小島秀夫「髭と眼鏡が僕のアイコン」 自身の“ヒゲとメガネ”の歴史を振り返る

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小島秀夫の右脳が大好きなこと=を日常から切り取り、それを左脳で深掘りする、未来への考察&応援エッセイ「ゲームクリエイター小島秀夫のan‐an‐an、とっても大好き」。第16回目のテーマは「ヒゲとメガネとHIDEO」です。

髭と眼鏡が僕のアイコンであり、僕のイメージとして定着しているらしい。SNSから流れてくる僕の似顔絵にも髭と眼鏡が必ずフィーチャーされている。髭と眼鏡だけで僕のコスプレだと主張する強気のレイヤーもいる。海外の人には、髭と眼鏡のアジア人はみんな「HIDEO KOJIMA」に見えるらしい。もちろん子供の頃の僕には、ヒゲもメガネもなかった。

僕が眼鏡をかけだしたのは、平成を迎えた1991年くらいのことだ。僕の人生の半分は裸眼だったわけだ。両親も兄弟も親戚一同さえも、誰も眼鏡をかけてはいなかった。まさか自分が将来、眼鏡をかけることになろうとは思いもしなかった。

とはいえ、僕は以前から眼が人より弱かった。暗い部屋でテレビや映画ばかりを観ていたのが祟ったのだろう。小学2年生の時の視力検査で、検査医師から忠告を受けた。「左右の視力が違うので顔を斜めにして見る癖がついている。矯正した方がいい」と。しかし、乱視が強いので当時の技術での矯正は難しいという結論になった。あの頃は、まだコンタクトはメジャーではなかった。眼鏡は逃れたものの、教室では前の方に座らされることとなった。

小学5年になって、川西市(注1)に引越しすることになった。周囲には山や緑が多かったせいか、視力は日常生活で回復した。

ところが、ゲーム業界に入り、5年くらい経った頃、異変が起こった。最初は頭痛が酷くなり、続いて眼が痛くなり、ゲーム開発を続けられないほどに悪化した。20数年ぶりに駆け込んだ眼医者に、「それは見えてないからですよ。矯正すべき」と言われ、僕は人生で初めて眼鏡を作った。最初は、日本語字幕が見えるようにと、映画館でだけかける程度だった。ところが、当時開発していたPC版『ポリスノーツ』(注2)というタイトルで、内作した自家製ツールを使い始めてから、一気に視力が落ちた。“眼に優しい”市販ツールではなく、スタッフが簡易製作した“眼に厳しい”ツールでの無理な作業のせいだった。日常でも眼鏡をかけるようになると、眼鏡はいつの間にか、僕の身体の一部となった。昔から眼鏡をかけていたかのように、僕の裸眼人生は永遠に抹消された。

2015年年末、30年近く勤めたKONAMIを辞めて、独立した。この時、自分もイメチェンを図ろうと思った。そこで髭を生やそうと考えた。

実は、髭面は嫌いだった。昭和の時代、髭はどちらかというとネガティブな印象を与えるものだったのだ。それに、毎朝、目覚めて髭を剃るという行為が、1日の始まりとしては心地よいものだった。髭を生やせば、その小さなリズムは失われてしまう。

しかし、だからこそ髭は独立の新たなアイコンになる、と考えたのだ。

本当はスピルバーグみたいな映画監督が生やしているボリュームのある髭が良かったが、毛深くはない僕の髭はそこまでは成長しない。仕方なく、手入れの効いた無精髭にすることに。もちろん、起床して無精髭を整えるあの儀式は続けている。

30代からずっと老舗眼鏡屋である白山(はくさん)眼鏡店(注3)を愛用してきたのだが、フランスの眼鏡ブランドであるJ.F.REYに出逢った。2005年くらいのことだ。その美しさや繊細さ、それらのデザインを可能にする職人技に惹かれた。今に至るまでずっとJ.F.REYだけをかけている。元祖デザイナーであり、元祖オーナー(現在は別のオーナー)であったジャン・フランソワ・レイさんとも朋友になった。『MGSV』(注4)や『デス・ストランディング』(注5)でもコラボが実現した。

