文武両道の裏側 第20回
大原海輝(東京大学野球部)前編(全2回)

 東京六大学野球の2024年春季リーグでベストナインに選出された東京大学野球部の大原海輝(3年)。埼玉・浦和高出身で、1浪を経て理科一類に合格し、その後文学部に転部している。どのようにして自身を成長させてきたのか? 文武両道の神髄を直撃する。


外野手としてベストナインに選ばれた東大の大原海輝

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【2割増しの目標設定で成長】

ーー東京六大学野球ベストナインの受賞、おめでとうございます。自身では今回の受賞理由をどう捉えていますか?

大原海輝(以下同) 僕自身、けっこう大雑把だったりテキトーなところがあるんですけど、自分でやると決めたことをできるところもあるのかなとも思っていて。そうしたなかで、より具体的な目標を定めて練習に臨めたのが大きかったと思います。

ーー具体的な目標というと?

 2年生の時には、代打でリーグ戦に出させてもらっていましたが、結果を残すことができませんでした。なので僕の長所であるバッティングを伸ばして、まずはスタメン出場を勝ちとるという目標を定めて、より計画的に練習するようになりました。

ーーどんな練習をしましたか?

 ありふれたことなんですけど、大きい目標じゃなくて、目標は2割増しのところに設定しました。

 具体的には、打撃練習だけでなく、トレーニングもやりながら、その振り返りを毎週、自分のなかでしていました。ビジネスの世界で俗に言う「PDCAサイクル」(※「計画」「実行」「確認」「改善」を繰り返して業務を改善する方法)を意識して練習に取り組んでいたのが、うまくいったのかなと思っています。

【野球により専念するために学部変更】

ーー最近の東大野球部は、大原選手の同級生の酒井捷選手が、昨年の秋季リーグのベストナインに選ばれましたし、レベルアップしている印象です。大原選手から見ると、今の東大野球部はどんな感じですか?

 もちろん東大野球部のレベルも上がってきているかなと思うんです。けど、それは他の大学にも言えることで、六大学野球全体のレベルが上がっていると思います。

 他の大学にはいいピッチャーがいっぱいいるなかで、彼らを打ち崩さないと勝てないわけで。だから東大を基準に考えるというよりは、他の大学を基準に考えて、六大学で通用する選手を、東大は増やしていかなきゃいけない。

ーー「六大学で通用する選手」というのがベストナインになりますよね。

 ベストナインがもう当たり前に東大から出てくると、強くなってきていることにつながると思っています。やっぱり、東大のなかでよくやったとかじゃなくて、六大学で通用する野球がしたいという思いが、年々強くなってきていると僕は感じています。

ーー大原選手が文学部へ転部したのは野球と関係がありますか?

 理一(理科一類)の時と比べると単位がとりやすい授業を選べるので、その分、野球に専念できると思っています。文転することは、友だちにはあんまり言ってなかったので、今になって「お前、文系で何するの?」って言われたりしてます。

 今、文学部の人文学科にいるんですが、文学部のなかでもいろんな文学について学べて、たとえば英米文学とかフランス文学、日本文学とかありますが、それらを総合的に学んでいるところです。

【野球と辞書が大好きな子どもだった】

ーー遡って野球との出会いを教えてもらえますか?

 野球が大好きな父と、10歳上と6歳上の年が離れた兄がふたりいて、本当に物心ついた瞬間からというか、それこそ歩き始めると同時にバットを握って、父と一緒に野球の練習をしていました。

 父親と公園でバッティング練習していると、小さいのにめちゃくちゃ打つわけですよ。通りすがりの方に「この子、すごいね! 将来はプロ野球選手だね!」とか言われて、父も僕も喜んでいました。

ーー同様に、子どもの頃の勉強のエピソードはありますか?

 子どもの頃は辞書とか図鑑を読むのが好きでした。小学2年の誕生日プレゼントでほしいものを聞かれて、何を思ったのか漢字の辞書って言って。あまり覚えてないんですが、両親の話では、辞書をずっと眺めて楽しんでいたみたいです。

ーーちなみに、両親の教育方針はありましたか?

