自身の役割や立場、環境に大きな変化が訪れる60代。自分に対して客観的視点をもち、嫌なことは忘れることのできる自分をつくっていきましょう(撮影:今井康一)

あの孔子によれば「六十にして耳順がう」。そんな“精神的な安定期”に入る年代に、実はうつ病というかたちでメンタル不安になる人が少なくありません。厚生労働省の調査(2017年)によると、気分障害患者の31.7%は65歳以上です。

自身の役割や立場、環境に大きな変化が訪れる60代。人生後半への入り口で陥りやすい「負の思考」をどう乗り越えればいいのか。本稿では、精神科医として多くのシニア世代と向き合ってきた保坂隆氏が「悪い感情のたち切り方」を解説します。

記憶力がいい人が素晴らしいわけではない

今の世の中、忘れることが悪いことのように思う風潮があります。忘れっぽい自分を「私は認知症になっていくのではないか」と不安になる人も多いようです。しかし、加齢による物忘れは当たり前のことです。いざとなればスマホで調べたり、人に聞けたりできれば十分だと思います。

認知症になるかならないかで悩むより、私たちには自分の生をきちんと生ききるという使命があります。そのことをしっかり考えてほしいのです。

記憶力がいい人が素晴らしいかといえば、そうでもないことが多くあります。やっかいなのは、昔のこまごまとしたことを覚えていることです。人間は、忘れてもいいようなことを脳にため込んでいます。ふだんは忘れているのに、記憶を想起する出来事やモノに触発されて思い出し、心を乱されます。

私たちは多かれ少なかれ、自分の過去にとらわれています。嫌な記憶ばかりでなく、成功体験の記憶があなたの足を引っ張る場合もあります。成功体験にとらわれて、新しい方法にチャレンジできなかったり、プライドばかり高くて人との付き合いがうまくいかなかったりします。

いい記憶も悪い記憶もあなたの人生であり、大事なものではありますが、とらわれていては前に進めません。自分の記憶や嫌な感情に縛られている自分に気づいてみませんか。もうそろそろ、その記憶は捨てたほうがいいのでは?

過去のことを何度も引っ張り出しては、「あのときはああした、こうした」と言うのは、まわりの人をうんざりさせるものです。何度も思い出すのは楽しい思い出だけにしましょう。

「家のなかを断捨離したい」という中高年が多くいます。家のなかに使わないものがあふれているのと同じく、脳にも不要なものがたまっています。脳細胞は年々減っているのに、いらない記憶に縛られていると、新しいものが入ってこなくなるとイメージしてください。

今や人生100年時代といわれますが、人生は短いものです。年をとるたびに時間が早く過ぎるとは、よく聞く言葉です。ですから、大事なこの一瞬一瞬を過去や未来にとらわれることなく、今を生きてほしいと思います。そのための方法を考えていきましょう。

「忘れてもいいこと」はどんどん忘れよう

世の中には「そんなことも覚えているのか」という人と、「そんな大事な出来事も忘れてしまったのか」と驚く人に分かれます。中年になっても学生時代のことをよく覚えていて、「あいつに本を貸したのにいまだに返してくれない」とこまごました記憶を今でももつ人がいる反面、「本を貸したって? 覚えていないや」という人もいます。あなたはどちらのタイプですか。

私たちの脳のキャパシティは人それぞれ違いますが、古い記憶をため込んでいる人というのは、粘着質な傾向があります。こだわりが強すぎると、目の前の新しいことにチャレンジできないかもしれません。

人間は忘れる動物です。たくさん覚えてたくさん忘れます。そのなかであなた自身がつくられていくといっていいでしょう。忘れてもいいようなことは忘れていく。あなたのまわりではどんどん世界は変化していきます。そちらを楽しんで新しい経験を記憶してほしいのです。

そうはいっても、なかなか忘れられないこともあります。それはたいてい、なんだか胸が痛くなるような悪い記憶だったりします。その記憶があなたの元気を奪っている場合があります。

記憶は心と強く結びあっています。もちろんすべて脳が行っている仕事なのですが、心は感情と考えてください。感情は脳にこびりつきやすいものなのです。

人間の感情はやっかいなものです。怒りや妬み、嫌悪などの感情をもち続けることは、あなた自身の人生をつまらなくさせる要因です。

ある男性は、中学生のときに無実の罪で教師から強く叱責され、弁明を聞いてもらえず、悔しい思いをしたことがあるそうです。それ以来、教師を信用しなくなって、反抗的になっていきました。

