イスラエルによる空爆を受けた、ガザ地区のラファの避難民専用地域。原油価格が下がりにくいのは、中東情勢だけが理由ではない(写真:ブルームバーグ)

原油相場はどちらの方向を向いているのだろうか。4月初めには中東情勢緊迫に対する懸念が急速に高まる中で、世界的な指標であるニューヨーク市場のWTI原油先物価格は1バレル=87ドル台、ロンドン市場の北海ブレント先物原油価格は同90ドルを超えるまで上げ幅を拡大した。

しばらくは高値圏での推移が続いていたが、その後は徐々に売りに押し戻される格好となり、5月に入ってからNY原油は同80ドルを割り込むまでに値を崩した。現在は同80ドル前後で推移しており、方向感のない展開になっている。

イスラエルとハマスの戦闘長期化は明らかな懸念材料

もちろん、値を崩した背景には中東情勢の緊張緩和に対する期待の高まりがあるだろう。4月1日にはシリアの首都ダマスカスにあるイランの領事館がイスラエルによるとされる爆撃を受け、軍幹部が死亡した。これを受け、同月13日にはイランが報復としてドローンやミサイルによってイスラエルを攻撃。「報復攻撃の連鎖が加速するのでは」との見方が強まり、原油先物市場にも買いが集まる格好となった。

もっともこうした攻撃は、双方とも大きな被害が出ないよう、かなり抑制されたものにとどまっていたことも事実だ。イスラエルもイランも、「国内外に対して強硬姿勢を示す威嚇目的のものだった」との見方が強まるにつれて、懸念は徐々に後退、原油価格も落ち着きを取り戻していった。

5月19日にイランのエブラヒム・ライシ大統領とホセイン・アブトラヒアン外相などが搭乗していたヘリコプターが墜落、搭乗者全員が死亡したが、イランはいちはやく「悪天候による事故」と認定、市場を揺るがすような事態にはなっていない。

では、イスラエルとイスラム組織であるハマスの対立についてはどうか。すでにイスラエルは、パレスチナ自治区のガザ南部の主要都市ラファに追加部隊を投入した、と発表している。ベンヤミン・ネタニヤフ首相などの強硬派はアメリカの反対にもかかわらず、ハマスへの強硬姿勢を崩していない。少なくとも年内は戦闘は続ける方針を示している。

だが、ラファへの侵攻が継続するならば、それに対する報復としてイランやその代理勢力がイスラエルへの攻撃を激化する可能性は極めて高い。その際には情勢緊迫に対する懸念から、原油相場も再び大きく上昇すると見ておいたほうがよい。

一方、中長期的な視点に立って見れば、5月以降、気になる材料が複数入ってきたのも事実だ。1つ目は、アメリカのブルームバーグが伝えたように、アメリカとサウジアラビアが安全保障に関する協定で歴史的な合意に近づいている、という観測記事だ。

アメリカとサウジが安全保障協定で合意したら?

もし合意が成立すれば、サウジはアメリカの最新兵器を入手することが可能になるかもしれない。これは中東における同国の立場を更に強固なものとするだろう。

その際、サウジはイスラエルに対しても、国交樹立の提案を行うと見られており、実現すれば中東の安定につながるとの期待も高い。イスラエルも、サウジとアメリカが手を組んで妥協を迫ってくれば、ハマスやパレスチナに対する強硬姿勢を転換せざるをえなくなることも十分にありうる。

またアメリカの協力で防衛体制が一段と強固なものとなれば、サウジと対立するイスラム教シーア派の武装勢力などによる石油施設攻撃に対する懸念なども後退することになるだろう。

実際、サウジは2019年9月、イエメンの反政府武装勢力であるフーシ派によるドローン攻撃によって、主要油田であるフライス油田とアブカイクの脱硫施設の稼働が停止、同国の石油生産が一時的に半分にまで落ち込んだこともある。

