「人間関係はお金に換算できない」中華鍋のカリスマブランド・山田工業所のビジネス論とは?
中華料理の料理人にとって、なくてはならない調理器具の中華鍋。なかでも平らな鉄板から打ち出し、わん曲した鍋型に製造されるものは「打ち出し中華鍋」と呼ばれ、ほかの工法によって作られたものよりも「軽い」「丈夫」「熱伝導率が高い」として重宝されている。
【写真】山田工業所の「打ち出し中華鍋」製造の様子。叩く回数は数千回だという
しかし、その製造工程は実に手間のかかるものであり、日本国内で「打ち出し中華鍋」の製造を行う業者はほとんどいないと言われている。そんななか、「打ち出し中華鍋」にこだわり、製造し続けているのが神奈川県・横浜市にある山田工業所だ。
山田工業所の中華鍋は、一説によれば「横浜中華街の9割以上の調理人に採用されている」とも言われ、「仮に山田工業所がなければ、横浜中華街の味が変わっていただろう」と評されることもある。こういった知る人ぞ知る逸話から、テレビなどの取材依頼も多く、料理好きの芸能人の間からカリスマ視されている中華鍋ブランドなのだとか。
製造には実に手間がかかるという「打ち出し中華鍋」。今回はその全貌と、山田工業所の独自のビジネススタイルについて、二代目社長の山田豊明さんに話を聞いた。
■先端技術ではなく「打ち出し工法」を貫いたことが功を奏した
本題に入る前に、大きく3つに分かれる中華鍋の製造工法を紹介したい。
【ヘラ絞り工法】
金属板を高速で回転させ、ヘラと呼ばれる棒を押し当てながら鍋に仕上げていくもの。
【プレス工法】
あらかじめ製造した型を金属板にプレスし、鍋に仕上げていくもの。
【打ち出し工法】
金属板を叩き続け鍋に仕上げていくもの。
これらのうち、手間はかかるが高品質の中華鍋に仕上がるのが「打ち出し工法」。山田工業所が最初に製造に取り組んだのは今から70年ほど前で、製造したのは山田さんの父だったという。
「まだ会社を設立する前に、父が中華鍋の製造を始めました。戦後間もないころで、鉄は当時かなり貴重なものでした。私が子どものころは磁石を腰に巻いて、釘などの鉄屑を拾って歩き、屑屋さんに持っていくと小遣いがもらえた時代です。そんな時代なので、“鉄でできた鍋”は贅沢な調理器具であり、そう簡単に手に入れられるものではなかったんですね。そんななかで、うちの父は廃材のドラム缶を使い、その鉄を切り出して何度も何度もハンマーで叩いて丸く仕上げて鍋にしていました。相当な手間はかかりますが、廃材なので安く卸すことができ、それが評判となり、やがてどんどん注文が入るようになりました」
「ハンマーでガンガン叩いて仕上げるわけですから、人手が足りず、やがて父は仲間2人と一緒に『打ち出し中華鍋』を作るようになりました。注文が増えたことで、今度は素材となる鉄板を買ってきて作るようになり、3人でガンガン叩いて作っていたのですが、『あまりにも大変だ』という理由で、父以外は独立していったそうです。そのうちの1人は『ヘラ絞り工法』での中華鍋製造業者として独立し、もう1人は『プレス工法』での中華鍋製造業者として独立しました。父だけが先端技術ではない、従来式の『打ち出し工法』にこだわる格好になったわけですが、最初に型が必要で設備投資も膨大にかかる『ヘラ絞り工法』と『プレス工法』は、やり始めても『儲かる』と知られれば資本力のあるほかの企業がまねをして参入してきます。この“ほかの企業がまねできるものかどうか”という点が非常に重要で、父が『打ち出し工法』にこだわったのは今となっては大正解でした」
「たしかに作業は大変だけれど、型や設備などの膨大な投資がいらず、なおかつ“打ち出す”工法ですから、職人の技術さえあれば注文先からのオーダーに細やかに対応することができる。そして、他社が容易にまねできるものでもないと、従来のやり方を貫いたことが、さまざまなメリットにつながりました」
■「人間関係はお金に換算できるものではない」過去には産業スパイも
結果的に、従来のやり方を貫いた山田さんの父の「打ち出し中華鍋」だけが残り、会社は少しずつ大きくなっていった。そして、今日の絶大な支持にいたることになったわけだが、“職人技術”であることから、信頼のおける知り合いヅテ以外からの職人雇用はしていないそうだ。
