日本国内ではドナーが不足していて、法の不備をつく形で不透明な海外での臓器移植が見逃されてきた現状があります(写真:vectorfusionart/PIXTA)

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本田さんが移植手術を受けたキルギス・ビシケクの病院(撮影:藤原聖大)

ロシア軍の侵攻により世界中から注目を集めることとなったウクライナだが、国民の所得水準は驚くほど低く、金銭と引き換えに自らの臓器を差し出すケースがたびたび確認されているという。

ウクライナ南部に住む女性もブローカーの誘いに乗り、日本人女性に腎臓を提供した。対価として得たお金は娘の学費などにあてられた。

「貧しい国の人が自ら望んで腎臓を売る。腎臓をもらいたい先進国の患者が金を出す。一見すると、双方にメリットがある『ウィン・ウィン』のような関係にも見えるが、果たしてそうだろうか?」

そう問いかけるのは、読売新聞社会部取材班による執念の調査取材をまとめた『ルポ 海外「臓器売買」の闇』だ。

同班によるスクープは2022年8月7日の読売新聞一面を飾り、その後、臓器移植を斡旋していたNPOの理事長は逮捕。同班はこの記事を発端とする海外臓器売買・斡旋に関する一連の報道で、2023年度の新聞協会賞を受賞している。

本記事では同書から一部を抜粋、再編集。前後編に分けて告発のきっかけとなった日本人女性の悲劇を掲載します。今回は後編です。

前編「海外での腎臓移植を望む50代女性が陥った"罠"」はこちら

目が覚めたらホテルに

入院から2日後の12月18日。病院5階にある手術室で、エレナの体内から摘出した腎臓を本田に移植する生体腎移植手術が行われた。

手術後、本田は意識が朦朧(もうろう)とした状態が続き、はっきりと目が覚めたのは1週間近くたった時だった。

そこは病室ではなく、ビシケク市内のホテルの一室だった。現地で「3つ星」とされるホテルで、客室は小綺麗だったが、臓器移植を受けた直後の患者が療養できるような場所でないことは明らかだった。

背中に、ナイフで刺されたかのような激痛があった。本田は、日本にいるNPOの菊池から電話を受けた。

菊池「もしもし、聞こえますか」

本田「聞こえてますけど」

菊池「歩くと痛いの?」

本田「もちろん、手術したから傷口が痛いに決まっているでしょ。25センチも切ったんですよ。最初は5センチと言われていて」

菊池「痛いといっても、(リハビリのために)動かないと余計ダメなんですよ。今回、リハビリが遅くなったので。麻酔から完全に覚めるのに2、3日かかったんですか?」

本田「手術日入れて4日かかりました。意識朦朧で。私、麻酔の事故だと思いますよ」

菊池「麻酔の量が多かったと思いますよ」

本田「多かったでしょ?」

菊池「そう。それは(医師の)先生のミス。医療ミスで大量に麻酔薬が投与されたために意識不明になったんです。これはもう明確」

「納得できない」

そんなやりとりの後、本田は病院からホテルに移されなければならなかった理由を追及している。

本田「でね、菊池さん、お話はわかりましたけど、ホテルで治療するってどういうことですか」

菊池「わかりません、僕にも。そうしてくれって言われたんで」

本田「ドクターに聞かないんですか。聞いてくれないんですか」

菊池「教えてくれない、何も」

本田「すごくいいかげんですね」

菊池「外国ではこういうこともありますね。今ここで長電話するより、(リハビリで)歩いた方がいいんで、今から歩いてもらえますか」

本田「菊池さん、私ね、悪いけど納得できないんですよ」

菊池「納得できないならどうしますか? 日本に帰りますか? いいから歩いてください。ここでワーワー騒いだって体は良くならないんですよ」

実は病院では、本田より先に腎臓移植手術を受けて重篤になったイスラエル人女性が、その後、死亡していた。

女性の家族が「警察を呼ぶ」と騒ぎ立てたため、慌てたトルコ人側が本田を病院からホテルに移したというのが真相だった。

適当な言葉の数々に募る不信感

歩くことはおろか、激しい痛みでベッドから体を起こすのも難しい本田に対し、菊池は電話口で、リハビリを行うよう繰り返し求めた。あたかも医師であるかのように、こうも述べている。

「今、おしっこの写真を見せてもらいました。この色の状態と流れを見ると、はっきり言って心配ない状態ですよ。問題は、おしっこの量が少ないことなんですよ。

(中略)本田さんの移植した腎臓は、まだ2〜3割しか動いていない。これをどんどん良くするには、歩いてほしいんです。するとおしっこの量は3日後には必ず増えるから。僕は99%約束する」

本田の体調を心配した日本の親族が、通訳のカタリナからトルコ人の連絡先を聞き出し、現地で多くの人に利用されている通信アプリ「テレグラム」を通じて英語でやりとりをしている。手術から8日後の12月26日のことだ。

トルコ人は本田の親族に対し、「現時点では感染症にかかっていない」と説明したが、「キルギスでは拒絶反応の治療ができない」と明かした。

ホテルで療養している理由については、「イスラエル人の患者に問題が起きたため、安全上の理由からホテルへ連れて行った」とした。

しかし、本田の体調は回復しないどころか、悪化していった。そのままでは命の危険があったため、いったんウズベキスタンに移動し、病院で治療を受けた。

移植した腎臓は膿だらけだった

日本に向けて出発したのは、2022年の年明けのことだ。1月5日、やっとのことで成田空港に到着すると、空港から千葉県内の病院に救急搬送された。


診察した医師は目を見張った。移植した腎臓は膿(うみ)だらけで機能しておらず、もはや摘出するしかなかった。

緊急手術の麻酔から目を覚ました本田に、医師は「危篤でしたよ、本田さん。帰国があと1時間遅れていたら、死んでいたかもしれない」と説明し、こうも語った。

「もう、めちゃくちゃですよ。縫い方も雑で、21世紀の医療の傷痕とは思えない」

本田はその後も体調が芳しくない状態が続き、入退院を繰り返している。NPOに高額の費用を支払い、健康を取り戻すために海外に渡航したのに、結果はさんざんなものだった。

「かえって、地獄のような状況になってしまった」。そう悔やんでいる。

前編「海外での腎臓移植を望む50代女性が陥った"罠"」はこちら

(読売新聞社会部取材班)