甲子園に3度出場した万波中正 3年夏は名門・横浜の4番として吉田輝星から意地の2安打を放つ
横浜高校時代、甲子園に3度出場した万波中正 photo by Ohtomo Yoshiyuki
「スーパー中学生」と言われていた万波中正(日本ハム)の打撃は、横浜高校入学直後から異彩を放っていた。1年夏の神奈川大会では、3回戦で横浜スタジアムのバックスクリーンに飛び込む公式戦初本塁打を記録。
第98回大会の夏の甲子園では出場機会はなかったが、その秋から神奈川の名門・横浜の4番も担いながら活躍した。
2017年、2年生になった万波は2度目の大舞台を経験する。第99回大会の夏の甲子園、大会4日目の秀岳館(熊本)との1回戦で「5番・ライト」としてスタメン出場を果たす。
2回裏に巡ってきた第1打席は、インハイのストレートに手が出て空振り三振。無死一塁で巡ってきた5回裏の第2打席は四球。それでも、7回裏二死一塁の第3打席では秀岳館の2番手としてマウンドに上がった田浦文丸(現・ソフトバンク)が投じた初球の変化球をとらえてライト前ヒット。主将で6番を担う福永奨(現・オリックス)の3ラン本塁打の呼び水となる一打を放った。
「久しぶりに逆方向へ打てましたし、打撃ではいい働きができたと思う」
だが、試合は4対6で敗れ初戦敗退。万波の顔に笑みはなかった。
「来年は、甲子園で春夏連覇を果たしたい。試合の流れを変えられる一発、チームに勇気を与えられる一発を打てるバッターになりたい」
秀岳館戦での万波は、7回表に4番手として聖地のマウンドにも上がった。最速146キロを誇る右腕は、先頭をセンターフライ、つづく打者をショートゴロに打ちとった。ともに決め球は、自信のあるストレートだった。だが、二死から連打と四球(敬遠)で満塁とされると、万波はマウンドを降りて再びライトのポジションへ向かった。
「ヒットを打たれたのは同じ2年生......。球速をもっと上げないといけないと思った。真っすぐを突き詰めていきたい」
ピッチングでも課題を口にして、甲子園を去った。
【横浜の4番として3度目の甲子園】そして迎えた高校最後の夏、万波は4番打者として3度目の甲子園出場を果たした。100回大会を迎えた2018年の夏の甲子園だ。愛産大三河(東愛知)との1回戦、花咲徳栄(北埼玉)との2回戦はいずれもノーヒットに終わったが、金足農(秋田)との3回戦で見せ場をつくった。
1回表、横浜は先頭の山崎拳登が三塁打でチャンスメイク。つづく河原木皇太の一塁ゴロの間に1点を奪い、さらに齋藤大輝、万波の連打、内海貴斗の四球で満塁と攻め立てると、金足農の先発エース・吉田輝星(現・オリックス)の暴投で1点を加えた。
そして横浜の1点リードで迎えた7回表、第4打席を迎えた万波は吉田から再びレフト前ヒットを放つ。その一打を含めた3連打でさらに1点を追加し、横浜優位のまま試合は進んだ。だが、8回裏に3ラン本塁打を浴び逆転を許す。
横浜は重苦しい空気のなか、最終回の攻撃を迎えた。9回表、イニングの先頭として万波が打席に入る。金足農のマウンドには、直前にチームが逆転して息を吹き返した吉田。初球、145キロのストレートが外れた。その後、カウントを整えられて1ボール2ストライク。追い込まれた万波は、わずかに気負ったのだろうか。吉田が投じた4球目、ボール球と思われた変化球にバットが出て空振り三振。さらに後続の打者も連続三振に打ちとられ、横浜は敗戦を喫した。
3度の甲子園出場を果たした万波だが、大舞台の記憶は悔しさが色濃く残る。それでも随所でポテンシャルの高さを見せつけた打撃は、プロ6年目を迎えた今、進化の真っ只中にある。
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万波中正(まんなみ・ちゅうせい)/2000年4月7日、東京都出身。横浜高では1年春からベンチ入りを果たし、甲子園に3回出場。2018年のドラフトで日本ハムから4位指名を受け入団。プロ3年目の21年、プロ初安打、初本塁打を記録し、22年はチーム2位タイの14本塁打を放つ活躍を見せた。23年は25本塁打を放ち、また強肩を生かした外野守備でも魅せ、ゴールデングラブ賞を獲得。日本を代表する外野手として、今後さらなる期待がかかる