「一度、縁故でないところから職人を雇用したら、産業スパイのような人だったことがありました。たしかによそで中華鍋を作る業者から見れば、うちがどのようにして『打ち出し中華鍋』を製造し、しかも安価で市場に卸せているかは不思議に思われるかもしれません。また、産業スパイが来たところで、簡単に覚えられるわけでもないですが、それでもやっぱりそういった人が会社に入り込むと悲しい気持ちになります。そのため、以降は縁故以外からの職人雇用はせずに、すべて知り合いヅテで雇用をしています」
現在、山田工業所で「打ち出し中華鍋」の製造を行う職人は17名。このうち、50年以上勤務する86歳の職人がいるほか、2024年で77歳になる山田さんと同世代の職人も複数いるという。
「うちは雇ってもみんな辞めないんですよ(笑)。職人みんなで仲良くやれていますし、なるべく“楽しい会社”にしようと考えているので。『会社を存続させる』『会社を守る』ということは、みんなが仲良くやらないとダメです。ほかの社長はお金を優先させて、時に従業員を簡単に切ることがあるのかもしれないけど、人間関係はお金に換算できるものではありません。また、通常、会社には『定年』というものがあって、60歳や65歳を過ぎると現場を離れていくじゃないですか。でも、これもよくないと思っています。私の周りにいる同世代の社長から会長に上がった人を見ていると、二代目が『いいよ、いいよ。親父は会長として何もしなくていい』と言うわけですが、そうなると人がどんどん変わっていっちゃうんです。要は、ボケるということですね。だから、健康なうちは年齢を問わず、できるだけ仕事してもらったほうがいいですよ(笑)。勘が鈍らないし、より長く健康でもいられるんじゃないか、というのが私の持論です」
山田さんの話は、一貫して“人と人とのつながり”や“人間関係の大切さ”を痛感させられるものが多い。前述の「人間関係はお金に換算できない」といった言葉にもあるが、山田さんは一度「この人」と決めたら、できるだけ長い付き合いを心がけているという。
「完成した中華鍋を出荷する際、段ボールが必要なのですが、これまでにいくつもの段ボール業者が営業に来ました。『今いくらで段ボールを仕入れていますか?』『うちでは、今よりも何割も安く卸させていただきます』といったような営業です。しかし、私は今取り引きしている段ボール業者の価格が、仮に相場より高かったとしても、“仲間の業者”だから買っています。『安ければいい』『自分の会社だけが得すればいい』という考えは全くなく、それよりはまず『仲間に得してもらおう』と常々考えているからです。仮に、自分だけが得をするように振る舞い、一時的に望み通りの結果を得られたとしても、いつか必ず潰れますよ。だって、仲間を大切にしないのですから」
■仲間を思い、「長い目」で見ることの大切さ
現在の山田工業所の卸先は120社に限定している。これ以上増やすと生産が追いつかないという理由もあるそうだが、それよりも山田さんが重要視するのは、卸先を増やすと、「業者同士で食い合ってしまうことがあるから」だとか。
また、仮に山田工業所が一定の価格で卸した中華鍋が、卸先でその数倍の価格で販売されていたとしても、「業者同士で食い合っていないのであれば大いに結構」だとも山田さんは言う。「それは卸先の企業努力によってその価格になっているわけで、うちの中華鍋で取引先すべてが儲けてくれているのだから」と、むしろ喜ばしいことだと考えているそうだ。
「商売の鉄則として、『買う』『売る』『作る』『仕入れる』のすべてが得をしなければいけない。そうじゃないと成り立たないわけです。どこかひとつでも損をするところが出てくると、途端に崩れてしまう。仮に一時的には成立したとしてもそう長くは続かないでしょう。よくテレビの情報番組で『この店の特売がすごい』と特集することがあるけれど、ああいうのも私は疑問に思っています。お店というのは、それぞれ経営条件が違うものです。『家賃を払っているか・いないか』『人を雇っているか・いないか』とかね。そういった背景があるなかで、ほかより安いことを声高にテレビで紹介すると、その店だけに人が群がる。『消費者のために安い店を紹介することはいいことじゃないか』と言われるかもしれないけど、別の店にとっては暴力なんじゃないかと感じます。単に“安い=素晴らしい”という発想は、一時的なものでしかありません。一時的な利益を追いかけるのではなく、長い時間をかけてその業界にかかわるすべての人たちが助け合って生きていけるような関係にならなければいけない。単に“安さ”を追いかけるだけでは、長い目で見れば、誰も得をせずに終わるんじゃないかと思います」
