谷原章介さん=松嶋愛撮影

 俳優・谷原章介さんが店長としてイチオシの本を紹介する「谷原書店」。今回は、北大路公子さんの旅エッセイ『いやよいやよも旅のうち』(集英社文庫)を取り上げます。

 雑誌かウェブ記事で北大路公子さんの文章を目にした時、「おもしろそうなエッセイを書く人だなあ」と気になりました。長澤まさみさんや榮倉奈々さんが、ファンであることを公言しているのも知って、「ちょっと読んでみよう」と思い立ち、北大路さんのご著作のラインナップを調べてみました。日々の何気ない考察や、お酒の話など、興味深い題名がずらり。なかでも今回は、「旅モノ」から入ってみようと思い、初めてこの本を手に取りました。

 『いやよいやよも旅のうち』。まさにそのタイトル通り、北大路さんご自身には「旅人」の要素が1ミリもありません。札幌在住・60代の北大路さんは、できればどこへも行かずに、家でのんびり猫と過ごしたいタイプ。それなのに、若き担当編集者の「元祖K嬢」が、嫌がる北大路さんを全国各地に連れていきます。しかも、酷寒の動物園散歩や絶叫ジェットコースター、電動自転車の運転にシュノーケリングなどなど、「普段なら絶対にしない嫌なこと・面倒なこと」を北大路さんにさせるのです。

 「ジェットコースター乗りたくないなあ」
 「自転車も乗りたくないなあ」
 「海に入りたくないなあ」
 「原稿書かずに原稿料がほしいなあ」

 ……終始、こんな調子でぶつぶつ呟く北大路さんと、強引にスケジュールを組んでずんずん進む「元祖K嬢」、そしてイラストレーター・丹下京子さんというお友だちも加わって、珍道中は始まります。

 札幌郊外の定山渓、富士急ハイランド、花巻・遠野・盛岡、伊勢神宮、高松・琴平、そして那覇。「旅は嫌い」と北大路さんはおっしゃいますが、朝からビールをグイッと飲んで、じつはちょっと楽しそうでもある。そうか、もしかしたら、スケジュールがぎっちり詰まっている(しかも面倒なことをやらされる)旅に、拒否反応を覚えているのかも知れません。

 僕自身もまったく同じです。ホテルや旅館などでだらだらと過ごし、気が向いたら地元の人がお薦めするどこかにふらっと寄ってみる。それぐらいの旅のスタンスが好みです。分刻みであれこれ決められるのは本当は苦手。だから北大路さんに共感を覚えます。そんな北大路さんに「元祖K嬢」が次々とぶち込んでくる、絶対に嫌がるだろうこと・場所は、だいたい僕も行ったり経験したりしていますので、想像がつくのも楽しいです。若い編集者に腕を引きずられ、「嫌だ嫌だ」と言いつつも、しぶしぶ付き合っている様子が愛らしいと思います。

 それから北大路さんは、各地を歩き、同行者とお話しするうち、はてしなく妄想力を膨らませていくのも読みどころ。たとえば、山梨県をめぐる旅では、3日目になっても天気がすぐれず、富士山が一向に見えないことから、「本当に富士山は存在しているのだろうか?」と疑問の妄想を抱きます。

 怪しいのは山梨県と静岡県だ。彼らが仕掛けた壮大な嘘に騙(だま)されている可能性がある。富士は鈍角だと太宰治は言ったが、鈍角どころか幻。太宰もグルなのだ。(本文より)

 こんなふうに、北大路さんは突飛な妄想力をあちこちで発揮されます。岩手県の遠野で、電動自転車の運転を怖がるあまりに膨らむ妄想。あるいは、香川県の金刀比羅宮(「こんぴらさん」)で、はてしなく続く階段を上るのが嫌すぎるあまりに膨らむ妄想。仲間と会話している裏で、こんなことまで考えておられるのか。「ちびまる子ちゃん」的といっては語弊があるかも知れませんが、そんな感じで、どんどん妄想の扉が膨らんでいくのです。ぜひ読んでみてください。おもしろ過ぎますから。

