エースの江村美咲はサーブル個人戦の悔しさをサーブル団体戦でぶつけた photo by JMPA

 男子エペ個人の加納虹輝(日本航空)の金メダル獲得で勢いがついたフェンシング日本代表。1900年にパリ万博のために建設された大規模展覧会場、グラン・パレ特設会場の大歓声に包まれる独特な雰囲気のなか、日本女子は、個人戦で惨敗と言える結果だったフルーレとサーブルの団体戦でともに銅メダルを史上初めて獲得。新たな歴史を切り開いた。

【フルーレ団体は粘りきり悲願のメダル獲得】

 女子フルーレは、競技2日目の個人戦に世界ランキング12位の東晟良(あずま・せら/共同カイテック)、16位の上野優佳(エア・ウォーター)、25位の宮脇花輪(三菱電機)が出場し、いずれもランキング20位前後の選手相手に初戦で敗退。グラン・パレの雰囲気に呑まれてしまう結果になった。

 フランス人のフランク・ボアダン統括コーチは「3人とも緊張してしまい、同じようなミスをした。だから私は『怒っているわけではない。君たちもガッカリしているだろうが、僕もガッカリしている』と自分の気持ちを正直に話した。そして団体戦は、みんなに与えられた2度目のチャンスの場だ」と説明した。

 また、菅原智恵子コーチも「個人戦が終わってからは『なんとしてもメダルを持って帰る』と言い続けました。選手たちもおそらくそういう気持だっただろうけど、言葉で言って改めて意識させようと思った」と笑う。

 メダル獲得を狙うフルーレ団体戦の最大のポイントは、世界ランキング5位のポーランドとの初戦だった。「個人戦を終えたあと、みんなでポーランドの試合のビデオを見て対策を立て、(マルティナ・)イエリンスカ選手でしっかり取り、世界ランキング5位の(ユリア・)バルチククリマシク選手では失点しないようにという作戦だった」という宮脇は、6対7で迎えた3ゲーム目に、作戦どおりイエリンスカから9点を取り、フルマークの15点にして流れを変え、45対30で勝利。メダルに向けて前進した。

 準決勝で戦ったイタリアは世界ランキング1位でこれまで勝ったことがない相手。39対45の敗戦は織り込み済みだったが、30対40で試合を受け継いだアンカーの上野が5連続得点などで一時は4点差まで詰める勢いを見せたことが、3位決定戦につながった。

 3位決定戦は、初戦で世界ランキング3位のフランスを破ったカナダ。得意のロースコアの展開に持ち込まれたが、日本は中盤からジワジワと差を広げて第8ゲームの東が終わった時点で32対29。アンカーの上野も格上の世界ランキング8位エレアノア・ハーベイに残り50秒で33対32まで追い詰められたが、「ああいう状況は今までもけっこうあったけど、どんな時でも頼りになる上野選手なので信じることしかなかった」と、左利きが多いカナダに相性がいいと第4ゲームから宮脇に代わって登場した菊池小巻(セガサミーホールディングス)が言うように、50秒間を粘りきった。

 メダル獲得が決まった瞬間、ボロボロと涙を流した菅原コーチは「31点目を取られた残り1分40秒くらいからはすごく長くて、ずっと『早く終わってくれ』と思っていました。世界選手権では男子より女子のほうが先にメダルを獲っていたが、オリンピックではなかったので......。選手たちは本当にすごいなと思いました」と振り返った。

【ついにオリンピックの結果に繋がる】


フルーレ団体で銅メダルを勝ち取ったメンバーたち(左から宮脇、上野、菊池、東) photo by JMPA

 男子は2008年北京五輪で太田雄貴が銀メダルを獲得したのをキッカケにレベルを上げ、2012年ロンドン五輪の団体銀や世界選手権の個人や団体でのメダル獲得も果たした。世代交代をした2016年リオデジャネイロ五輪後も、世界選手権では若い世代のダブル表彰台や、昨年の団体初優勝という快挙も果たした。

 だが、2003年にウクライナからオレグ・マチェイチュクコーチを招聘してフルーレの強化を始めてから、先に結果を出していたのは女子だった。2005年には現在コーチを務める菅原がワールドカップ初優勝を果たし、2007年3月に団体でワールドカップ初表彰台の3位になり、10月の世界選手権も3位。北京五輪でも太田の前に7位で日本人初入賞を果たしていた。

