パリオリンピックのケニア戦がラストマッチに 日本女子バレーにとって古賀紗理那とは
8月3日、パリ南アリーナ。パリ五輪女子バレーボール予選、ケニア戦前のウォームアップのスパイク練習だった。古賀紗理那は誰よりも、一瞬一瞬を大事にしていた。
セッターからのトスがやや低かったのか、古賀はスパイクの打点がしっくりいかなかったようで、走って列に戻りながら振り返り、人差し指を上に差して声をかける。"次は、もう少し上で"というジェスチャーだった。その次は感覚が合ったようで、高い打点から自分優位に打ち込み、明るい表情のサムアップで返していた。
日本最高の女子バレーボール選手として世界と戦ってきた古賀は、そういう瞬間を何度も、何度も繰り返してきたのだろう。それは努力を超えている。バレーボールが人生そのもので、改善、向上そのものが楽しさだ。
ゲーム中、プレーで通じ合い、成功し、自然に笑みが溢れる。そして仲間と喜び合う。その瞬間だけが「バレーボールが大好きな古賀紗理那」の真実なのだろう。
日本はケニア戦、3−0とストレートで勝利を収めている。しかしその時点で準々決勝進出は他のチームの成績次第に。事実上の終戦だった。
ケニアに勝利後、古賀はコートで泣き崩れていた。そこにチームメイトたちが集まった。キャプテンとして張ってきた気がプツリときれたのか。あるいは「パリ五輪で現役引退」と表明し、バレー人生の終焉が心を強く揺さぶったのか。いずれにせよ、彼女は人生のすべてを投じ、そこにいた。
ケニア戦後、涙ぐむ古賀紗理那を囲む日本の選手たち photo by Kyodo news
「今日が最後かもしれないし、もしかしたら最後じゃないかしれない。私たちができることはストレートで勝つことだったので、そこがクリアできたのはよかったと思います」
試合後の取材エリアで、淡々と語った古賀は泣いていない。
「最終的に負けたら悔しいし、勝ったらうれしいし......そんなに簡単に勝たせてくれないし......。私たちも(五輪出場の)切符を獲得するために合宿して、"チームみんなで戦う"とやってきました。(メダルなど)結果として出なかったかもしれないけど、それ(やってきたこと)は消えないので、よかったかなと思います」
【キャプテンでエースの重責】
その翌日、フランスはアメリカを相手に大接戦を演じた。この試合でフランスがアメリカにストレート勝ちすることが、日本の準々決勝進出の条件だった。フランスは地元の大声援に押され、サーブやブロックで拮抗。1セット目、27−29と、あと一歩まで追い詰めたのだが......。
パリ五輪の日本女子バレーは幕を下ろした。ケニア戦が、古賀のラストマッチになったのだ。
古賀紗理那とは何者だったのか?
今年6月のネーションズリーグ福岡大会で、カナダに逆転負けし、五輪出場権を自力で決められなかった試合のあとだった(結局、複雑な得点の計算により、のちに日本の五輪出場が決まっていたことが判明)。どこか不穏な空気のなか、"気持ちが足りない"という意見がたち込み始めていたが、古賀はそれを牽制する発言をしていた。
「こういう時には特に、"気持ちが弱かった"と捉える人も多いと思います。選手でもスタッフでも、たくさんいると思いますけど、もちろん、気持ちは大事なんですけど、まずは自分たちがやるべきことを整理するのが大事で、たとえばコンビの精度、"パスをこう作ろう"というのをしっかり確認し、次に向かえるように......」
彼女は、あくまでバレーボールと向き合っていた。勝ち負け以上に、バレーで上回れるか。そこを突き詰めないと、体格的に劣る日本が勝つことはできないし、世界と戦えず、選手として楽しくもないのだろう。
一方で、矛盾するようだが、彼女は誰よりも"気持ち"の選手だった。気持ちが入っていることで強度も出た。
ケニア戦後、彼女はこう語っていた。
「(パリ五輪は)タフな試合が続きました。私たちの苦しい時間帯がたくさんあって、1、2戦目は特に苦しかったです。でも、そこでも自分は声をきらさずにプレーしようとやっていました。世界のチームと対等に戦うには、他国のチームよりも精度の高いサーブや、ディフェンス、オフェンスもカギになってくるんだろうな、というのを予選3試合で感じました」
彼女はバレーを考え、感じていた。冷静と情熱の間を、たゆたうように戦い続けたのだろう。キャプテンとエースの重責を同時に担った。
眞鍋政義監督も、その点を激賞していた。
「古賀はこの大会(パリ五輪)だけでなく、日本のエースとして、キャプテンとして、2年3〜4カ月の間、よくやってくれました。特に(パリ五輪出場をかけた)ネーションズリーグの1カ月半はそうですね。初めはどうなるのか、と思っていましたが、キャプテンという役職が人間を成長させるんだな、とつくづく思いました」
眞鍋監督は、選手に苦言を呈すことも少なくなかったが、チームを託した古賀には満点を与えていた。文句をつけられない実力と献身だったのだろう。日本女子バレーのひとつの時代を背負ったヒロインだ。
ただ、古賀本人にとっては孤高の戦いだったのではないか。彼女は双肩に重荷を背負いすぎていたようにも映る。どこかで悲壮感が漂った。解き放たれた古賀は、どんなバレーをしたのだろうか。
取材エリアで古賀は、自らの"ラストマッチ"への質問は興味を示さず、「いつもどおり」と流していた。
「(五輪は)苦しい試合ばかりでした。でも、オリンピックの出場権を獲ったのも私たちで、みんな、自信を持ってやったらなって思います」
最後に絞り出した言葉は、自分に続く者たちへのエールだった。