 基本、すごく放任主義でした。子どもがやりたいことは、ちゃんと理由があればやらせてくれる家だったのかなと思います。でも、子どもがやると決めたことをやりきらせるというか、僕も野球は小中高とやりきるって決めていたので、「目標は絶対にぶらさず続けなさい」と両親はたくさんサポートしてくれました。

ーー小学校時代は地元の少年野球チームでプレーした大原選手。中学受験は考えてなかったですか?

 全然考えてなかったです。公園で友だちとずっと遊んでいる小学生だったので。たぶん東大に入る大部分の人って中学受験を経験していると思うんですけど、その頃、僕は友だちと鬼ごっこしたり、野球している生活でした。

ーー塾は行ってなかったんですか?

 塾は、小6の12月から仲のいい友だちが行っていたから僕も行こうという感じで通い始めましたが、中学受験を意識したわけじゃなかったです。

【文武両道と甲子園出場を目指して浦高へ】

ーー地元の所沢市立安松中へ進みますが、当時の野球部はどんな感じでしたか?

 実は、中学の野球部の先生が、前任の中学を全国大会に連れて行ったことがある熱心な方で、朝6時に集まって夕方6時ぐらいまで練習するような感じでした。本当に、野球に時間を割いた中学生活でした。

ーー対して勉強のほうはいかがですか? たとえば、当時の得意科目と不得意科目は?

 正直、得意科目も不得意科目もなかったです。僕は暗記をするのがすごく得意だったので、何とかテスト勉強を乗りきれちゃうみたいな感じがあって、苦手だなって思った科目はあまりなくて......。強いて言えば、国語ですね。

ーー現在は人文学科にもかかわらず?

 そうですね(笑)。

ーー大原さん流の暗記法とかはありましたか?

 僕の場合は、とりあえず書く。自分の覚えたいところを何回か書いたほうが定着しやすいです。

ーー高校・大学の進学先のイメージはどのようにつくっていきましたか?

 中学に入った当初は、東大というよりも、甲子園に行きたい思いが強くて野球の強い高校に行きたいなと思っていたんです。でも、中学で少し経つと、ある程度の勉強の成績が見えてきたのもあって、勉強もできて野球も強い高校に行きたいと思うようになりました。もちろん、東大は当時まだ考えていませんでしたが。

ーー勉強と野球の両方で選ぶと、少し限られてきますね。

 たしかに勉強と野球の両立となると、私立でも公立でも限られてきてしまうのもあって、けっこう厳しいかもしれないと塾の先生とも話をしていて......。まずは自己推薦入試で早稲田実業を受けたんですが、落ちちゃったんです。

 そんな頃、浦高(埼玉県立浦和高)が秋季大会で何十年かぶりのベスト16に入ったのを知って、もしかしたら浦高で21世紀枠での甲子園出場を狙えるんじゃないかなって。その時の僕にとって、公立で行ける勉強での一番高いレベルで、甲子園に一番近いかもしれない高校が浦高だったんです。

ーー浦高は納得の選択でしたか?

 はい。入学してすぐに体育の授業で思いきり走らされたり、体育大会とか行事もいっぱいあって、それでいて文武両道が当たり前の環境だったので楽しかったですよ!

ーー後編では、東大受験や現在の野球部の話を深掘りしていきます。

後編<文武両道の高校球児に東大野球部入部のススメ 六大学ベストナイン大原海輝「今が一番楽しくて、やりがいがある」>を読む

【プロフィール】
大原海輝 おおはら・かいき 
2002年、埼玉県生まれ。幼い頃から野球を始め、安松中、浦和高でプレー。1浪を経て東京大理科一類に合格、その後文学部人文学科に転部。東京六大学野球では2024年春季リーグで33打数11安打8打点1本塁打、打率.333の好成績でベストナインに選出された。