将来はプロ野球選手になりたい──。そんな夢を抱く甲子園球児は少なくない。

 だが、鶴岡東(山形)のエースで4番打者を任される櫻井椿稀(つばき)は、少し特殊だ。今大会出場校の全選手が記入したアンケートによると、櫻井の将来の夢は「プロ野球選手」と「プロ野球審判」が併記されている。しかも趣味の項目にも「野球審判をすること」とある。


初戦の聖光学院戦で1失点完投勝利を挙げた鶴岡東の櫻井椿稀 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 櫻井は東北地区を代表する好投手であり、強打者でもある。今春にはU−18日本代表候補に選ばれ、強化合宿にも参加している。そんな有望選手が「プロ野球審判」を志す意外性。東北地区に詳しい同業者に櫻井について聞くと、「何を考えているのか読めない独特な感性がある」という人物評が返ってきた。櫻井はなぜ、審判になりたいのか。私は聞きたくて仕方がなかった。

【聖光学院を1失点完投勝利】

 8月11日、甲子園初戦を戦った本人を直撃することにした。ただし、審判についておおっぴらに質問することはためらわれた。

 甲子園取材の内幕を告白すると、私のようなペン記者に許された時間は原則13分。選手を囲むペン記者のなかには、速報を打つためにコメントを求める新聞記者もいれば、選手の技術を深く掘り下げようとする雑誌記者もいる。「趣味の審判について」という試合とは直接関係のない質問で、貴重な取材時間を奪うのはあまりに申し訳ない。

 しかも、聖光学院(福島)との甲子園初戦で櫻井は投打に大活躍していた。投げては9回1失点の完投勝利、打っては決勝打となる2点タイムリー。試合後、櫻井は当然ながら大勢の記者に囲まれた。

 囲み取材の時間内で、チャンスがあれば審判について聞いてみよう。密かに胸に秘め、スタンバイする。すると、櫻井の囲み取材が中盤を過ぎたあたりで意外なことが起きた。一般紙の記者がこう質問したのだ。

「将来の夢が『プロ野球審判』になっていたんですけど、これはどういうことですか?」

 内心、「そうそう、どういうことなの?」と叫んでいた。気になっていたのは私だけではなかったのかと、興奮してしまった。

 櫻井は苦笑を浮かべながら、こう答えた。

「小さい頃にプロ野球の試合を見に行っていて、『審判が格好いいな』と思っていて。大人に交じって審判講習会とか行っていました」

 ほかの記者たちも興味を持ったのか、矢継ぎ早に審判に関する質問が飛ぶ。

「好きな審判は?」という質問には、「青木昴(すばる)さんです。出身地(長野県)が同じで、ジャッジのやり方が格好いいので」という答え。「プロ野球選手もプロ野球審判もどちらも目指すのですか?」という質問には、「はい、どちらも目指したいです」という回答だった。

【ルールを知ることがプレーに生きた】

 もはや"通行手形"を得たも同然。私は心置きなく審判に関する質問を飛ばすことにした。

── 実際に高校野球の練習試合で審判を務めることもあるのですか?

櫻井 今はないです。

── 趣味が「野球の審判をすること」とありますが、プライベートでするのですか?

櫻井 中学時代はたまに紅白戦で審判をすることがありました。

── また審判をやりたいですか?

櫻井 夏の大会が終わったら、秋の新チームでできればやりたいですね。

── ルールを勉強することもあったのですか? また、それが生きたことはありますか?

櫻井 小さい頃に審判を好きになって、ルールを知ることで野球が上達することにつながればいいなと思って少し勉強しました。ボークの規定とか知ることができたので、プレーにも生きていると思います。

── 櫻井投手が投げている時、判定に納得がいかない審判にあたることもあると思います。そんな時、どう対処しますか?

櫻井 審判も人間なので、ストライク、ボールの判定は人それぞれ変わるものだと思っています。ピッチャーはそこを生かして投げれば打ち取れるので、その審判が(ストライクを)とってくれそうなところに投げることが大事だと考えています。

 念のために断っておくと、実際には私の質問の合間には別の記者の質問も挟まっている。あくまでも限られた時間ではあったが、櫻井が審判という仕事に魅力を感じていることは伝わってきた。

 高校野球の世界では、毎年のように審判の尊厳が揺らぐ出来事が起きている。SNSでは際どい判定シーンの動画や画像が出回り、審判員が猛烈な批難にさらされることも珍しくない。

 負けたら終わりのトーナメント戦で、微妙な判定に納得がいかない心情も理解できる。その一方で、審判員がいるから高校野球は成立している現実も忘れてはならない。

 ほぼボランティアにもかかわらず、失敗のプレッシャーや酷暑に耐えている審判員。地方部で審判員のなり手が減っているという、深刻な問題もあると聞く。

 櫻井に「審判を愛する者として、SNSなどで審判員が炎上することに何か思うところはありますか?」と聞いてみた。だが、櫻井は投手特有の危機感知センサーで、この質問のデリケートさを察知したのだろう。

「いやっ、そこはとくに......」

 そう答えるのみだった。私は櫻井が審判員志望の若者である前に現役の甲子園球児であることを思い出し、場違いな質問をした自分を恥じた。

 鶴岡東は15日に、早稲田実(西東京)との2回戦を戦う。そして、さらに先にはどんな未来が待っているのだろうか。

 プロ野球のマウンドに上がる櫻井の姿か、それとも打席に入る櫻井の姿か、はたまた捕手の背後で「プレイ!」と高らかに宣言する櫻井の姿か。

 いずれにしても、審判員に興味を持つ甲子園球児がいることは、歓迎すべきことだろう。櫻井椿稀が今後の野球人生でどんなジャッジを下すのか、今から楽しみでならない。

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