パリオリンピック男子バレーボール。南米の雄、アルゼンチンは強敵だった。最後まで日本に食らいついて、1−3と負けはしたが、4セット目も23−25と僅差だった。

 アルゼンチンはいかに日本に挑んでいたのか。試合後、キャプテンであるルチアーノ・デ・セッコ(36歳、セリエAのモデナ所属)に話を聞いた。


勝利したアルゼンチン戦で終始相手を苦しめていた日本のセッター、関田誠大 photo by Nakamura Hiroyuki

――善戦でしたが、日本に勝つ戦略は準備していましたか?

「いや。ただ、自分たちの一番いいバレーをするだけ、って思っていたよ。もちろん、日本にはいい選手がいるのは知っていたし、いいチームなのもわかっていたけれど。自分たちは日本の強力な攻撃に対しても、持ちこたえながらプレーできるだけの選手がいるからね」

 アルゼンチンは、闘争心を旋回の軸にするアルゼンチンらしい"しぶといバレー"で対抗してきた。たとえば、チームとしてのブロック数は8本で日本を上回っている。また、エースのファクンド・コンテは両チームを通じて最多の17得点を記録。高さで守りながら、一発に賭けていた。それは、ほぼ功を奏していた。

「4セットを通じて、よくディフェンスはできていた。オフェンスでも、自分たちの力の一端は見せられたと思う。そのおかげで、3セット目を奪い取ることができたと思っているしね。もちろん、ディテールの部分では日本のほうが良かったことで、勝利を飾ることはできなかったのだろう。しかし、かなりハイレベルなゲームだったと思う」

 デ・セッコは毅然として言った。

――日本の選手たちも、「難敵だった」と感じていました。

 そう言うと、彼は少しだけ胸を張って言った。

「もちろん、負けたわけだから満足することはできない。でも、ポジティブな試合だったと思っている。日本のような強敵を相手にし、このような試合をできたわけだからね。次の試合に向けて戦えるだけのプレーを見せられたし、その気持ちで戦い続けることが大事なんだ」

 アルゼンチンにとってもったいなかったのは、やはり2セット目の終盤だろう。

【関田がスパイカーを自由自在に操っていた】

 日本のブロックタッチをめぐってビデオ判定になったが、その映像を見ても、アルゼンチンサイドは「触っている」という見解だった。負けず嫌いの塊のようなアルゼンチン人たちは承服できず、猛烈に抗議を続けた。その結果、判定は覆らずにイエローカード、さらにはレッドカードが与えられて21−20に。このセットで初めて日本にリードを許したのだ。

「起こるべきではないことが起こってしまった。正直、受け入れることはできなかったよ。言いたいことはあるが......大事なことは、我々アルゼンチンが3セット目をとって、4セット目も団結して戦い、あと一歩まで迫ったことだろう」

 デ・セッコはキャプテンらしく、それ以上は弁解しなかった。最後に、アルゼンチンの主将が一番、高く評価した日本人選手は誰だったのかを聞いた。

「関田(誠大)のプレーの組み立ては、正直に言って最高にすばらしかったと思う。我々も、そこの対応は苦労した。関田は、いつも以上に選手たちを使いこなしていたのではないか。チームとしての戦術的なプラニングもあるのだろうが、石川(祐希)、郄橋(藍)、西田(有志)などのスパイカーを自由自在に操っていた」

 アルゼンチンとしては、関田の変幻自在のセットアップに的を絞れなかったのはあるだろう。その結果、なかなかブレイクすることができなかった。関田から石川だけ、というようにコンビを読みきれるなら、束になってブロックにいける。しかし、いくつもある選択肢から最善のものを選ばれるとお手上げだ。

 その点、関田が試合後に話していたことは、デ・セッコの関田評と符合していた。

「ひとり(のスパイカー)に頼るのはやめよう、と思いました。それは僕の強みではない」

 関田はそう振り返っていた。

「正直、勇気はいるところでしたけど、いい状態でいるなら使っていこうと。たとえば(第4セットの最後)、小野寺(太志)選手を使ってレシーブされて、僕のなかでもう一回行こうか、というのもありましたが、宮浦(健人)も強力なスパイクがある(結果的に宮浦がスパイクに成功)。今日は選択肢がたくさんありました。負けたら終わりだったんで、次につながってよかったです」

 自由に解放されたトスが、アルゼンチンを打ち負かしたということか。

 アルゼンチンが日本の強さを照らし出した、とも言えるだろう。彼らが執念を燃やした3セット目は、日本を強くするに違いない。ライバルとして貴重な経験を残してくれた。

「我々は敗れた。しかしバレーで大事なのは戦い続けること。その姿勢だ」

 デ・セッコの言葉である。