大谷翔平は前人未到の「50-40」達成なるか 過去「40-40」に到達した偉大な選手たち
後半戦に突入した大谷翔平(ロサンゼルス・ドジャース)は、1シーズンに30本塁打以上と30盗塁以上の「30-30」にとどまらず、40本塁打以上と40盗塁以上の「40-40」も達成しそうな勢いだ。
8月3日の1試合3盗塁により大谷は今季31盗塁とし、それまでに記録していた33本塁打と合わせて「30-30」に到達した。この日はドジャースの111試合目。さらにそこから、ホームランと盗塁のどちらもひとつずつ増やし、ドジャースが115試合目を終えた8月7日の時点で「34本塁打&32盗塁」を記録している。
次々とメジャーの歴史を塗り替える大谷翔平 photo by AFLO
大谷の前に「30-30」を達成した選手は、1922年〜2023年のナ・リーグとア・リーグを合わせて延べ69人を数える。1921年以前は皆無だ。
ひとり目とふたり目の間にも、30年以上のブランクがある。最初の達成者は、1922年に39本塁打&37盗塁のケン・ウィリアムズ(当時セントルイス・ブラウンズ)。ふたり目は、1956年に36本塁打&40盗塁のウィリー・メイズ(当時ニューヨーク・ジャイアンツ)だ。
これまでの69人中、その上の「40-40」にたどり着いたのは5人。
1988年に42本塁打&40盗塁のホセ・カンセコ(当時オークランド・アスレチックス)、1996年に42本塁打&40盗塁のバリー・ボンズ(当時サンフランスシスコ・ジャイアンツ)、1998年に42本塁打&46盗塁のアレックス・ロドリゲス(当時シアトル・マリナーズ)、2006年に46本塁打&41盗塁のアルフォンソ・ソリアーノ(当時ワシントン・ナショナルズ)、そして昨季に41本塁打&73盗塁のロナルド・アクーニャJr.(アトランタ・ブレーブス)だ。
彼らのほかに「40-40」寸前で、リーチをかけた選手は4人いた。1973年のボビー・ボンズ(当時ジャイアンツ)が39本塁打&43盗塁、2002年のソリアーノ(当時ヤンキース)が39本塁打&41盗塁、同じく2002年のブラディミール・ゲレーロ(当時モントリオール・エクスポズ)が39本塁打&40盗塁、2011年のマット・ケンプ(当時ドジャース)が39本塁打&40盗塁。いずれも40盗塁に達したものの、「40-40」にはホームランが1本足りなかった。
【40本塁打&40盗塁は射程距離】1996年のバリー・ボンズは、父のボビーが惜しくも逃した「40-40」を達成したという見方もできる。2006年のソリアーノは、4年ぶり2度目のリーチで「40-40」に到達した。ちなみに、ボンズ親子と違い、ゲレーロの息子であるブラディミール・ゲレーロJr.(トロント・ブルージェイズ)は、「40-40」だけでなく「30-30」に近づくこともないだろう。ふたケタ盗塁のシーズンは、これまでに一度もないからだ。
2011年のケンプは、大谷が到達するまでドジャースで最後に「30-30」を達成した選手だった。その前の達成者も、1997年に30本塁打&32盗塁、1999年に33本塁打&36盗塁を記録したラウル・モンデシーしかいなかった。モンデシーは1992年〜1996年にドジャースの選手が5年続けて新人王となった時の3人目だ。エリック・キャロス、マイク・ピアッツァ、モンデシー、野茂英雄、トッド・ホランズワースの順に受賞した。
「40-40」を達成した5人と「40-40」にリーチをかけた4人に、今シーズンの大谷を加えた計10人を「30-30」に到達した速さ(チームが終えた試合数の少なさ)の順に並べると、トップ3は、107試合目のロドリゲス、110試合目のボンズ父、111試合目のカンセコと大谷となる。
