18人の青春〜和歌山南陵高校物語(2)

 小鳥やセミの鳴き声が聞こえる田園風景が続く傍らを、資材を積んだトラックが轟音を立てて通り過ぎていく。和歌山県中部にある御坊市の中心部から、和歌山県道25号御坊中津線を西へ1時間以上も歩いた。

 道中に「和歌山南陵高校」の案内板をひとつも目にすることなく、丘の上に建つ校舎までたどり着いた。


全校生徒18人のため、ひとつの教室で授業を受けている photo by Kikuchi Takahiro

【毎月1500万円の赤字】

 1990年に和歌山国際海洋高校として開校した私立高校。創設者は元衆議院議員の井脇ノブ子。ピンクのスーツを身にまとい、「やる気、元気、井脇!」のキャッチフレーズで知られた人物だった。自身が設立した財団法人少年の船協会の卒業生を受け入れるために学校法人を立ち上げ、静岡と和歌山に高校を開校した。

 しかし、多くの負債を残して井脇は2010年に理事長を退任。新体制のもと学校名を和歌山南陵と改め、民事再生手続きを進めている。兄弟校の菊川南陵は野球部が2013年夏の静岡大会で準優勝と躍進した。

 和歌山南陵の野球部は2016年に元オリックス二軍監督の岡本哲司(現・徳島インディゴソックス監督)が監督に就任。部員数が3学年合わせて100人を超えるほど集まった時期もある。

 だが、その後はネガティブなニュースばかりが報じられるようになる。菊川南陵は2021年度から休校になり、和歌山南陵は全校生徒わずか18名という惨状。学校法人として生徒募集停止の措置命令が出ているため、3年生が卒業すれば生徒数はゼロになる。

 今年4月に理事長に就いた甲斐三樹彦は、「毎月1500万円の赤字が積み重なっていきます」と明かした。

 古びた校舎の教室は、ほとんど空き部屋になっている。18人の生徒はひとつの教室内に机を並べ、授業を受けていた。女子生徒は吹奏楽部員の西菊乃しかいない。

 同級生が次々に学校をやめていくなか、西は和歌山南陵に残り続けた。どんな思いで学校生活を送っているのか聞くと、西は達観した様子で語り始めた。

「高校1年の夏休み明けに学校に来たら、みんな学校をやめていました。高1の終わりくらいに私もやめたいなと思ったんですけど、その時はバレー部や吹奏楽部の友だちもいたので。それも高2の終わりにバレー部が廃部になって、みんな転籍していって。吹奏楽部の子もやめて私ひとりになりました。女子ひとりで不便さはありますけど、とくに変わりはないですね。年相応のいざこざはあっても、仲はいいと思いますよ」

【朝食が菓子パン1個だけ】

 バスケットボール部員のアリュー・イドリス・アブバカはナイジェリアからの留学生。205センチの長身ながらオールラウンドプレーヤーとして活躍し、インターハイ出場の原動力になった。

 同級生から「イディ」と呼ばれるアブバカはスマートフォンの翻訳機能を駆使しながら、授業を受けていた。週4回、非常勤の講師による日本語の授業を受けており、日常会話には支障がないほど日本語を扱える。

「みんな仲がいいし、コミュニケーションがとれているのでストレスはないです。食事は納豆がまずかったけど、だいぶ慣れました」

 そんなアブバカが「一度、ナイジェリアに帰りたいと思った」と明かすのが、寮の劣悪な環境だった。

 学校側の許可を得て、寮内を見回ってみる。室内というのに、空き部屋には水たまりが浮いている。天井を見上げるとタイルがはがれ落ち、黒ずんでいる。頻繁に水漏れを起こし、部屋やトイレが水浸しになるという。大浴場はまるで廃旅館のように荒れ果てていた。

 一時は業者への未払いが常態化していたため、「朝食が菓子パン1個だけ」とセンセーショナルに報じられたこともあった。

 その一方で、野球部主将の渡邊蓮は意外なことを口にした。

「おかずは少なかったんですけど、量は多く食べられたので高校で体が大きくなりました。中学までは171センチ、58キロだったのが、今は173センチ、70キロに増えています」

 学校をやめたいと思う時期はなかったのか。そう聞くと、渡邊は決然とした口調でこう答えた。

「自分は覚悟を決めて入ったので、一度来たからには最後までやり遂げるつもりでした。周りはけっこうやめたいと言っていましたけど、ひとりになってもやる気持ちでした」


まるで廃旅館のような荒れ果てた大浴場 photo by Kikuchi Takahiro

 とはいえ、誰もが渡邊のようにたくましい精神力を持っているわけではない。渡邊に「学校をやめそうだった人はいますか?」と聞くと、真っ先に名前が挙がったのが1番打者として活躍する佐々木陸斗だった。

「佐々木は入寮1日目に『やめたい』と言っていましたから」

 佐々木本人に聞いてみると、苦笑しながら当時を振り返ってくれた。

「自分は頭が悪くて、行ける高校がなくて最後まで声をかけてくれた南陵に入ったんです。でも、入学して最初の1週間はホームシックになって、実家に帰りたくてしょうがなかったですね。1年生が12人入って、すぐに2人やめて10人になって。あとひとり欠けたら終わりやな......と思ってからやめられなくなりました。みんな仲がいいので、励まし合って最後まで続けられましたね」

【相次ぐ教職員たちの退職】

 苦しい状況にあったのは、給与の未払いを経験した教職員も同じだ。教員の北原亮太は2022年のストの当事者だが、スト当日も通勤して自習する生徒の見守りをしていたという。

「それをストというのか僕にはわかりませんが、学校に来るなと強要されることもなかったので。学校経営のことをいろんな人に聞かれるんですけど、旧経営陣の頃は現場にいる教員まで情報が下りてこなくて。新聞沙汰になって初めて『こんな状態なんだ』と知ったくらいでした」

 教職員の退職も相次ぎ、部活動を指導できる人材がいなくなって部が廃部になり、また生徒の転校が続出する負のループ。旧経営陣を一掃して新たに理事長に就いたのが、経営コンサルタントの甲斐だった。

「学校だけで再建はできません。いろんな企業の力を借りて、タイアップしながら生徒を育てていきたいんです。高校生にお金の話をするのは汚らしいと思われる風潮がありますが、私は社会に出た時の現実を教えたい。頭のいい、悪いではなく、生きていける力をつけさせてあげたい。彼らは過酷な学校生活のなかで、その土台をつくってきていますから」

 甲斐理事長は金策に回り、滞納金を完済。寮の食生活も改善され、老朽化が進む校舎を改修するためにクラウドファンディングを開始している。

 学校再建に向けた大きな焦点になるのは、学校法人として受けている生徒募集停止の措置が解除されるか否か。甲斐理事長に見通しを聞くと、「(措置解除に向けた)書類はひと通り提出しています」という答えとともに、驚愕の事実が明らかになった。

「ここ2年分の学校の決算書がなかったので、会計士とさかのぼって処理しています」

 学校の決算書がない──。そんなことがありえるのか聞くと、甲斐理事長は困惑した表情でこう答えた。

「そうなんです。お金の問題だけでなく、国から指導されてきた書類も手つかずで山積みになっていたんです。生徒募集停止の措置が解除されれば協力してくれるという企業もあるので、なんとか解除に向けて動いている最中です」

 苦境にあえぐ和歌山南陵だったが、そのなかでも大きな希望の光があった。部員わずか6人のバスケ部が今夏に福岡県で開催されるインターハイに出場したのだ。

(つづく)