 その香川県の旅の道中では、タクシーの運転手さんに対し、北大路さんはどうにかしてお薦めのうどん屋さんを聞き出そうと攻防を繰り広げますが、口の堅い運転手さんは贔屓の店を絶対に教えてくれません。そんな運転手さんが一言、「うどん屋は淘汰される」と告げる場面が印象的です。つまり、新しいお店ができれば皆、1回は食べに行きますが、そこで自分の基準に達しなければ、「二度目はない」ということ。なるほど、と思いました。僕の大好きなラーメンもまさにそう。国民食であり、皆が好きなものであるだけに、経営を続けるハードルの高さは計り知れません。値段設定もそんな高くないし、経営が本当に難しい業種だなあって、改めて全国の店主に尊敬の念を覚えました。

 じつは、僕のInstagramは、ほぼ麺類の写真で埋め尽くされています。先日は、花火大会を中継する番組の司会の仕事で山形県鶴岡市に向かう際、ちょうど日本列島を縦断していた台風を避けるため自動車で向かうことにしました。関越道をひた走り、まずは、リサーチ済みでどうしても行きたかった、群馬県高崎市の「陽気軒」へ。ジャンボ餃子と手打ちの平打ち縮れ麺の中華そばをすすります。そしてその1時間半後、新潟県燕市にたどり着くや「やまがみ屋食堂」で背脂チャッチャ系を味わい、さらにその約15分後には新潟市の「ラーメン東横」で濃厚味噌ラーメンに舌鼓を打ちました。まだ終わりません。その30分後、同じく新潟市の「青島食堂」へ到着。お昼休み休憩を店員さんが取っていたので、営業再開を待ち、生姜じょうゆの効いたスープと、モチモチした麺にありつけました。

 じつはまだ終わりません。翌日は鶴岡市の「中華そば雲の糸」で煮干し中華太麺をすすり、花火大会の本番を終えてから、帰路は東北道を経由し福島県郡山市の「手打ち中華麺やまだ」へ。深夜、無添加・無化調ながら味わい深いスープ、そして青竹で打ったコシのある麺を堪能しました。マネジャー、メイクさんとの3人旅。じつは僕、出張前日にもラーメンを食べており、「9食=9杯連続ラーメン生活」となりました。塩分過多、むくむ顔。身体に良いはずがありません。それでも、僕にとっては本当に貴重な旅となりました。……北大路さんの「いやいや旅」とは種類が異なるはずなのに、自分自身の旅と重ね合わせて読んでしまうのが不思議です。北大路さんご自身は、盛岡の旅で「わんこそば」と格闘しておられます。

 札幌から一気に沖縄に飛び、北大路さんたちが那覇中心部の「牧志公設市場」のあたりを歩く場面があります。懐かしい記憶がよみがえってきました。現在は改築され、綺麗になったそうです。かつて僕は沖縄によく行った頃があったのですが、当時、市場は乱雑としていて、1階で南国の鮮やかな色の魚介類を売り、2階で琉球料理や泡盛を味わえる空間が広がっていました。その構造は今も変わっていないそうです。市場の周辺は、国際通りに向かって四方八方にアーケードが張り巡らされ、アジアを感じる猥雑な雰囲気が、何とも味わい深いのです。匂いまで思い浮かびます。

 国際通りといえば、そこから少し歩いたところに「三丁目そば」という沖縄そばのお店があって、生麺と茹で置き麺が選べるのが魅力です。生麺はモチモチとしていて、歯ごたえもあって本当に美味しい。沖縄そばの奥深さに感銘を受けます。それから八重山そば、宮古そばも、それぞれ異なる歴史や魅力を持っていて……

 ……麺の話になると、つい熱くなってしまいます。沖縄では自分のペースで好きなことをしながら楽しく過ごしていました。今も行きたい思いはありますが、旅そのものに関しては腰が重くなってしまいました。旅はたいがい、仕事で行かせていただいている。そのためか、休みの日にはどこへも行かず、「家でのんびり」が一番だと思うようになりました。年齢のせいかも。だからこそ、北大路さんが、こわごわと、いろんなことに挑戦「させられている」姿が、いっそう愛らしく見えるのかも知れません。

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 角田光代さんの『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』(KADOKAWA)。かっちりした感じの、いつもの角田さんから、ちょっと「北大路さん寄り」にシフトした筆致を味わえて、こちらもお薦めです。(構成・加賀直樹)