2024年7月7日、フランス国民議会の第2次選挙日に演説する左派の政党連合「新人民戦線」(NFP)の「不服従のフランス」党を率いるジャン=リュック・メランション氏(写真・2024 Bloomberg Finance LP)

2024年7月7日、日本では東京都知事選が行われた。ちょうどそのころ、フランスでは国民議会選挙の第2次選挙が行われていた。

7月4日にはイギリスでも下院選挙が行われた。都知事選はこれらの国政の議会選挙とはまったく異なるが、いずれの選挙においても人々の関心に1つの傾向があることはわかる。それは経済への不安感である。経済的な貧者が社会の変革を求めているということだ。

イギリスでは既成政党同士の一騎打ちで、労働党が勝利した。同時に、貧しい者の声が労働党に反映された選挙でもあった。選挙の最大の関心は、どの国でも貧困問題に集中している。

「貧困」こそ焦点だった

フランスでもイギリスでも、ウクライナやガザでの戦争問題そして移民問題は、当然議論対象だが、根本的な問題は貧困問題であったことは間違いない。そしてその貧困問題をとりわけ真剣に議論していたのが、旧来の左派や右派政党ではなく、極右勢力と極左勢力だった。そこに国民の投票の多くが流れているのだ。

この現象は、2017年にアメリカでトランプが大統領に就任してから始まったともいえる。これはたんなるポピュリズムではない。では、なぜ今、貧者が先進国では増えているのだろうか。

1991年にソ連・東欧の社会主義政権が崩壊して以降、先進資本主義社会はグローバル化、すなわち新自由主義政策を推し進めてきた。世界に1つの市場が生まれ、世界中に資本が投下され、後れたアジア・アフリカ地域へどんどん先進国の工場が移転していった。

その結果として、バブル後の後遺症に悩んでいた日本を除く先進諸国は1980年代の経済停滞を脱皮し、経済成長を遂げていった。市場の拡大と低賃金労働の利点をいかして巨額の利潤が生まれ、それが先進国の一般庶民にも少々のおこぼれとして所得上昇を支えていた。

そうした結果、先進国の左派勢力は急激に勢力を失っていった。左派勢力は、次第に新自由主義の流れにくみするようになり、左派というよりは資本主義を促進する保守派となっていった。例えば、イギリスの労働党は第2保守党化し、ドイツ社会民主党もフランスの社会党も同じ路線をとることとなる。

こうして左派政党の名前だけは辛くも生き延びていたが、政権政党の座につき、右派の新自由主義と差別化を図ることもなく、逆に新自由主義が進める産業資本主義から金融資本主義への移行に拍車をかけていった。そこにはもはや、貧しい者への配慮など存在しなくなりつつあった。

新自由主義という諸刃の剣

こうしてどの国でも貧困問題は「自己責任」とされ、貧困問題を解決してくれそうな左派政党を見いだすことさえ難しくなっていく。経済成長の波に乗った労働組合も、もはや経営者との対立よりも自らの豊かさを求めるようになった。

時には「マルクス主義の衰退といわれる現象は歴史の必然だ」とも、「階級闘争の歴史の終わり」ともいわれるようになっていった。

しかし、新自由主義は諸刃の剣でもあった。表の顔は世界の経済成長を促進し、先進国の労働者の豊かさをつくりあげるということであった。

アジア・アフリカへの投資は、結果として産業のアジア・アフリカ諸国への依存を生み出した。アジア・アフリカ諸国に経済的成長が生まれ、技術のキャッチアップが生み出され、そのブーメラン現象として先進国での失業と貧困が進んでいった。

金融資本主義が成り立つには、強力な軍事力と政治力が必要である。貸し付けた資本を力尽くで回収しなければならないからだ。

しかし、軍事力は産業資本の技術によるところが大きい。技術分野でアジア諸国が欧米の牙城を揺るがすようになると、軍事力を持ち始め先進国の言うことを簡単に聞き入れなくなった。

場合によっては戦争も必要となる。そうして中東やアフガニスタンなどでの戦争で、アメリカ軍の権威は地に落ちた。それはアメリカの軍事力の衰退を意味していた。

先進国の警察官たるアメリカの衰退は、まさに軍事力の衰退であり、その結果として、それは先進国の政治力の衰退につながっていった。

保守政党化した先進国の左派政党

資本主義は巨大な産業資本の力がなければ存在しえない。金融資本の支配は産業発展の結果にすぎないともいえる。衰退していった過去の偉大なる国家は、金融資本化への移行によって衰退していったといえる。

自らが仕掛けた金融バブル崩壊という「リーマンショック」によって、先進国はアジアの国々へ資本投資をより進めた結果、アジアの経済成長はより加速化され、産業能力においても先進国を凌駕するようになっていった。

こうして先進諸国では産業の空洞化が起こり、失業が増大し、中産階級の崩壊という現象が起き始める。1990年代の経済成長の夢は崩壊し、不況や経済停滞という流れが再び起こる。1950年代、1960年代に存在していたような貧困問題が、再び先進諸国で頭をもたげ始める。

だがそうした貧困を考える左派政党は、すでに先進国社会ではほぼ保守化し、存在しなくなっていたのだ。労働組合も大手メディアも、貧困には関心を払わず、国民の多くは「貧困は自己責任」という呵責に苛まれ、貧しい生活への援助を公に訴えることもできなくなったのである。

