仁志敏久がNPB14年の現役生活で驚愕した選手は? 「圧倒的な飛距離」「あのストレートは突出していた」
仁志敏久インタビュー(後編)
巨人の名二塁手として活躍された仁志敏久氏。NPB14年の現役生活で多くのプレーを見てきたと思うが、そのなかですごいと思った選手は誰だったのか? また常総学院の木内幸男監督をはじめ、多くの名将のもとでプレーしてきたが、それぞれどんな印象を持っていたのか。仁志氏に語ってもらった。
2021年から3年間、DeNAの二軍監督を務めた仁志敏久氏 photo by Sankei Visual
── 仁志さんが実際に見て、すごいと思った打者は誰ですか?
仁志 松井秀喜は誰も真似できない圧倒的な飛距離を持っていましたし、打率も残していました。そして、どんな時も泰然自若としていました。そういうすばらしい一面がありました。
── 落合博満さんとも96年の1年間だけ一緒にプレーされています。
仁志 落合さんは打ちにいくまでのタイミング、間合いの取り方が独特で理想的でした。僕はプロ1年目だったので、話をするなんておこがましくてできなかったのですが、今の自分だったら落合さんの練習をずっと見て、間合いの取り方とか質問攻めにしていると思います。当時、よく落合さんに「ここに来たら絶対ヒットになるというポイントを持っておかないといけないよ」と言われていました。思えば、落合さんは追い込まれると、よく外角の球にちょこんとバットを出してヒットにしていました。
── ほかにもおられますか。
仁志 広島の緒方孝市さんの打撃スタイルが好きでした。トップバッターで、ヒットも本塁打も打てる。そして俊足。
── その緒方さんも仁志さんもベストナイン受賞歴がないのが不思議です。
仁志 僕はロバート・ローズ(横浜)に全部持っていかれました(笑)。
── 投手はどうでしょうか。3人挙げるとすると、誰になりますか。
仁志 投手というより、僕の選び方は"球種"です。まずストレートなら阪神の藤川球児です。真っすぐとわかっていても打てない。今の時代、150キロ以上を投げる投手はたくさんいても、あえて高めのストレートで三振を取るという発想を持てる投手はなかなかいないと思います。それくらい藤川のストレートは突出していました。
── 次はどの球種で誰になりますか。
仁志 スライダーでヤクルトの伊藤智仁さんです。97年に対戦したのですが、あんなに曲がるスライダーを投げるピッチャーはいません。可動域が広そうな右腕の使い方が独特で、それがあの曲がりを生んだのでしょうね。
── 最後のひとりを教えてください。
仁志 横浜で活躍されたフォークボールの"大魔神"佐々木主浩さんです。ほぼストレートとフォークの2種類で勝負していました。それであれだけ長い間ストッパーとして活躍したのですから、すごいですね。聞いた話ですが、佐々木さんのフォークは4種類あったらしいです。スライド回転とかシュート回転とかあったと思うのですが、打者からすれば落ちればみなフォークです。
【今の考え方で若い頃の自分に指導できたら】── 2007年に巨人から横浜(現・DeNA)に移籍しました。
仁志 球団ごとの特徴を肌で感じられたのは、自分自身にとっていいことだと思いました。移籍を経験していなかったら、巨人の方法論がすべてだと思っていたかもしれません。ただ、横浜での3年間は4位、最下位、最下位と、負けが多かったことは悔しかったですね。
── 移籍1年目のシーズンは150安打を放つなど、存在感を発揮しました。横浜時代、一番印象に残っていることは何ですか。
仁志 移籍1年目にサヨナラ安打を2本打ったことですかね。
── NPB14年の現役生活で通算1587試合に出場し、1591安打、打率.268、154本塁打、541打点、135盗塁。この数字について、どう思いますか。
仁志 たいしたことないなと思いますね。プロ入りした時は自信満々でしたが、技術も身につけていなくて、野球を考え始めた頃には体力が落ちていました。もっとうまくできたんじゃないかと。今になって、そう思うことがあります。
