【夏の甲子園】健大高崎を支える通算本塁打2ケタの控え選手たち 野球エリートが直面した過酷な現実
8月7日、今春センバツ王者の健大高崎(群馬)は夏の甲子園初戦を迎え、英明(香川)を1対0で破った。
高校通算35本塁打のドラフト候補・箱山遥人など、打線には強打者がズラリと並ぶ。チーム内での本塁打数の上位を挙げていくと、森山竜之輔(22本)、田中陽翔(21本)、横道周悟(20本)、佐々木貫汰(19本)、斎藤銀乃助(12本)と続く。
そして恐るべきことに、ベンチに控える背番号2ケタの選手のなかに高校通算10本以上の本塁打を打っている選手が4人もいるのだ。
史上8校目の甲子園春夏連覇を狙う健大高崎ナイン photo by Ohtomo Yoshiyuki
背番号17の白石楓真と背番号14の村山眞琴は通算11本塁打、背番号13の岸野祥大と背番号15の川名健太郎は通算10本塁打。本塁打の数だけなら、高校屈指のアベレージヒッターである高山裕次郎の通算8本を凌ぐ。
あらためて健大高崎の選手層の厚さを感じずにはいられなかったが、その当事者である背番号13の岸野は衝撃の証言をした。
「メンバー外にも10本以上打ってるヤツがいますよ。3年生にひとり、2年生にもひとりいます」
もちろん、野球は本塁打の数を競うスポーツではない。健大高崎のレギュラーには俊足巧打の加藤大成(2年/高校通算1本塁打)のようなキャラクターもいる。
それでも、2ケタ本塁打を放つだけの力量を持った選手が控えと聞けば、「もったいない」と思ってしまうのが人情だろう。
この日、試合出場のなかった岸野に聞いてみると、こんな反応が返ってきた。
「自分も何回か思ったことはあります。ベンチの2枚目(2番手格)やメンバー外の選手でも、『ほかのチームなら主力で出られるよな......』と。そんな選手が集まっているから強いのだと思いますし、なかには『もったいない』と思ってしまう人もいるのかもしれないですね」
岸野自身、華やかな野球人生を歩んできた。連雀スパローズに所属した小学生時代は12球団ジュニアトーナメントのヤクルトジュニアに選ばれた。中学では全国大会常連の強豪校である駿台学園中に進学し、湯浅桜翼(仙台育英)らとプレー。4番打者として活躍した。
「自分が高校で2ケタの背番号をつけるとは想像していなかったのでは?」と聞くと、岸野は「中学までは想像できませんでした」と明かし、こう続けた。
「中学野球を引退したあとに健大に誰が入ってくるかを聞いたり、実際に入学してレベルを実感したりして、『まずはベンチ入りを目指そう』と思いました。1個上、2個上の先輩のレベルも高かったので、自分たちの代になった時を想像して、『どこのピースに入れるか?』を考えながら練習していました」
チームから提供されたアンケート資料を見ると、岸野の選手評は「なんでもこなすスーパーサブ」と記されていた。内外野を守れる特性を生かし、今春のセンバツ準決勝・星稜(石川)戦では「7番・レフト」で先発出場。今春の群馬県大会ではファーストの森山がサードに回ったチーム事情もあり、岸野が「背番号3」をつけた。だが、夏の群馬大会からは再び背番号が13に戻っている。
レギュラーまで手が届きそうで、届かない。そんなもどかしい状況が続いている。
自分が試合に出たい思いと、チームとして勝ちたい思い。ふたつの思いはどちらのほうが大きいのだろうか。酷な質問と思いつつ聞いてみると、岸野は迷うそぶりも見せずに即答した。
「最終的にチームの勝利のためにやっています。もちろん試合には出たいですけど、出られなくても自分ができる役割に徹することだけを考えています」
出られなくてもできる役割とは何か。岸野は「今日ならランナーコーチとか......」と具体例を挙げつつ、こう続けた。
「物事を冷静に見られるのが自分の武器なので、試合に出ているメンバーにその視点から声をかけることもチームの戦力になると思っています」
岸野の将来の夢は「スポーツ関係の仕事につくこと」だという。
「中学までは『プロ野球選手になる』と言っていたんですけど、健大で『こういうヤツがプロに行くんだろうな』という選手を見てきて、自分の力量では厳しいと思いました」
そして、岸野は苦笑を浮かべながらこんな話を教えてくれた。
「小学生の頃の友だちは『おまえなら(試合に)出れるでしょ!』と言われるんです。ちょっと心苦しいですね」
【チャンスは全員分け隔てなくもらえている】背番号17の白石は千葉の名門・佐倉シニアの出身だ。当時は石塚裕惺(現・花咲徳栄)、西崎桔平(現・帝京)、洗平比呂(現・八戸学院光星)といったタレントが揃うなか、白石はキャプテン・4番打者の重責を担った。
