実績は十分の野澤。193センチの恵まれた体躯でゴールを守る。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 まもなくパリ五輪が開幕する。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介する。今回はGK野澤大志ブランドン(FC東京)だ。

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 沖縄を飛び出して7年――。琉球FC U-15からFC東京U-18に加入した男は、再び世界大会に挑む。アメリカ人の父と日本人の母から譲り受けた193センチのサイズを活かしたハイボールへの強さとシュートストップに定評がある。

 早くから将来を嘱望され、世代別代表に招集されてきた。2019年には自身初の世界大会となるU-17ワールドカップのメンバーに選出。高校3年生となった20年にトップチーム昇格を果たし、プロのキャリアをスタートさせる。

 ただ、思うように出番を得られず、21年8月にいわてグルージャ盛岡に期限付き移籍。すると、J3で14試合に出場してJ2昇格に貢献。翌シーズンもいわてで武者修行の道を選び、22試合に出場するなど経験を積んだ。

 迎えた2023年。満を辞してFC東京に復帰し、GKヤクブ・スウォビィク(現・コンヤスポル)とのポジション争いに臨んだ。夏場まではセカンドGKだったが、第22節のセレッソ大阪戦(1−0)で初先発を飾ると、ここからレギュラーに定着。最終的に10試合に出場し、U-22日本代表にも継続的に招集されて飛躍のきっかけを掴んだ。

 その勢いは途絶えず、2024年の元日に行なわれたタイとの国際親善試合(5−0)でA代表に初招集。出番は訪れなかったが、直後のアジアカップでもメンバー入りした。

 実績だけを見れば、年代別の日本代表で絶対的な守護神として君臨してもおかしくない。しかし、同世代にはタレントがひしめいており、正GKの座を掴むのは至難の業。18年のU-16アジア選手権(現・U-17アジアカップ)では出場機会を得たものの、19年のU-17ワールドカップでは、現在はA代表に名を連ねる鈴木彩艶(パルマ)をセカンドGKとして支える立場に回った。

 パリ五輪世代のチームでも厳しい戦いを強いられ、鈴木や小久保玲央ブライアン(シント=トロイデン)の牙城を崩せずに苦戦。さらにはU-17ワールドカップで共闘したGK佐々木雅士(柏)や藤田和輝(千葉)らも台頭し、確固たる地位を築けずにいた。

 今年4月半ばから5月初旬にかけて行なわれたパリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップでは小久保の控えに甘んじ、出番は韓国とのグループステージ最終戦(0−1)のみ。
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 選手としてピッチに立てない悔しさや苦しみは計り知れない。「アジアカップで優勝した裏で、苦い思い出もある」とは野澤の言葉。

 だが、そんな状況下でも腐らずに、チームを陰から支えてきた。アジア制覇を果たした後の囲み取材で、U-17ワールドカップや今回のアジアカップでバックアップの立場が自分にどんな影響を与えたかを尋ねた。その際にはこんな言葉を残している。

「無駄なことは何一つないと思うし、状況にとらわれすぎず、その瞬間、瞬間で学ぶことだったり、前を向くことだったり、そういった経験をして歩むことができた。本当に優勝して良かったです」

 全てはチームのため――。将来を嘱望されながら、代表では思うような結果を残せていなかったものの、サブに回った経験は今に活かされている。

 もちろん、パリ五輪本大会でもレギュラーの座を狙っており、簡単にポジションを譲るつもりはない。ただ、結果としてピッチに立てなかったとしても、自分がやるべきことは理解している。

「チームとして戦うのは当たり前。自分が出る、出ないに関わらず、どんな状況でも勝利のために何ができるか。それを考えて取り組んでいきたい」

 技と体に心が備わっている男の存在は日本にとって大きい。その力は必ず日本のために必要となる。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)