慶應大 丸田湊斗 インタビュー前編(全3回)

 横浜市の日吉駅周辺は、まさに"慶應王国"。慶應大日吉キャンパスや慶應高が駅からほぼ直結し、徒歩圏内に慶應のグラウンドやスポーツ施設が集まっている。

 猛暑の7月末日、日吉駅から徒歩20分ほどのところにある慶應大野球部の合宿所。その日の気温とは対照的な涼やかな表情でひとりの青年が応接室に入ってきた。

 昨年、107年ぶりに夏の甲子園を制した慶應高のリードオフマンとして、日本中から脚光を浴びた丸田湊斗だ。

 卒業後は慶應大へ進学して野球部に入部。前期試験を終え、この日が夏休み初日だという丸田は、「今日は3件の取材が入っているんです」と苦笑する。


現在は慶應大野球部でプレーする丸田湊斗

【甲子園は幸せ夢のような時間】

 1年前の"熱い夏"で主役となった丸田は「夢のような時間だった」と振り返る。

「すごく楽しかった。野球だけに集中できて、たくさんの方々に応援されて、本当に本当に幸せな時間でした」

 慶應高野球部は、推薦入試でも高い学力が求められる文武両道であることに加え、坊主ではなく髪型は自由。そんなスタイリッシュな印象の"塾高"の快進撃に世間は大いに沸いた。丸田自身、"慶應フィーバー"を感じたタイミングとは?

「(甲子園の)準決勝くらいだったかな。そのあたりから『107年ぶりの優勝』という言葉がメディアで取り上げられるようになって。自分たちが歴史的瞬間に立ち会えているんだなと感じるようになりました」

 一方で、慶應の活躍に報道も高校野球ファンも過熱。「慶應びいき」と批判の声が出るほど、多くの応援を味方につけた。

「僕らは応援されるようなチームを目指していたので、それが形になってくれたってことなんじゃないでしょうか」

【決勝の先頭打者HRは頭が真っ白】

 丸田は冷静に話すが、慶應が"応援されるチーム"になった背景に「エンジョイ・ベースボール」があるだろう。

 象徴的だったのは甲子園での3回戦、広陵(広島)戦。試合は3ー3の同点で延長タイブレークに突入。先攻の慶應は10回無死一、二塁の場面で丸田の打席を迎える。

 高校野球のセオリーから言えばバントの場面だが、丸田は「自分の足なら基本ゲッツーはない。タイブレークの先攻なのだからなるべく多くの点が必要でした」とヒッティングを強行した。

「メディアの方からその選択についてよく取り上げられますが、僕も調子がよかったし、(監督の)森林(貴彦)さんからも打席へ入る前に『打つぞ』と言われていた。チーム全体の考えは一致していたと思います」

 そしてみごと、ライト前ヒットを放って、3点勝ち越しの足掛かりをつくった。

 自主性を重んじ、自ら考えてプレーするチームカラーは、どうしても旧態依然とした印象を与えていた高校野球に風穴を空けたような痛快さがあった。

 そして、極めつけは決勝戦では大会史上初となる先頭打者ホームラン。丸田は「頭が真っ白でよく覚えていない」と話す。

【メディアに踊らされないことが大事】

 丸田個人では「慶應のプリンス」とも呼ばれ、一躍時の人となった。下世話だが、相当モテたのではないだろうか。

「いやいや(笑)。(SNSの)DMはたくさん来ましたけど、怖いから全然読んでないです。ありがたいことではあるなとは思ってました」

 丸田は「ただ......」と続ける。

「野球以外の個人的なことをいろいろ取り上げられるようになって過熱しすぎだなと。一気にブワーっときたのでメディアに取り上げられることの怖さはありました。『文春』が家に来ちゃったり、大変な時期もありました」

 過熱する報道に加え、悪意を持って近づいてくる人たちもいた。

「少し人間不信に陥ることもありました。でも、そういう経験をしたことで成長できたような気がします。メディアは怖いって思っているくらいじゃないとダメ。それと踊らされないことが大事ですね」

【後輩たちへの"らしい"メッセージ】

 あれから1年が経った。今、あらためて丸田にとってエンジョイ・ベースボールとは?

「『エンジョイ』ってラクして勝つとか、練習がゆるいという意味じゃなくて、全力を注いで、野球や試合を楽しみ尽くす準備をするってことなんですよね。本番で楽しむ余裕が生まれるくらい練習を重ねて試合に臨む。そういう気持ちなんだと思います」

 森林監督は、エンジョイ・ベースボールは"成長する楽しさ"とも言った。丸田は「そのとおりだと思います」と言う。

「僕自身、中学時代は注目される選手じゃなかった。というか、注目されたのは高校3年の夏だけ。それでも高校の3年間ですごく伸びた実感がありますし、それが楽しさにつながったのかと」

 しかし、勝負の世界は紙一重。エンジョイ・ベースボールを継承した今夏の慶應は神奈川県予選5回戦で桐蔭学園に2−4で競り負けた。この試合の応援に駆けつけていた丸田は、後輩たちをこう労う。

「僕らの優勝も後輩たちがいなかったら達成できなかった。試合後は(主将の加藤)右悟も号泣していたし、なかなかかける言葉が見つからなかったのですが、これからしっかり休んでほしい。

 僕らはその年の高校生のなかで一番長く野球をやらせてもらった反面、大学入学までのフリータイムはあまりなかった。彼らはそこをしっかり休んでいろいろ経験してもらって、大学でまた一緒に野球がやれればいいですね」

 常々「野球だけの人間になるのはイヤ」と口にする丸田らしい言葉だった。

中編<慶應高優勝メンバー・丸田湊斗が高校球児へ日焼け対策のススメ「長丁場の甲子園を戦い抜くために」>を読む

後編<昨夏甲子園優勝の慶應・丸田湊斗が語る、プロ入りと目指す人物像「いい教育者になりたい」の真意とは?>を読む

【プロフィール】
丸田湊斗 まるた・みなと 
2005年、横浜市生まれ。小学3年から野球を始め、日限山中時代は横浜泉中央ボーイズでプレー。慶應高では2年春からベンチ入りし、2023年には春夏ともに甲子園に出場。全国制覇を果たした夏は1番・センターとして5試合で打率4割超、決勝で先頭打者本塁打を放った。2024年、慶應大法学部に進学。東京六大学春季リーグで5試合にスタメン出場した。