── これだけの成績を残された仁志さんでもそう思うのですね。
仁志 今の時代、科学的にも検証できますし、さまざまなアプローチの仕方があります。僕自身は、現役を辞めてから知識がすごくたくさん入ってきました。今の自分の考え方を持って、若い頃の自分に指導できたらなと思います。中途半端な成績だったり、選手としての振る舞いだったり......少し後悔しています。だからこそ今、いろいろと勉強しようと思っています。
【長嶋茂雄監督の野球とは?】── 現役引退後、筑波大学院で学びました。
仁志 人間総合科学研究科でバイオメカニクス(生体力学)の研究のなかで、動作解析を学んだりしました。自分から学びに行ったので、どの授業も興味深かったです。修士論文の題目は『バットの握り方によってのスイングの変化』でした。
── 20年からは江戸川大学社会学部の客員教授として教鞭を執っています。
仁志 大学院で修士課程を修了し、『指導者論』の授業のお声がけをいただきました。具体的にはスポーツ指導者の使命や役割、プレーヤーの心理的な動向把握などです。指導者論は答えがあるようでないところもあるので、考え方や言葉をいろいろな文献で今一度調べ直し、自分なりの教科書を作成しています。
── 21年から23年までDeNAの二軍監督を務めました。
仁志 指導はやりすぎてもよくないし、何もしないものよくない。練習としてやらせるのか、自主的に考えさせるのか。その加減が難しいです。しかし、指導法として「何の目的で何をさせたいのか」は明確にしておかないといけないと思います。そして、練習時は"技術コーチ"であっても、試合では"戦略コーチ"になるべきだと思います。
── 仁志さんはアマチュア時代、名将のもとで野球をやってこられました。
仁志 常総学院(茨城)の木内幸男監督は、常識や固定観念にとらわれず、状況に応じた"最適"に選手や作戦を当てはめていきます。僕の野球の原点は木内監督です。早稲田大学の石井連藏監督は、精神を大事にする野球でした。日本生命の井尻陽久監督は、大学時代に全日本に選ばれた時のコーチで、社会人野球はもちろん、国際試合の経験にも長けていました。
── プロに入ってからは4人の監督に仕えました。
仁志 長嶋茂雄監督は、ファンの方が思っているよりもオーソドックスな野球で、選手の実力をしっかり評価し、信頼してくれる監督でした。原辰徳監督は、勝敗や結果に厳しく、プロ意識が高かったです。堀内恒夫監督は、ぶっきらぼうに思われているかもしれませんが、細やかな気遣いをしていただきました。横浜の大矢明彦監督は、チームの苦しい時代に指揮を執られて、僕自身が力になりきれず、申し訳なかったと思っています。
── 多くの指導者から影響を受け、今は解説者として客観的に、大学教員として論理的に野球を表現されています。現時点における仁志さんの"指導者論"とは?
仁志 状況に応じて、選手は自主的なプレーを、指導者は適切で的確な指示ができるかどうか。そのために指導者は、膨大な知識と経験に基づくいろんな引き出しを持っていなければいけません。今の自分にとって、多くの知識を得て、準備しておくことが大事だと思っています。
仁志敏久(にし・としひさ)/1971年10月4日生まれ、茨城県出身。常総学院から早稲田大、日本生命を経て95年のドラフトで巨人から2位指名(逆指名)を受け入団。1年目から114試合に出場し、打率.270、7本塁打、24打点の成績を残しセ・リーグ新人王に輝いた。2004年には28本塁打を放つなど、強打のリードオフマンとして活躍。また名二塁手としても名を馳せ、99年から4年連続ゴールデングラブ賞を獲得。07年に横浜(現・DeNA)に移籍し、10年には米独立リーグでプレーしたが、故障などもあり同年6月に現役引退。その後は野球解説者としての活動の傍ら、侍JAPAN U−12監督などを歴任。21年から3年間、DeNAの二軍監督を務めた