身長182センチ、体重83キロの大型外野手。当然ながら高校でも主軸を打ちたいと考えていた白石だったが、過酷な現実に直面する。
「練習初日に周りのレベルを見て、『これは違うな......』と思いました。とくに背番号1ケタの3人(外野手の横道、佐々木、斎藤)はレベルが高かったです。彼らは、最初は内野手だったので、外野に来た時は『ヤバいな』と焦りました」
厳しい競争を繰り広げるなか、「なんであいつが使われて、自分が使われないんだ」という不平不満が出ても不思議ではない。だが、白石は自分が2ケタ背番号をつけることに納得していると語る。
「力量に差があっても、チャンスは全員分け隔てなくもらえていますから。土日はずっと練習試合を組んでもらえて、たとえベンチに入れないような選手であっても試合に使ってもらっています」
今年度の健大高崎は今夏の甲子園までに25試合の公式戦を戦う傍ら、練習試合を117試合も組んでいる。白石によると、「そのうち半分にレギュラーメンバーが出て、残りの半分に2枚目を争うメンバーが出ている」という感覚だという。試合に出ているからこそ、本塁打数も増えていく。
それでも、レギュラーに遠く及ばない選手が腐ってしまうことはないのだろうか。そんな疑問をぶつけると、白石はこんな話を教えてくれた。
「いいことも悪いことも、ひとりから伝染していきます。正直に言って『今日はきついな』という日もあるんですけど、実際に気持ちを切らしたら周りに伝染します。キャプテンの箱山もそんな話をしているんですけど、そんなチームにしたくないので自分は気持ちを切り替えるようにしています」
今夏は白石にとって大きなチャンスだった。群馬大会準々決勝の高崎経済大付戦では高校通算11号となる本塁打を放っている。準決勝、決勝では「8番・センター」として先発メンバーに名を連ねた。
だが、安打は本塁打の1本だけ。甲子園初戦の前夜、首脳陣から発表された先発メンバーに、白石の名前はなかった。代わりにセンターに入ったのは、1年生の石田雄星だった。白石は眠れない夜を過ごすことになる。
「悔しかったです。(群馬大会)決勝で打っていたら出ていたのかな......とか、夜は引きずってしまいました」
だが、試合当日になると気持ちを切り替えた。
「全員が同じ熱意をもって、勝ちたい思いをもってやっているのに、誰かが試合に出られないことを引きずっていたらチームは一丸になれません。もちろん試合には出たいし、勝ちたいです。でも、スタメンが決まった以上は、あとは自分が勝つために何をすべきかを考えて、準備をするしかないですから」
試合終盤、白石はレフトの守備固めに入った。8回裏の健大高崎の攻撃、一死一塁の場面で白石はネクストバッターズサークルにいた。その時点で1点をリードしていた健大高崎がそのまま逃げきれば、9回裏の攻撃はない。この試合で白石が打席に入る、最初で最後のチャンスだった。
打席の森山が放った打球はショート正面のゴロになり、おあつらえむきの併殺コースになった。ところが、一塁への送球がそれて併殺崩れに。白石まで打順が回ってきた。
白石は神妙な表情で、打席に立てた感慨を口にする。
「センバツでは打席に立てなかったので、立ちたいな......と思っていたんです。神様が立たせてくれたのかな......」
結果は初球を打ってライトフライ。だが、白石は「悔いないように振れてよかったです」と振り返る。これが野球人生最後の打席になるかもしれない覚悟をもって、打席に臨んでいた。
「大学では野球をやめて、英語を勉強したいと思っています。春はセンバツで優勝して、夏もここまで連れてきてもらって、野球人生はすごく充実していました。今は野球に集中していますけど、終わったら新しいことにチャレンジしたいんです。いつかは海外に行って、自分の世界を広げてみたいです」
岸野、白石の話を聞くなかで、「日本一のチームのユニフォームを着るということは、こういうことなのか......」という実感が湧いてきた。
上には上がいる。そんな厳しい現実に打ちのめされても、彼らは気持ちを切り替えて「自分に何ができるか」を模索して2ケタの背番号を手にした。それは背番号をつけられなかった者たちの思いまで背負うことを意味した。
白石は最後にこんな思いを口にしている。
「群馬大会は2試合がタイブレークにもつれ込んで、いつ心が折れてもおかしくない試合ばかりでした。でも、そんな時にスタンドのみんなが声を出している姿、手を叩いている姿を見て『負けちゃいけない』と力になりました」
健大高崎が強い理由。もちろん、個々の能力が高いこともひとつの要因だろう。だが、それだけでは勝てないことを"最強の2ケタ番号たち"は知っている。