ここまでの“安さ”をめぐる話について、山田さんが力強く語るのは、過去の苦い経験が理由だった。
山田工業所の「打ち出し中華鍋」の市場価格は、安いもので5千円前後からとなっている。高品質であり、「打ち出し」という技術力と手間を考えれば極めて安い価格設定に思えるが、さらに卸し価格ともなれば、当然その何割も安い。
この良心的な価格設定もまた、「仲間(取引先)が儲からないといけない」という思いが反映されているものだと思うが、あるとき、山田さんのもとにある相談が持ちかけられた。
「20年以上付き合ってきた卸先の会社からの相談だったのですが、あるとき『5%まけてくれないか』と言ってきました。その理由を尋ねると、『お客様に10%安く提供したいから』ということでした。しかし、それは『売る』という仕事を行う側の問題で、うちには関係のない話です。うちは卸先に儲けてもらうために、そもそも安い価格で卸しているわけですからね。そこで『それはおたくが10%儲けを引けば済む話でしょう』と言ったところ、『そんなことを言うのは山田さんのところだけですよ』『よそにも全部そのようにお願いしています』と返されました。裏を返せば、『お前んとこの中華鍋を売ってやってるんだから、それくらいの条件飲め!』ということなのだと受け取りました。
その話を聞き、私はその会社まで出向いて、『わかりました。今日いっぱいでおたくとの取り引きはやめさせてください』と言い、帰ってきました。ところがその後、その会社の従業員が社長に掛け合ってくれて、『山田さんのところは従来のままでいいことになりました』と言うわけです。それを聞いて、『うちはおたくとはもう取り引きしないと言ったでしょう。もし、もう一度一緒にやると言うのなら、うちにとっては新規顧客として考えますが、5%の重みを知ってもらいたい。だから、これまでより5%高くしないと卸さない』と言いました。それ以来、その会社は従来よりも5%高く買ってくれています」
ここで山田さんが頑として卸し価格を変えずに対峙した理由は、単に利益的なものではない。ここで価格を落としてしまっては、同じ卸し価格で頑張ってくれているほかの業者に申し訳がたたないこと、そして日々高品質で適正価格の中華鍋を作り続ける山田工業所の従業員にも申し訳がたたないという思いからだったそうだ。
「三代目となるうちの倅にはこう伝えています。『今のお客さんが、ずっと自分のお客さんでいられるような商売をしろ』と。しかし、金額をまけることは『ずっと自分のお客さんでいられる』ということとは違うんです。その場の金額のことだけですから、やがて関係は崩れていくと思います」
■ピンチを乗り越えられたのも「仲間」のおかげ。新規契約は“新しい友達作り”
こういった誠実な思いのもとで製造を続けてきた山田工業所。しかし近年、大ピンチが訪れた。それは、メイン資材のひとつとなる「1.2ミリの鋼材」の供給がストップするというものだった。
「1.2ミリの中華鍋は軽くて人気で、特にプロの料理人たちがこぞって注文してくれるものでした。それまでうちではさまざまな鋼材屋さんが営業に来ても、『うちは1社だけって決めているから』と全部断っていましたが、やむを得ずほかの業者をあたることに。でも、どこに聞いても『1.2ミリはやっていません』と言います。本当に困りましたが、うちにとっての1.2ミリの重要性とこれまでの関係を汲んでくれた商社が鋼材メーカーに掛け合ってくれて、『山田さんのところを守る』ということで、特別に1.2ミリの鋼材の製造を継続してくれることになりました。“安さ”だけで取引先を選ばず、“その人”を信頼してやってきたからこそ、守ってもらえたのだと思いました」
最後に山田さんは、現在、山田工業所の技術と事業を継承中である息子さんに伝えているという“大切な話”も教えてくれた。
「取引先を『仲間』とすることは大前提にしても、『仮に知らない人であっても本当に困った相談が来た場合は全部受けろ』と言っています。取引先や同業者は全員その道のプロで、そのうちのどこかが困っていて、それをうちが断ったら、その業者は路頭に迷うことになる。なので、『そういうときは新しい友達作りだと思って受けろ』と言っています。そして、それは本来の商売ではないわけだからお金も取らなくていい。いつかその『友達』のビジネスが軌道に乗り、うちを思い出してくれたときにお金をもらえばいいんだから、と伝えています」