また、チームが115試合を終えた時点で比べると、大谷の34本塁打と32盗塁をどちらも上回っている選手はいない。2006年のソリアーノは36本塁打だが28盗塁だった。昨季のアクーニャJr.は54盗塁ながらホームランは26本。1998年のロドリゲスはホームランも盗塁も大谷と同じ。あとの6人は、32本塁打以下と32盗塁以下だった。
今シーズンの前半戦、ドジャースは97試合を消化した。そこで大谷は29本のホームランを打ち、23盗塁を記録(出場は94試合)。これを162試合に換算すると、48〜49本塁打と38〜39盗塁となり、「40-40」には盗塁が少し足りない。
【盗塁の成功率は驚異の89%】しかし7月に入ってから、大谷は盗塁を急激に増やしている。4月の5盗塁(3月の1盗塁を含む)、5月の8盗塁、6月の3盗塁に対し、7月は12盗塁を記録した。今月も最初の6試合で4盗塁なので、このペースなら2カ月続けてふたケタに達する。ロサンゼルス・エンゼルスでプレーした過去6シーズンは、月別で2021年8月と2023年8月の7盗塁が最も多かった。
ホームランと盗塁は、記録するための"アプローチ"が異なる。たとえば、敬遠四球を除く50打席に立ち、一度もバットを振らずに全投球を見送ることは、まずない。バットを振れば、ホームランになり得る。一方、塁上に50度立っても、盗塁を試みないことはある。試みなければ、盗塁はいつまでもゼロだ。今シーズンのマーセル・オズナ(アトランタ・ブレーブス)は32本のホームランを打っているが、盗塁と盗塁死はひとつもない。
大谷は8月5日、2死から三盗を記録している。二塁ではなく三塁にいけば、パスボールやワイルドピッチ、内野安打によるホームインも起きるが、三盗を試みた場合、アウトになるかもしれない。外野に達するヒットなら、大谷のスピードをもってすれば二塁からでも生還できる。
もちろん、積極的なだけではない。32盗塁に対し、盗塁死は4度。成功率も88.9%と高い。過去2度のシーズン20盗塁以上、2021年(26盗塁)と2023年(20盗塁)の成功率は、今シーズンより10%以上も低かった。
ドジャースの115試合で34本塁打と32盗塁は、シーズン全体で47〜48本塁打と45〜46盗塁となるペースだ。前半終了時の162試合換算と比べると、ホームランはほとんど変わらず、盗塁は5以上増えている。
「30-30」や「40-40」のような10区切りではなく、5区切りにすると、「45-45」は史上初となる。
また、10区切りのまま、ホームランと盗塁の数を揃えなければ、50本塁打以上と40盗塁以上の「50-40」を達成する可能性もある。こちらも、まだ誰も成し遂げていない。それどころか、「50-30」も前人未到だ。
【162試合目までケガがなければ...】50本以上のホームランを打ったシーズンに20盗塁以上は、これまでに4人。1955年のメイズ(当時ジャイアンツ)が51本塁打&21盗塁、1996年のブレイディ・アンダーソン(当時ボルチモア・オリオールズ)が50本塁打&21盗塁、1998年のケン・グリフィーJr.(当時マリナーズ)が56本塁打&20盗塁、2007年のロドリゲス(当時ヤンキース)が54本塁打&24盗塁なので、いずれも25盗塁未満の「50-20」だ。
なお、1997年のラリー・ウォーカー(当時コロラド・ロッキーズ)は誰よりも「50-30」に近づいた。ロッキーズの160試合目に49本目のホームランを打ち、それまでの33盗塁と合わせ、史上初の「50-30」にリーチをかけたが、ひじの具合が思わしくなく、残る2試合は欠場した。
今シーズンの大谷の場合、50本塁打に到達すれば、「50-30」を超えて「50-40」となる可能性も高い。ウォーカーの例からもわかるように、ホームランを打ち、盗塁を決めるだけでなく、健康を維持することも大記録達成には不可欠な要素だろう。