フランスの総選挙で今回勝利した、左派の政党連合「新人民戦線」(NFP)の「不服従のフランス」党を率いるジャン=リュック・メランション(72)は、今のフランスを「貧民と豊かな者との闘争の世界だ」と言っている。

懐かしい言葉だ。「メランション」という名前が知られ始めたのは、今から15年ほど前からである。社会党の左派であり、かつては大学紛争の闘士だったメランション。

彼が、多くのリーダーや党員がセレブ化していく社会党の中で目立つようになったのは、フランス社会党の本来の目的である「貧困を救う」という目的を彼がずっと堅持していたからである。

フランス・パリ北部ヴィレットで産声を上げた新しい左派政党は極左といわれているが、むしろ本来の社会党そのものだといえる。マクロンによって破壊された社会党を、このメランションが再生したのだ。フランス社会党の一部にすぎなかった本来の左派の流れを、本流にまで変えていったのである。

貧困問題で主張が似通う極左・極右

一方で、マリーヌ・ル・ペン(55)が率い、今回28歳のジョルダン・バルデラが党首となった極右政党「国民連合」(RN)も、こうした貧しい人々の受け皿となっている。社会党が右傾化する中で、貧しい人々を集め次第に力を付けてきた。

掲げる政策でも、貧困対策など新人民戦線とかぶるところが多い。もちろん、移民政策や人種差別問題などはまったく異なっているが。

マクロン政権は、その意味で資本主義の移行期の政権だったともいえる。社会党と共和党を糾合してできた与党連合(アンサンブル)を中心に組閣しているマクロンは、今回は極左と極右連合によって真っ二つに引き裂かれた。

再びかつての左派と右派の時代に戻るのか、それとも中道が維持できるのか。今回のフランス国民議会の選挙は、まさにこの点が焦点だった。結果は、左右の対立と貧富の格差の対立が勝利したのである。中道路線は失敗した。

一方で、今回の選挙の結果は決して新人民戦線の完全勝利だというわけではない。確かに国民議会第1党の議席数を獲得したが、全557議席の半数を割る180議席にすぎない(過半数は279議席)。

マクロンの与党連合も、前回の245議席から大きく減らしたが、159議席を獲得して第2政党の位置にいる。第3位の国民連合も142議席と前回の89議席から増やした。まさに三つ巴の戦いの中で、どの党を中心に首相を選出し、組閣するのかは微妙なところだ。

2期目の大統領選直後に行われた2022年の選挙においても、1党で政権を成立させる力はどの党にもなかった。だからこそ、マクロン2期目の2人の首相は、議会内で十分な力を持てなかったのだ。

今回は前回以上に状況は厳しい。前回は与党連合が245議席を確保していたのに対し、今回は200議席を超える党すらいないためである。

そうなると首相選びは難攻するだろう。新人民戦線のメランションも、国民連合のバルデラも「与党連合とは組まない」と主張しているが、妥協を強いられるだろう。

フランス大統領が持つ権限

もちろん、残りの議席は少数政党が持っているが、たったの96議席だ。しかも、それぞれ左派か右派に分裂しているので一本にまとまってどこかにつくことはできない。また83議席をすべて足したとしても、多数派を占める数に達しない。

このように首相が決まらず反目が続けば、フランス第五共和制憲法(1958年)第8条がキャスティングボードを握るかもしれない。そこにはこう書かれている。

「第8条 大統領は内閣総理大臣を任命する。大統領は内閣総理大臣による内閣の辞表提出に基づいてその職を免ずる。大統領は内閣総理大臣の提案にもとづき、他の閣僚を任命し、またその職を免ずる」(『世界憲法集』宮沢俊義編、岩波文庫、250ページ)

確かにマクロン大統領には任命権がある。しかし第1党からではなく、第2党から選ぶことは可能かどうかが問題となる。それが問題となれば、第1党から選ぶしかなくなり、いわゆる「コアビタシオン」(cohabitation、保革共存。政策が対立する大統領と首相が存在すること)ということになろう。

1986年と1993年のミッテラン大統領(1916〜1996年)とシラク首相(1932〜2019年)、1997年のシラク大統領とジョスパン首相(1937年〜)など、これまでにも3回、コアビタシオンは存在していた。しかし、今回は当時のようなレベルの話ではない。

もちろん戦争などの最悪の事態を想定して、大統領がすべてを統括できる権利がこの憲法には保有されてもいる。メランションとうまくいかなければ、内閣と対立してでもさまざまな処置を講じることも可能かもしれない。第五共和制の憲法には、フランス大統領の権限を強化している条項がある。それが第16条である。

ウクライナ戦線へ参加するか

「第16条 共和国の制度、国家の独立、領土の安全または国際協約の執行が、直接かつ重大に脅かされる場合、および憲法に定める公権力の正常な運営が阻害される場合、大統領は、内閣総理大臣、両院議長、憲法評議員に公式に諮問した後、状況に応じて必要とする処置をとる。大統領は、それを教書により国民に通達する」(同書、252ページ)

これを使えば、大統領はウクライナ戦線への参加も可能となり、議会の頭越しに政策を実行できるのだ。内閣総理大臣に諮問するという足かせはついているが、いずれにしろフランス大統領の権限がとても大きなものであることは忘れてはならない。

フランスの国政は、選挙前以上に複雑なものとなった。国民が分裂し、対立が明確になっている以上、混乱は避けられない。さて、この困難をマクロンは残りの任期内で、どう乗り越えるのだろうか。

(的場 昭弘 : 神奈川大学 名誉教授)