感情と事実を切り分けてみる

すでに30代となり今は落ちついて仕事をしていますが、いまだに学校というものが苦手だそうです。この男性が「こんど結婚をするのだけれど、子どもができたら、自分は学校とうまくやっていけないかも」と先のことを悩んでいました。

このように感情と事実が融合している状態を「フュージョン(fusion)」といいます。嫌な感情から、ひとりの教師のことを全体の教師像にしてしまっています。そのうえ、まだ生まれていない子どものことまで心配しています。

でもちょっと待ってください。そんなときは、感情と事実を切り分けてみましょう。若いとき、1人の気に食わない教師と出会ったために「教師なんて信じられない」と思い込んでいますが、人間にはいい人と悪い人がいます。気が合う人と合わない人がいると言ってもいいかもしれません。

1つの嫌な感情が全体の白黒を決めてしまうことはよくあることですが、大人になるというのは、ものごとを多面的に見られるようになるということです。

教師が信じられないという男性に、「不良になったのに、なぜ今は真面目に働いているのですか?」と聞きました。答えは「両親が自分のことを信じ続けてくれたから」と話してくれました。

「それでは、あなたが親になったら、お子さんのことを信用できる親になればいいのでは」と伝えるとパッと顔を明るくして、「そうですね。それだけですね」と言いました。

このように感情と事実を分けて考えることを「脱フュージョン」といいます。感情的になっている記憶を腑分けしていくと、事実が見えてくるはずです。

教師にもいろいろな人がいる。教師には疑われたけど、親は信じてくれた。子ども心に反抗したけれど、親のおかげで立ち直った。事実を見ていくと、中学時代への悪感情だけでなく、いい思い出もあったことに気がついていきました。

自分の感情と起こった事実を分けて考えてみましょう。悪感情に自分の心が巻き込まれてしまい、恨みをもち続けると前には進めなくなります。

フュージョンが起きたときは自分を客観視

悪感情と事実が一体化したフュージョンが起こったときに試してほしいことがあります。「俯瞰して自分を見る視座をもつ」ことです。脳から自分を切り離して、「自分が今、どのようなことを考えているのか」を客観的に眺めてみます。

たとえば、自営業のHさんは、近くに住む同級生たちがうらやましくなります。彼女たちの夫は年金もたくさんあって、働かなくてもよく、豪華なランチに旅行にと、遊んで暮らしているように見えます。

いつまでも働いている自分を惨めに思うこともありました。そういうひがむ気持ちが出てくると、次に、体を壊して夫婦が営む店をたたむことになったらどうしたらいいのだろうと、将来への不安が襲ってきます。不安になると、もっと稼がなくてはと、気持ちが焦ったりしました。

そういうときに、試してほしい方法があります。自分の今の状態を第三者の語り口で語ってみます。

「また、Hさん(自分)のこの世で一番悲しい自分の話がはじまったよ」と語ります。そして「あなたは本当に不幸なの?」と問いかけます。

そこでHさん、事実を考えてみます。考えれば生活に困っているわけではありません。お店に来る常連さんたちはいい人たちで、仕事は楽しい。子どもたちは自立してきちんと生活しています。

気分が落ち込んだ原因を究明して対策

そして気分の落ち込んだ原因も探します。人それぞれ、あるパターンをもっている場合が多いのです。

Hさんの場合は、支払いが多すぎた月に気分が落ち込みます。電気代も値上げして、いろいろ経費がかさんでくると嫌な気分になります。2つめには、体の調子が悪いときにネクラになりやすいです。インフルエンザで寝込んでから腰痛になり、なんだか体力が落ちて元気がありませんでした。3つめには、生活が単調になっていました。


Hさんは、自分がネクラになるのはこの3点のいずれかであるときが多いと気がつきました。とくに、生活が単調になり、チャレンジしていないときの自分が弱っていくことを自覚しました。そこで対策を考えます。

Hさんの解決策は水泳を始めることです。以前から友だちに誘われていましたが、忙しいと断っていました。でも体を鍛えて目標をもとうと考えました。大きなイベントに参加することも決めました。自分に足りないものは夢だったことにも気がついたそうです。自分の道を歩ける人は、人を妬む心も起きなくなります。人のことを妬んでいる暇はないからです。

自分を悲劇の主人公にしてはいけません。「フュージョン」に陥ると、感情も事実もごちゃ混ぜとなりブラックホールにはまります。自分に対して客観的視点をもち、嫌なことは忘れることのできる自分をつくっていきましょう。

(保坂 隆 : 聖路加国際病院診療教育アドバイザー)