パリ五輪で話題になったフェンシング「交代選手」はツラいよ 金メダリストが明かす知られざる境遇
東京五輪金メダリスト
宇山賢が語るフェンシングの「交代選手」と今後 前編
パリ五輪で個人・団体合わせて5つのメダルを獲得した日本フェンシング。9月14日から16日にかけて行なわれる全日本選手権には、多くのメダリストが出場する。
パリ五輪で特に印象的だったのが、厳しい局面で出場し、日本チームに流れを引き寄せた「交代選手」の活躍だろう。だが、彼らが見せた華々しい活躍とは対照的に、団体戦に出場するほかの3選手とは、待遇面などでさまざまな違いがあるという。
3年前の東京五輪・男子エペ団体に交代選手として出場し、金メダル獲得に大きく貢献した宇山賢氏に、知られざる交代選手の境遇や当時のエピソードを振り返ってもらった。
パリ五輪で銅メダルを獲得した日本の女子フルーレ団体。交代選手の菊池小巻(右から2番目)の活躍も光った photo by 日刊スポーツ/アフロ
――3年前の東京五輪に続き、再びフェンシングの交代選手が注目を集めましたね。
「パリ五輪をきっかけに注目度が高まった交代選手ですが、実は五輪に出場するほかの3選手とは、選手登録の時点から大きな違いがあるんです。個人戦と団体戦に出場するほかの3名は『五輪の日本代表』として正式に選手登録されますが、交代選手は団体戦の試合に出場するまで五輪の選手と認めてもらえません。
僕が出場した3年前の東京五輪での話ですが、開会式や閉会式への出場や選手村への入場が認められなかったり、スポンサー企業が選手に支給してくれるさまざまな物品がもらえなかったり......そういった処遇の違いを感じる場面がありました」
――チームの練習やミーティングにも、さまざまな影響を及ぼすことになりそうですね?
「そうですね。東京五輪の選手村には、選手登録された3名と、チームスタッフ数名を加えたメンバーが選手団として滞在することになっていました。人数も制限されていたので、まだ五輪の選手として認められていない交代選手は、本来は選手村に入れなかった。僕の場合は『選手4名は一緒の場所で過ごしたほうがいい』という周囲の配慮のおかげで、スタッフ用のADカード(入場許可証)を使って選手村に滞在させていただきました。選手村に滞在できなかった場合はほかの選手と離れて、ひとりで外部の宿泊施設で過ごすことになる可能性もあったと思います」
――陸上競技や体操などの一部の競技では「補欠選手」が選ばれることもありますが、フェンシグの交代選手とはどのような違いがありますか?
「確かに一部の競技では、出場選手にケガや体調不良などのアクシデントがあった場合を想定して『補欠選手』を選ぶケースがありますが、フェンシングの『交代選手』とは性質が大きく異なります。
一番の違いは『試合出場する可能性』です。『補欠』の選手は、出場選手にトラブルがなかった場合には出場できずに大会を終えることがほとんどです。一方でフェンシングの交代選手は、競技の特性を踏まえても、『ほぼ間違いなく試合に出場する存在』と言っても過言ではありません。
実は、アジア大会や世界選手権といった五輪以外の世界大会では、交代選手を含めた4名が正式な選手として登録されています。団体戦での選手交代の回数も制限されていません。選手交代が戦術的に広く定着していて、4選手を上手に交代させながら団体戦を戦い抜くことが広く浸透しています。なので、たった一度しか選手交代が認められない『五輪のルール』は、フェンシング界ではかなり特殊で、選手たちは普段の試合とは異なるルールの大会に臨んでいるんです」
――交代選手に関する報道を見ると、そのなかには「補欠」や「リザーブ」と書かれているケースも見受けられました。
「僕は意識的に『交代選手』というワードを使っていますが、それは試合のどこかで必ず起用される場面があり、一般的に知られている『補欠選手』のイメージとは異なるためなんです。パリ五輪でも『補欠』といった表記が多く見られましたが、同じ立場に置かれた3年前の僕がそれらを目にして複雑な思いを抱いたこともありました。『フェンシングの団体戦は4人でひとつのチームだ』という認識が徐々に広まっていってほしいです」
【チームの苦境を救う交代選手のメンタリティ】――宇山さんは交代選手として東京五輪を迎えるにあたって、どのような点を意識されましたか?
「1度しか交代が許されないことを考えると、単なる4人目の選手というよりは、チームの苦境を打破する"起爆剤"としての起用が想定されました。東京五輪の前夜に行なわれたミーティングでも、『もし、チームがどうしようもない状況に追い込まれてしまったら、宇山を出してほしい』とチームのメンバーが話してくれた。なので僕は、負けている試合で地道に1ポイントを取りながら巻き返していくことをイメージしながら、本番に臨みました」
――東京五輪では、アメリカとの1回戦で登場することになりましたね。
「日本チームがアメリカと相性がよくないことはわかっていたので、『厳しい試合になるかもな......』と予想はしていましたが、実際に試合が始まってみると、日本チームの3選手は思った以上に緊張していて、思うように身体が動かないように見えました。苦しい展開に追い込まれていくチームを見ながら、『おそらく早い段階で、試合に出ることになるだろう』と思っていたら、まもなく僕の出番がやってきました」
――6点リードを許した第8試合で登場した宇山さんは、そこで7−3と4点も差を縮めました。日本チームはそこから大逆転勝利を掴みましたが、この時はどのような思いでしたか?
「もし、僕が活躍できずにそのままチームが負けてしまったら、『交代選手は4番手の選手だから......』と言われてしまう。それは絶対に嫌だったので、『絶対に見返してやる!』という思いで試合に臨みました。試合が終わった時には、周りから冗談混じりで『やっぱり宇山がいないと勝てないな』とも言ってもらえましたし、チームにも多少なりとも貢献できたのではないかと思っています」
――パリ五輪の日本チームは、フェンシングの団体4種目でメダルを獲得しました。チームを救う交代選手の活躍も目立ったように感じましたが、境遇などに変化はあったのでしょうか?
「今回のパリ五輪でも、"救世主"のような存在として交代選手を取り上げられていましたね。今でも交代選手に注目が集まるたびに、『3年前の僕のような辛い思いをしているのかな?』などと意識してしまうことはありますが、幸いにもパリ五輪の代表選手はこれまでのような待遇の差をあまり感じていないようでした。関係者の方には『(東京五輪で)宇山が活躍したおかげだよ』と言っていただきましたが、交代選手の待遇も徐々に改善しているのかなと思います」
【プロフィール】
宇山賢(うやま•さとる)
1991年12月10日生まれ、香川県出身。元フェンシング選手。2021年の東京五輪に出場し、男子エペ団体において日本フェンシング史上初の金メダルを獲得。同年10月に現役を引退。2022年4月に株式会社Es.relierを設立。また、筑波大学大学院の人間総合科学学術院人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学学位プログラム(博士前期課程)に在学中。スマートフェンシング協会理事。スポーツキャリアサポートコンソーシアム•アスリートキャリアコーディネーター認定者。