森保ジャパンを完全復活に導いた「陰の立役者」は誰なのか…最終予選序盤2連戦ロケットスタートは「必然」だった

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「本大会出場も危ういのでは」

3大会ぶりにW杯アジア最終予選を連勝で発進したサッカー日本代表。優勝の機運が高まっていた1〜2月のアジアカップでは準々決勝で大会を去っていたが、この2試合では合計12得点、無失点と強さを取り戻し、窮地からの脱却をライバル国にも知らしめた。その背景には森保一監督、宮本恒靖日本サッカー協会(JFA)会長の改革、英断がある。

2026年北中米ワールドカップで優勝という壮大な目標を掲げている日本代表。2022年カタールW杯でドイツ、スペインを撃破し、2023年9月にも敵地でドイツを下しているのだから、上位躍進があってもおかしくないレベルにはいるはずだ。

そんな期待値は高まる一方だったが、アジアカップ(カタール)では、イラクとイランにまさかの敗戦を喫し、ベスト8で敗退する羽目になった。大会中に週刊誌報道の影響でエース級の伊東純也(スタッド・ランス)がチームを離れるというアクシデントが起きたのも一因と見られるが、チーム全体がギクシャクし、「このままだとW杯優勝どころか、本大会出場も危ういのではないか」と危機感が一気に強まったのだ。

あれから半年。日本代表は華麗な復活を遂げる。2018年ロシア、そして前回カタールと2回続けて苦杯を喫し、”鬼門”と位置づけられてきたW杯アジア最終予選初戦で、日本は圧倒的強さを見せつけた。

まず9月5日の中国戦(埼玉)では、キャプテン・遠藤航(リバプール)の先制点を皮切りに、三笘薫(ブライトン)が前半のうちに追加点をゲット。後半には南野拓実(モナコ)の2得点に、7ヵ月ぶりの代表復帰の伊東のゴールが飛び出し、さらには前田大然(セルティック)と久保建英(レアル・ソシエダ)もダメ押し点を挙げ、終わってみれば7−0という圧勝だった。

続く10日のバーレーン戦(リファー)も気温35度超の高温多湿に、レーザーポインターの照射を受ける完全アウェーの中で、彼らは再びゴールラッシュを披露。エースFW上田綺世(フェイエノールト)が2得点し、中盤の要・守田英正(スポルティング・リスボン)も2ゴール。昨季急成長した大型FW小川航基(NECナイメンヘン)も追加点を奪い、5−0。2試合で合計12得点と、前回最終予選の合計得点に到達するほどの華々しい攻撃力を強烈にアピールしたのである。

選手の熱量にバラつき

「(2018年夏から)森保監督になってから(カタール)W杯の後も継続して、(前の)4年間、積み上げてきたものをさらに積み上げながらやれてるっていうところはポジティブだと思う」と遠藤も6年間の蓄積の大きさをしみじみ感じている様子。現主力メンバーの大半がカタールW杯経験者で、お互いの特徴を知り尽くしている分、阿吽の呼吸が生まれている。それも快進撃につながっていると言っていい。

ただ、疑問なのは、半年前に危機に瀕していた日本代表がなぜここまで右肩上がりになったのかという点だ。その理由を考えてみると、まず1つ目は最終予選に向けたJFAぐるみの徹底した準備が挙げられる。

今回の9月2連戦に向け、JFAは欧州組が帰国するためにリエージュ発のチャーター便を用意。試合3日前の2日には全員が日本に戻れるような段取りを組んだ。堂安律(フライブルク)だけは天候不良でリエージュ行きの便が飛ばず、帰国が3日朝にずれ込んだが、全員揃って試合前2日間のトレーニングができ、意思統一を図ることができたのだ。

「欧州から合流するメンバーにとって今はシーズンの立ち上げの時期。試合に絡んでいる選手は気分的にいいけど、絡めていない選手は焦りもある。全員の熱量のバラつきが出やすいタイミングなんです。そこで現場からは『1日でも早く集合できるようにしてほしい』と要望を受けた。少しでも早く集まって一緒に行動することがすごく大事だと思うので、最大限のサポートをしました」と3月末に就任した元代表キャプテンの宮本会長も説明していた。

十分な準備を可能にした

確かに3年前の初戦・オマーン戦を振り返ると、全員が揃ったのは試合前日で、移籍期限ギリギリのタイミングでボローニャからアーセナルへ移籍した冨安健洋、サンタクララからスポルティングへ移籍した守田は招集免除となった。「2人がいなくても勝てるだろう」という指揮官の見通しの甘さが1つの足かせになったのは確かだ。

しかも、ビッグクラブへの移籍が土壇場で流れた鎌田大地(クリスタルパレス)などはメンタル的に難しい状況にあり、オマーン戦に集中できていなかった。そういった失敗を踏まえ、森保監督は入念な準備の重要性を痛感。宮本会長に支援を申し入れたのだ。

JFAもコロナ禍の観客制限や活動自粛で財政状況が悪化。2023年には2002年日韓W杯の黒字分などを原資に20年間拠点としていた東京都文京区の旧JFAハウスを売却するほどの苦境に陥っており、現在もそこまで潤沢と言える状況ではない。

それでもあえて投資をしたのは「日本代表が強くなければサッカー人気を維持できない」という意識が強いからだろう。勝っている時は観客も入るというのはあらゆるスポーツの常。レジェンド会長にとってはそこだけは譲れなかったはずだ。

その試みが奏功したのは朗報。中国戦後も速やかにチャーター便で移動し、バーレーンで十分な現地適応の時間が取れたのも大きかった。彼らはこういった現場サポートを今後も可能な限り、続けていく構えだという。

続く記事『伊東純也の復帰で《W杯8強の壁》撃破も見えてきた…!森保ジャパンを大きく変貌させた「3人のキーパーソン」』では、残りの3つの理由を詳しく伝える。

伊東純也の復帰で《W杯8強の壁》撃破も見えてきた…!森保ジャパンを大きく変貌させた「3人のキーパーソン」