先月、“HIDEO KOJIMA×J.F.REY”(注6)の第二弾となるラインナップが発表された。ここには、僕のアイデアと経験が取り込まれている。例えば、サングラス。僕はサングラスにも度を入れる。日差しがきつく、紫外線の多いLAではサングラスが必須だ。そこで眼鏡を外し、サングラスをかける。夜になって、レストランへ行く。蝋燭がゆらめく大人の雰囲気の洒落たレストランだ。ところが、鳥目の僕はサングラス越しではメニューが見えない。外すと、今度は文字が読めない。だからサングラスをしている時は、通常の眼鏡を首元にかけている。室内に入ると、眼鏡にかけ替え、サングラスを首元に。なんとも不自由な眼鏡生活を強いられてきた。そんな経験から生まれた究極のサングラス(HK×JF08+CLIP)が今回のラインナップ(注7)にも入っている。サングラス部分が上下に可動して、度の入ったレンズからずらせるようになっているのだ。“髭”と“眼鏡”が僕の“貌(かお)”からなくなれば、他人からはどう認知されるのだろうか。アイコンを外してしまえば、誰からも呼び止められない透明人間になれるのだろうか? 僕の次のアイコンは何になるのだろうか? 新しい眼鏡を選びながら、そんなことを考えた。

ただしばらくはヒゲとメガネのHIDEOでいるつもりだ。

注1:川西市 兵庫県郊外の住宅地。注2:『ポリスノーツ』 1994年発売のSFアドベンチャーゲーム。その後PlayStationなどにも移植された。注3:白山眼鏡店 1883年創業の「白山眼鏡店(しらやまめがねてん)」にルーツを持つ眼鏡ブランド。ジャパンメイドにこだわったオリジナルフレームを製作している。注4:『MGSV』 2014年に発売された、メタルギアシリーズ8作目のゲームソフト『メタルギアソリッドV』。注5:『デス・ストランディング』 小島秀夫がコジマプロダクションを立ち上げ後初めて発表したゲームタイトル。2019年に発売され、その後ディレクターズカット版も登場した。注6:HIDEO KOJIMA×J.F.REY 小島秀夫とJ.F.REYのコラボレーションによるアイウェアコレクション。現在第二弾が発売中。注7:今回のラインナップ 7モデル各3色、全部で21バリエーションを展開。デザインや素材など随所に小島監督の世界観が表現されている。HK×JF08+CLIPは、クリップオンのサングラスを跳ね上げて着用できる2wayモデル。

今月のCulture Favorite

J.F.REY代官山店にて。HIDEO KOJIMA×J.F.REYの新コレクションのサングラス。https://www.jfrey.jp/collaboration2024/

俳優ミア・ゴスとのツーショット。チャイニーズ・シアターで行われた新作映画『MaXXXine』でのプレミアにて再会。

俳優ロバート・パティンソンとごはんを食べた際の一枚。

こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。ゲームクリエイター、コジマプロダクション代表。’87年、初めて手掛けた『メタルギア』でステルスゲームと呼ばれるジャンルを切り開き、ゲームにおけるシネマティックな映像表現とストーリーテリングのパイオニアとしても評価され、世界的な人気を獲得。世界中で年間最優秀ゲーム賞をはじめ、多くのゲーム賞を受賞。2020年、これまでのビデオゲームや映像メディアへの貢献を讃えられ、BAFTAフェローシップ賞を受賞。映画、小説などの解説や推薦文も多数。ゲームや映画などのジャンルを超えたエンターテインメントへも、創作領域を広げている。「The Game Awards 2023」にて発表した、最新作『OD』の公式ティザートレーラーが、KOJIMA PRODUCTIONSの公式YouTubeチャンネルで公開中。

『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』の第2弾トレーラーが公開中。

先日、完全新作オリジナルIP『PHYSINT(Working Title)』の制作を発表。

次回は、2412号(2024年9月4日発売)です。

※『anan』2024年8月7日号より。写真・内田紘倫(The VOICE)

(by anan編集部)