 その後は男子を追いかける立場になったが、選手たちは高い意識を持ち続けた。

「東京五輪では4強に入るのも難しい状況だったが、その後はワールドカップ団体でも今のメンバーで安定してメダルを獲れるようになり、昨年の世界選手権も銅メダルで五輪のメダルも現実的になってきました。

 期待されるようになってプレッシャーも大きくなったが、コーチが『絶対に獲れる』と勇気づけてくれ、自分たちも自信が湧いていい流れになった」(東)

「今まで大舞台の結果を問われてきたけど、ここで勝ちきれたことは本当にうれしい。東京五輪のあとはコーチも練習の時からオリンピックの話をしてずっと意識させてくれた結果だと思う」(上野)

 菅原コーチは「(今回)銅メダルだったので、次は金を目指す」と言い、「この結果を見て若い選手たちが『自分たちもできる』と思うはず。男子フルーレがそういうふうにレベルが上がってきたので、女子フルーレもそうなっていく」と期待の言葉を続けた。

【個人戦の敗戦を団体戦に活かした江村】


女子サーブル団体で銅メダルを獲得したメンバーたち(左から江村、尾崎、福島、高嶋) photo by JMPA

 4人全員が世界ランキング10〜20位台にいるフルーレと違い、世界選手権個人2連覇中の江村美咲(立飛ホールディングス)以外のメンバーは30位台後半というサーブルは、完全に江村のチームだ。その大黒柱への信頼感が、サーブル初の五輪メダルを実現させた。

 江村は金メダルを期待された7月29日の個人戦では、第2シードと有利な組み合わせだったが、苦戦を強いられた。初戦は世界ランキング47位のオレナ・クラバツカ(ウクライナ)相手に4点先取される展開。競り合いに持ち込まれ、15対14と「ポイントの取り急ぎが目立った」という苦しい試合になった。

 そして2戦目の3回戦、対チェ・セビン(韓国)ではフットワークが浮き足立って焦るような姿を見せる。「持ち味のフットワークを使えない、一番悪い癖が出た」と振り返るように、3対3から一気に点差を広げられ、第2ゲーム残り2分25秒で7対15と、まさかの敗戦。大会前に太腿を痛めた調整不足に、旗手としての責任感も重なった結果だった。

 だが、その敗因を「自分の弱さの問題」と評した江村は、5日後の8月3日に行なわれた団体戦で、エースとしての責任感の強さを見せた。初戦のハンガリー戦は世界ランキング2位の強敵。「コンディション的にはフレッシュな気持ちで挑めた」という江村も最初の2戦は競り合うなかで相手に得点を許したが、40対37でバトンを受けた9戦目は相手を完封して45対37の勝利を決めた。

 準決勝の対ウクライナ戦に敗れ、3位決定戦は世界ランキング1位のフランス。会場は完全にアウェー状態となったが、郄島理沙(オリエンタル酵母工業)や、準決勝の途中で福島史帆実(セプテーニ・ホールディングス)と交代した尾粼世梨(法大)が力を発揮するなか、40対37でバトンを受けた江村は、「賭けに近いようなリスキーな戦いで前に出る怖さもあったが、チームメイトが背中を押してくれた」と、個人戦銀メダルのサラ・バルザーに1点差まで迫られながらも、そこからきっちりとポイントを取り切って45対40で勝負を決めた。

「個人戦のあとで気持を切り替えようとしたが、やろうという気持になったり、急に不安になったりと、自分の感情がわからないまま団体戦を迎えた。最後まで自分のよさが発揮できない苦しい展開が続いたが、チームのみんなや応援のおかげで心折れずに最後まで戦うことができました」(江村)

 女子サーブル団体は2022年にはワールドカップで2位、世界選手権でも3位になり、世界ランキングも2021〜22年は4位まで上げたが、2022〜23年10位と低迷した。

 その頃との違いを江村は、「当時はチームだけど助け合うより、『自分がやらなければ』と背負いすぎてひとりで戦っているような雰囲気があった。でも、今回は1点1点をなんとかつないでいく、勝っても負けてもみんなの責任で戦っている感じがした」と振り返る。

 昨年のアジア大会では、個人戦は直前の捻挫の不安もあって欠場したが、団体戦の準決勝では10点以上の大差をつけられた状況でアンカーとして登場し、大逆転劇を演じた。そんなエースが不安を抱えていた今回は、ほかの選手も奮起した。そんなチーム意識の変革は次の世代の選手たちにも伝わり、新たな力になるはず。

 江村はパリ五輪での団体戦で、自身、そしてチームの心も作り上げた。