深いシワをさらに深くするように、「こんなんだから息子から『頑固親父』って言われるんですよね」と笑う山田さん。山田さんの話は、多くのビジネス書にある「いかにして他者を出し抜けるか」といったものとは真逆のものだと感じた。多くの人がビジネスでの成功を目指していると思うが、一歩立ち止まり、今回の山田さんの話を“大先輩からのアドバイス”として受け止めてみると、ビジネス以上に大切なものが見えてくるかもしれない。
取材・文=松田義人(deco)
【写真】山田工業所の「打ち出し中華鍋」製造の様子。叩く回数は数千回だという
しかし、その製造工程は実に手間のかかるものであり、日本国内で「打ち出し中華鍋」の製造を行う業者はほとんどいないと言われている。そんななか、「打ち出し中華鍋」にこだわり、製造し続けているのが神奈川県・横浜市にある山田工業所だ。
製造には実に手間がかかるという「打ち出し中華鍋」。今回はその全貌と、山田工業所の独自のビジネススタイルについて、二代目社長の山田豊明さんに話を聞いた。
■先端技術ではなく「打ち出し工法」を貫いたことが功を奏した
本題に入る前に、大きく3つに分かれる中華鍋の製造工法を紹介したい。
【ヘラ絞り工法】
金属板を高速で回転させ、ヘラと呼ばれる棒を押し当てながら鍋に仕上げていくもの。
【プレス工法】
あらかじめ製造した型を金属板にプレスし、鍋に仕上げていくもの。
【打ち出し工法】
金属板を叩き続け鍋に仕上げていくもの。
これらのうち、手間はかかるが高品質の中華鍋に仕上がるのが「打ち出し工法」。山田工業所が最初に製造に取り組んだのは今から70年ほど前で、製造したのは山田さんの父だったという。
「まだ会社を設立する前に、父が中華鍋の製造を始めました。戦後間もないころで、鉄は当時かなり貴重なものでした。私が子どものころは磁石を腰に巻いて、釘などの鉄屑を拾って歩き、屑屋さんに持っていくと小遣いがもらえた時代です。そんな時代なので、“鉄でできた鍋”は贅沢な調理器具であり、そう簡単に手に入れられるものではなかったんですね。そんななかで、うちの父は廃材のドラム缶を使い、その鉄を切り出して何度も何度もハンマーで叩いて丸く仕上げて鍋にしていました。相当な手間はかかりますが、廃材なので安く卸すことができ、それが評判となり、やがてどんどん注文が入るようになりました」
「ハンマーでガンガン叩いて仕上げるわけですから、人手が足りず、やがて父は仲間2人と一緒に『打ち出し中華鍋』を作るようになりました。注文が増えたことで、今度は素材となる鉄板を買ってきて作るようになり、3人でガンガン叩いて作っていたのですが、『あまりにも大変だ』という理由で、父以外は独立していったそうです。そのうちの1人は『ヘラ絞り工法』での中華鍋製造業者として独立し、もう1人は『プレス工法』での中華鍋製造業者として独立しました。父だけが先端技術ではない、従来式の『打ち出し工法』にこだわる格好になったわけですが、最初に型が必要で設備投資も膨大にかかる『ヘラ絞り工法』と『プレス工法』は、やり始めても『儲かる』と知られれば資本力のあるほかの企業がまねをして参入してきます。この“ほかの企業がまねできるものかどうか”という点が非常に重要で、父が『打ち出し工法』にこだわったのは今となっては大正解でした」
「たしかに作業は大変だけれど、型や設備などの膨大な投資がいらず、なおかつ“打ち出す”工法ですから、職人の技術さえあれば注文先からのオーダーに細やかに対応することができる。そして、他社が容易にまねできるものでもないと、従来のやり方を貫いたことが、さまざまなメリットにつながりました」
■「人間関係はお金に換算できるものではない」過去には産業スパイも
結果的に、従来のやり方を貫いた山田さんの父の「打ち出し中華鍋」だけが残り、会社は少しずつ大きくなっていった。そして、今日の絶大な支持にいたることになったわけだが、“職人技術”であることから、信頼のおける知り合いヅテ以外からの職人雇用はしていないそうだ。
「一度、縁故でないところから職人を雇用したら、産業スパイのような人だったことがありました。たしかによそで中華鍋を作る業者から見れば、うちがどのようにして『打ち出し中華鍋』を製造し、しかも安価で市場に卸せているかは不思議に思われるかもしれません。また、産業スパイが来たところで、簡単に覚えられるわけでもないですが、それでもやっぱりそういった人が会社に入り込むと悲しい気持ちになります。そのため、以降は縁故以外からの職人雇用はせずに、すべて知り合いヅテで雇用をしています」
