裁かれたのは、筆舌に尽くし難い冤罪(えんざい)を生んだこの国の司法そのものではなかったか。

 1966年に静岡県の一家4人が殺害された事件の裁判をやり直す再審公判で、静岡地裁はきのう、死刑が確定した袴田巌さん(88)に無罪判決を言い渡した。

 一審から一貫して無実を訴えてきた袴田さんの名誉が、ようやく回復されたのだ。

 しかし釈放されている袴田さんの姿は法廷になかった。48年間にもわたる獄中生活と死刑執行の恐怖から精神に癒えぬ傷を負い、出廷できなかったのである。

 それどころか妄想の世界にとらわれている袴田さんは、真の自由を勝ち取った事実を理解することもままならないという。

 静岡地裁は捜査機関による証拠の捏造(ねつぞう)を認めた。国家権力が、犯罪的行為によって罪のない一市民の人生を奪ったに等しい。

 民主主義を掲げる国で、これほどの不正義がなされた現実におののき、義憤を抑えられない。

■謝罪と過ちの検証を

 再審判決は、確定判決が犯行着衣と認定した5点の衣類や、袴田さんが自白したとする調書などの証拠を捏造だと指弾した。

 なぜこれほどの人権侵害がまかり通ったのか。強引な捜査に終始し、間違いを正そうとしなかった警察と検察の責任は重大だ。

 無実の袴田さんに固執したため真犯人を取り逃し、もはや刑事責任を問うことも不可能だ。被害者遺族の無念は察するに余りある。

 検察側は控訴すべきでない。捜査当局は、袴田さんへの真摯(しんし)な謝罪と過ちの検証こそ急がねばならない。

 捜査員ら関係者は真実を語るべきだ。高齢化が進んでおり、第三者を交えた検証組織を早急に設置する必要がある。うやむやのままでは国民の不信も拭えない。

 きのう法廷で裁判長は謝罪した。最高裁も裁判の経過を厳しく問い直さなくてはならない。

 一審から、袴田さんの犯行に疑いを抱かせる不可解な点がいくつも明らかになっていた。一審で主任裁判官だった故熊本典道氏は後年、心証は無罪だったが2人の先輩裁判官を説得できず、やむなく死刑判決を書いたと告白した。

 捜査当局への過信、判決を是正することへのためらい、市民感覚の欠如などが裁判官を誤らせたのではないか。無実の訴えを退けた各裁判所の責任は重い。

 発生当時、警察発表をうのみにし、袴田さんを犯人視して報道したメディアも責任を免れない。

■「再審法」を改正せよ

 袴田さんが最初に再審を請求してから実現するまでには40年余りを費やした。浮き彫りになったのは再審制度の欠陥である。

 検察が約600点の証拠を随時開示したのは2010年からだ。確定判決を覆すような重要証拠が複数含まれていた。早期に開示されていればもっと早く無実が証明されていたはずだ。

 迅速な再審を阻む要因には検察側の不服申し立てもある。

 袴田さんは14年に再審決定を一度受けたが、検察の抗告で取り消され、実際に再審が開始されるまで実に9年を要した。鹿児島県の大崎事件では再審開始決定が3回も抗告によって覆されている。

 「無実の人の救済」という再審制度の理念に照らせば、確定判決が揺らいだと裁判所が判断すれば直ちにやり直すべきなのだ。

 再審法(刑事訴訟法の再審規定)改正に向け超党派の国会議員連盟が協議を始めた。証拠開示の制度化と検察官抗告の禁止が柱だ。再審制度を築き直す必要がある。

 かつて獄中の袴田さんは、息子さん宛てにこう記していた。

 「必ず証明してあげよう。お前(まえ)のチャン(父ちゃん)は決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいるところに帰っていくよ」

 あまりに遅過ぎた。冤罪の歴史に終止符を打たなければならない。この無罪判決を礎としたい。