その後、サウジは石油施設に対する警備を強化したこともあり、さすがに生産が大幅に落ち込むような攻撃は起きていない。だが、可能性がゼロになったわけではない。もしサウジとアメリカの協力によって、こうしたリスクがさらに後退すれば、原油は新たな売りを呼び込み、価格が下落することも考えられよう。

もっとも、こうしたシナリオは、あくまでも将来的な需給に関する心理的な見通しの変化にすぎず、足元の需給に大きな変化をもたらすものではない。サウジとアメリカが最終的な合意に至った場合には、市場もそれなりに反応は示すだろうが、それが決定的な下落の流れを作りだすまでには至らないと考えておいてよいのではないか。

もう1つのニュースは、アメリカの連邦取引委員会(FTC)が、石油メジャーであるエクソンモービルによる、シェール大手パイオニア・ナチュラル・リソーシズの買収に対して、承認する見通しが伝わったことだ。

ここで重要なのは、FTCが買収承認の条件として、買収される側のパイオニアの創業者であるスコット・シェフィールド氏がエクソンの取締役に就任するという人事を撤回することを求めたという点だ。

OPEC(石油輸出国機構)関係者とアメリカのシェール業界の重鎮でもあるシェフィールド氏は定期的に会合を開き、石油生産を意図的に低く抑え、相場を上昇に導くような行動をとってきたから、というのがその理由だ。

実は、こうした会合自体は秘密裏に行われていたわけではなく、特にサプライズという内容ではない。だが、かつては急速なペースで生産を拡大していたアメリカのシェール業界とOPECは敵対関係あったはずだった。だが今や、生産方針などについて意見を交換していたことに、再び市場の注目が集まったことの意味は小さくない。

「関係者の利害」は一致している

結局のところ、OPECもシェール業者も、石油価格が上昇すれば、それだけ収入が増える点では利害が一致しているということだ。

技術革新が進み、以前に比べるとかなり生産コストが下がったと見られているが、それでもシェールオイルはなお生産コストが高い石油であり、シェール業者の損益分岐点はサウジをはじめとしたOPEC諸国のそれを大きく上回っている。

新技術で、それまで掘削が困難だったシェールオイルを生産できるようになった、いわゆるシェールオイル・ブームが起こっていたときには、どの業者も、採算を度外視して生産を増やしていた。また生産を増やすことがその企業の価値を高めることにもなり、資金も潤沢に集まっていた。

だが、新型コロナの感染爆発によって経済活動が停止、石油需要が大幅に減少したことで、シェール業界を取り巻く状況も急速に変化した。現在は投資家の目も厳しくなっており、採算の合わない高コストの油田の生産は、削減せざるをえないというのが現状だ。シェール業者がOPECと協議していようがいまいが、価格が下がればシェールオイル生産も、その分伸び悩むと、見ておいたほうがよい。

今のところ、市場では2024年の世界需給に関して、自主的な追加減産の継続でOPECプラスの生産が伸び悩む一方、アメリカを中心にブラジル、カナダといった「非OPECプラスの産油国」の生産が増加するとの予想が出ており、このことが相場のかなり大きな重石となっているのは間違いないだろう。

もっとも、これらの産油国の生産の増加は、アメリカがシェールオイル、ブラジルは深海油田、カナダはオイルサンドと、どれも生産コストの高いものであることを忘れてはならない。

今の1バレル=80ドル前後の水準からもう一段石油価格が下がることがあれば、こうした産油国の生産は採算が合わなくなることから減少、一方でOPECプラスは追加減産を継続、価格動向次第では減産幅を拡大することもありうる。

アメリカをはじめ、高インフレに頭を悩まされている消費国は、その一因となっている石油価格の下落を望んでいるのかもしれない。だが、こうした構造的な問題を考えればわかるように、それは実現不可能である可能性が極めて高い。

石油価格が上昇基調を維持するなら、当然ながらアメリカを中心にインフレの高止まりは避けられない。金融当局が早期に利下げに転じるといった、インフレに対して楽観的な見方をしている人々は、改めて原油先物相場の先行きについて考えてみる必要があるのではないか。

(松本 英毅 : NY在住コモディティトレーダー)