現在、山田工業所で「打ち出し中華鍋」の製造を行う職人は17名。このうち、50年以上勤務する86歳の職人がいるほか、2024年で77歳になる山田さんと同世代の職人も複数いるという。
「うちは雇ってもみんな辞めないんですよ(笑)。職人みんなで仲良くやれていますし、なるべく“楽しい会社”にしようと考えているので。『会社を存続させる』『会社を守る』ということは、みんなが仲良くやらないとダメです。ほかの社長はお金を優先させて、時に従業員を簡単に切ることがあるのかもしれないけど、人間関係はお金に換算できるものではありません。また、通常、会社には『定年』というものがあって、60歳や65歳を過ぎると現場を離れていくじゃないですか。でも、これもよくないと思っています。私の周りにいる同世代の社長から会長に上がった人を見ていると、二代目が『いいよ、いいよ。親父は会長として何もしなくていい』と言うわけですが、そうなると人がどんどん変わっていっちゃうんです。要は、ボケるということですね。だから、健康なうちは年齢を問わず、できるだけ仕事してもらったほうがいいですよ(笑)。勘が鈍らないし、より長く健康でもいられるんじゃないか、というのが私の持論です」
山田さんの話は、一貫して“人と人とのつながり”や“人間関係の大切さ”を痛感させられるものが多い。前述の「人間関係はお金に換算できない」といった言葉にもあるが、山田さんは一度「この人」と決めたら、できるだけ長い付き合いを心がけているという。
「完成した中華鍋を出荷する際、段ボールが必要なのですが、これまでにいくつもの段ボール業者が営業に来ました。『今いくらで段ボールを仕入れていますか?』『うちでは、今よりも何割も安く卸させていただきます』といったような営業です。しかし、私は今取り引きしている段ボール業者の価格が、仮に相場より高かったとしても、“仲間の業者”だから買っています。『安ければいい』『自分の会社だけが得すればいい』という考えは全くなく、それよりはまず『仲間に得してもらおう』と常々考えているからです。仮に、自分だけが得をするように振る舞い、一時的に望み通りの結果を得られたとしても、いつか必ず潰れますよ。だって、仲間を大切にしないのですから」
■仲間を思い、「長い目」で見ることの大切さ
現在の山田工業所の卸先は120社に限定している。これ以上増やすと生産が追いつかないという理由もあるそうだが、それよりも山田さんが重要視するのは、卸先を増やすと、「業者同士で食い合ってしまうことがあるから」だとか。
また、仮に山田工業所が一定の価格で卸した中華鍋が、卸先でその数倍の価格で販売されていたとしても、「業者同士で食い合っていないのであれば大いに結構」だとも山田さんは言う。「それは卸先の企業努力によってその価格になっているわけで、うちの中華鍋で取引先すべてが儲けてくれているのだから」と、むしろ喜ばしいことだと考えているそうだ。
「商売の鉄則として、『買う』『売る』『作る』『仕入れる』のすべてが得をしなければいけない。そうじゃないと成り立たないわけです。どこかひとつでも損をするところが出てくると、途端に崩れてしまう。仮に一時的には成立したとしてもそう長くは続かないでしょう。よくテレビの情報番組で『この店の特売がすごい』と特集することがあるけれど、ああいうのも私は疑問に思っています。お店というのは、それぞれ経営条件が違うものです。『家賃を払っているか・いないか』『人を雇っているか・いないか』とかね。そういった背景があるなかで、ほかより安いことを声高にテレビで紹介すると、その店だけに人が群がる。『消費者のために安い店を紹介することはいいことじゃないか』と言われるかもしれないけど、別の店にとっては暴力なんじゃないかと感じます。単に“安い=素晴らしい”という発想は、一時的なものでしかありません。一時的な利益を追いかけるのではなく、長い時間をかけてその業界にかかわるすべての人たちが助け合って生きていけるような関係にならなければいけない。単に“安さ”を追いかけるだけでは、長い目で見れば、誰も得をせずに終わるんじゃないかと思います」
ここまでの“安さ”をめぐる話について、山田さんが力強く語るのは、過去の苦い経験が理由だった。
山田工業所の「打ち出し中華鍋」の市場価格は、安いもので5千円前後からとなっている。高品質であり、「打ち出し」という技術力と手間を考えれば極めて安い価格設定に思えるが、さらに卸し価格ともなれば、当然その何割も安い。
