を語っている」と過度な危機感を感じてしまうのは無理もありません。しかしその実態はといえば、「政治リソースを無駄に割くノイズを振りまいている」ケースも否定できないのです。

すべてが反日思想に基づくわけではない

確かに中国には領土的拡張の意思はありますが、中国の共産党指導部はやみくもに拡張思考だけにとらわれているわけではありません。その他の地域の外交や内政の要因もマネージメント課題であり、九段線や台湾だけを一側面で考えているわけではありません。また、日本を相手にする、日本に影響が及ぶ発信や政策であっても、すべてが反日思想に基づくものではないことは知っておく必要があります。

インテリジェンス的な思考として重要なことは、例えば「台湾有事」に関して言えば、主にアメリカや中国をとりまく内政や外交のイベントが現実的に発生ないしは将来の発生を北京中央や米国各政治中枢が織り込んだときに、我々観測者が北京中央の内部意思決定メカニズムを理解し、その動きを分析することで、「台湾有事」の発生蓋然性が高くなったか、低くなったかを地道に見定めていく作業です。米国大統領選の結果などはこの蓋然性に影響を与えるので、観測分析すべきイベントでありますが、「20XX年に台湾有事」説などはあまりにも静的な概念であって、動的な観測分析とは言えないでしょう。

処理水放出に対する中国政府の対応

北京中央的思考のエミュレーション(思考再現)の例をご紹介しましょう。2023年8月24日に行われた福島原発の処理水放出に対して中国側がこれを政治問題化した件です。青島市の日本人学校に石が投げ込まれたり、福島県内の店舗に中国(人)からとみられる嫌がらせの電話がかかってくるなどの騒動が起きました。政治的にも中国当局は日本産海産物の禁輸を発表しました。

これに対し、「中国は反日の独裁国家だから、政府がやらせているのだ」という保守系の意見だけでなく、「日本側が事前協議をして理解を得るなどの努力を怠ったために、中国がセンセーショナルに反応したのだ」といった政府批判派からの解説もありました。

しかし実際は、「自ら負け戦であると解りながら反日を展開せざるを得ず、表面的には合理性を欠くが、北京中央の内部ロジックとしては合理性があった」という建付けが見えてきます。なぜ彼らは分が悪い戦いを日本に挑んできたのでしょうか。

考えられる様々な可能性

さかのぼれば2011年の福島原発事故発生当時、胡錦濤指導部は放射能の影響にかなりヒステリックな反応を見せていました。中国の組織は指導者が変わっても共産党組織は続きますから、「組織としては間違いではなかった」という「党組織決定無謬性」が引き継がれていきます。

党が以前に示したロジックを「実は間違っていました」と言って急に方針転換をすることができないため、福島事故関連の対応が転換不能となり、「あの時、放射能の危険性をあれだけ指摘したのだから、汚染水に関しても同様に厳しい姿勢で臨まなければならない」という、いわば「2011年来の反汚染、抗日正統性を踏襲した」という内部ロジックが存在する強い可能性があります。

さらに他の可能性をひとつひとつ考慮していきます。--国内の不満をそらすためのガス抜き仮説--は考えられますが、それらは蓋然性が高いとはいえません。当局が抗日のプロパガンダの上で意識コントロール対象としているのは知的レベルの低い人民層でありますが、当局が恐れるのは不満を抱えた人民の中でも社会的影響力のある知識人士(エリート人民層)による社会運動化です。不景気や言論弾圧によって当局の執政に不満を抱える知識人士は、処理水論争について中国側の主張に科学的根拠が乏しいことは重々理解していますしプロパガンダに流されません。つまり、非科学的なプロパガンダを当局が展開したところで当局への諸々の知識人士からの不満がガス抜きされることはありません。

また、--日本がどの程度反撃し、周囲の国がどう反応するかというデータを取るための実験をしている仮説--は正しいかもしれない仮説のひとつです。観測をベースに戦略をたてるOODAループという手法ともいえます。要は中国側は日本の出方を観測し反応データを蓄積し、将来の別の日本との言論戦に備えるということです。

本件では、日本側の対抗反応が素早く、国際機関を通じての科学的根拠の提示、また各国の在外公館(大使館)ホームページでも掲示するなど多くの手段で「日本の主張が正しいこと、中国側の主張が非科学的であること」を持続的に発信しましたので、中国側が負け戦を続けることになり、大変有効な反抗アクションを展開できたと思います。中国側が「正統性維持のためにそうせざるを得なかった」弱みを突いて、日本の対中外交では近年稀に見る素晴らしいものでした。

まずは相手を理解する

いずれにしても「日本政府が悪いからだ」という中国無謬論に陥る人や、「中国政府、習近平は馬鹿だから科学を無視した暴挙を平気で行う」といった、もはや解説ですらない単なる誹謗中傷のような言論をいくら重ねても、日本が得るものは何もありません。

言うまでもないことですが、まずは相手を知らなければ対処のしようもありません。中国が強大になればなるほど、中国に対する理解、共産党という組織に対する理解、意思決定の仕組みや組織運営など、どういうメカニズムで動いているのかを、正しく把握する必要があるのです。内政に対する理解がないままに語られる「中国解説」は、いわば基礎工事が行われていない軟性地盤に家屋を建ててしまっているようなものです。共産主義国だから……、反日だから……、独裁国家だから……といった古臭く一面的な中国像だけで外交、安全保障、経済、内政などすべてを語ることには当然、問題がありますし、「その程度の理解で語っても視聴者や読者には真偽が分かるまい」といった姿勢は、不誠実なものでしょう。

つづく記事【尖閣沖「中国漁船衝突事件」があらわにしたもの…終焉を迎えた「歪な日中関係」】では日本が経済安全保障対策を構築する背景となった「日中関係」に迫っています。

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