プロ野球選手の甲子園奮戦記(4)〜オコエ瑠偉(巨人)

【オコエ瑠偉を覚醒させた魔法のひと言】

 ナイジェリア人の父と日本人の母を持ち、抜群の身体能力を武器に「ドラフト候補」として高校時代から注目を集めていたオコエ瑠偉。50メートル5.96秒の俊足で、東東京大会では25打数11安打、打率.440とリードオフマンとして打線を牽引した。

 2015年夏の甲子園で、そのオコエの才能が一気に開花した。


2015年夏の甲子園で走攻守にわたり大活躍した関東一のオコエ瑠偉 photo by Okazawa Katsuro

 高岡商との初戦は「足」で魅せた。1回の第1打席。ファーストを強襲した打球がファウルゾーンに転がったことを確認したオコエが、トップスピードで二塁を陥れる。

 そして圧巻だったのが3回だ。第2打席でスリーベースを放つと打者一巡した第3打席でも右中間への打球を飛ばし、スライディングすることなく悠々と三塁ベースまで到達した。1イニングで2本の三塁打は49年ぶり2人目の珍しい記録だった。3安打4打点の結果以上のド派手な甲子園デビューとなった。

 グラウンドでは笑顔を絶やさず、のびのびとプレーするシーンも話題となったオコエだが、この年の春先までは「自信がない時もあった」と漏らしていた。持ち味の俊足も満足に生かせず、守備でも積極的ではなかった。バッティングにしても繊細だと自覚するように、打てないと気にすることもあった。

 そんな脱皮できずにいたオコエに自信を抱かせたのが、監督の米澤貴光である。

「おまえはうまい」

 この魔法のひと言でオコエは覚醒。東東京大会での爆発、高岡商戦での衝撃のパフォーマンスへとつながった。

【ベスト4進出の立役者に】

 そして3回戦の中京大中京戦でオコエは、守備で甲子園を黙らせた。

 初回、二死満塁から相手バッターが放った打球がセンター頭上を襲う。オコエが甲子園の天然芝を強く蹴り、加速してフェンス間際で左腕を目一杯伸ばしてこの大飛球をキャッチしたのである。抜けていれば3点入っていた場面、試合の流れを変えたのがオコエのプレーだった。

「打球が上がった瞬間にフライだと思ったけどけっこう伸びてきて、『届くかな?』と思って手を伸ばしたら捕れました」

 試合後、サヨナラで勝利した余韻に浸りながら初回の超美技について振り返ったオコエだったが、そこにはたしかな根拠があった。

 普段からキャッチャーが構えるコースやピッチャーが投じるボールを見極め、瞬時にポジショニングを取ることを意識しているという。それを甲子園の大舞台でも抜かりなく実践。甲子園の観衆の度肝を抜いたプレーは、必然的に生まれたものだった。

 株を上げ続けるオコエにとって甲子園のハイライトは、準々決勝の興南戦だろう。

 相手左腕の比屋根雅也に4打席封じ込められて迎えた9回。スコアは3対3。二死二塁と勝ち越しのチャンスで打席が回ってきたオコエには確信があった。

「それまでの4打席っていうのはインコースを攻められて打てなくて、相手も舐めていたと思うんですよ。自分も悔しかったけど、配球とか球筋とかもうわかっていたんで『打てないほうがおかしい』って」

 絶対、インコースに来る──2ボール1ストライクからの4球目。ひざ元に食い込むストレートを強振して捉えた瞬間、オコエがバットを放り上げる。レフトスタンドへ豪快な一発をお見舞いしてリベンジしたオコエは、「修正能力が生かされる場面でよく打てた」と自画自賛した。

 この夏、ベスト4まで進出した関東一で最も光を放っていたのがオコエだった。


オコエ瑠偉(おこえ・るい)/1997年7月21日、東京都生まれ。関東一では3年夏に甲子園に出場し、ベスト進出の原動力に。2015年のドラフトで楽天から1位指名を受け入団。1年目から51試合に出場し、2年目には41試合ながら打率3割をマーク。しかしその後は伸び悩み、22年は6試合の出場にとどまり、オフに現役ドラフトで巨人に移籍。移籍1年目の23年は開幕スタメンを勝ちとるなど飛躍が期待されたが、思うような結果は残せなかった。それでも抜群の身体能力を武器に定位置奪取を目指している