この良心的な価格設定もまた、「仲間(取引先)が儲からないといけない」という思いが反映されているものだと思うが、あるとき、山田さんのもとにある相談が持ちかけられた。
「20年以上付き合ってきた卸先の会社からの相談だったのですが、あるとき『5%まけてくれないか』と言ってきました。その理由を尋ねると、『お客様に10%安く提供したいから』ということでした。しかし、それは『売る』という仕事を行う側の問題で、うちには関係のない話です。うちは卸先に儲けてもらうために、そもそも安い価格で卸しているわけですからね。そこで『それはおたくが10%儲けを引けば済む話でしょう』と言ったところ、『そんなことを言うのは山田さんのところだけですよ』『よそにも全部そのようにお願いしています』と返されました。裏を返せば、『お前んとこの中華鍋を売ってやってるんだから、それくらいの条件飲め!』ということなのだと受け取りました。
その話を聞き、私はその会社まで出向いて、『わかりました。今日いっぱいでおたくとの取り引きはやめさせてください』と言い、帰ってきました。ところがその後、その会社の従業員が社長に掛け合ってくれて、『山田さんのところは従来のままでいいことになりました』と言うわけです。それを聞いて、『うちはおたくとはもう取り引きしないと言ったでしょう。もし、もう一度一緒にやると言うのなら、うちにとっては新規顧客として考えますが、5%の重みを知ってもらいたい。だから、これまでより5%高くしないと卸さない』と言いました。それ以来、その会社は従来よりも5%高く買ってくれています」
ここで山田さんが頑として卸し価格を変えずに対峙した理由は、単に利益的なものではない。ここで価格を落としてしまっては、同じ卸し価格で頑張ってくれているほかの業者に申し訳がたたないこと、そして日々高品質で適正価格の中華鍋を作り続ける山田工業所の従業員にも申し訳がたたないという思いからだったそうだ。
「三代目となるうちの倅にはこう伝えています。『今のお客さんが、ずっと自分のお客さんでいられるような商売をしろ』と。しかし、金額をまけることは『ずっと自分のお客さんでいられる』ということとは違うんです。その場の金額のことだけですから、やがて関係は崩れていくと思います」
■ピンチを乗り越えられたのも「仲間」のおかげ。新規契約は“新しい友達作り”
こういった誠実な思いのもとで製造を続けてきた山田工業所。しかし近年、大ピンチが訪れた。それは、メイン資材のひとつとなる「1.2ミリの鋼材」の供給がストップするというものだった。
「1.2ミリの中華鍋は軽くて人気で、特にプロの料理人たちがこぞって注文してくれるものでした。それまでうちではさまざまな鋼材屋さんが営業に来ても、『うちは1社だけって決めているから』と全部断っていましたが、やむを得ずほかの業者をあたることに。でも、どこに聞いても『1.2ミリはやっていません』と言います。本当に困りましたが、うちにとっての1.2ミリの重要性とこれまでの関係を汲んでくれた商社が鋼材メーカーに掛け合ってくれて、『山田さんのところを守る』ということで、特別に1.2ミリの鋼材の製造を継続してくれることになりました。“安さ”だけで取引先を選ばず、“その人”を信頼してやってきたからこそ、守ってもらえたのだと思いました」
最後に山田さんは、現在、山田工業所の技術と事業を継承中である息子さんに伝えているという“大切な話”も教えてくれた。
「取引先を『仲間』とすることは大前提にしても、『仮に知らない人であっても本当に困った相談が来た場合は全部受けろ』と言っています。取引先や同業者は全員その道のプロで、そのうちのどこかが困っていて、それをうちが断ったら、その業者は路頭に迷うことになる。なので、『そういうときは新しい友達作りだと思って受けろ』と言っています。そして、それは本来の商売ではないわけだからお金も取らなくていい。いつかその『友達』のビジネスが軌道に乗り、うちを思い出してくれたときにお金をもらえばいいんだから、と伝えています」
深いシワをさらに深くするように、「こんなんだから息子から『頑固親父』って言われるんですよね」と笑う山田さん。山田さんの話は、多くのビジネス書にある「いかにして他者を出し抜けるか」といったものとは真逆のものだと感じた。多くの人がビジネスでの成功を目指していると思うが、一歩立ち止まり、今回の山田さんの話を“大先輩からのアドバイス”として受け止めてみると、ビジネス以上に大切なものが見えてくるかもしれない。
取材・文=松田義人(deco)