現存唯一の最強戦闘機「疾風」“ウワサ話”はガセだった! 文化財としての状態調査に密着 “新発見”も続々!?
鹿児島県で保存される旧陸軍戦闘機「疾風」の状態調査が行われ、新たな発見や良好な保存状態が再確認されました。こうした保存の取り組みは、南九州市の指定文化財への活動に繋がっています。
今年も実施 知覧「疾風」の状態調査
鹿児島県南九州市知覧町にある「知覧特攻平和会館」において、2024年2月26日から29日までの4日間、展示されている四式戦闘機「疾風」の状態調査が行われました。8回目となるこの調査に、筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)も同行して、初日からその模様を取材・見学することができました。
状態調査の初日、機首カウルの点検パネルが外されてエンジンが剥き出しになった、知覧特攻平和会館の四式戦闘機一型(キ84-I甲)「疾風」(吉川和篤撮影)。
四式戦闘機「疾風」は、太平洋戦争の後半である1943(昭和18)年に中島飛行機(現SUBARU)が開発した旧日本陸軍の主力戦闘機です。試作段階で最高速度640km/h(高度6000m)を出し、日本の戦闘機として優れた高速性を備える一方、蝶型フラップ(空戦フラップ)の採用などにより格闘戦性能にも長けていたのが特徴です。
こうしたことから「大東亜決戦機」と位置付けられ、「疾風」は対米戦の最前線となったフィリピン方面だけでなく、中国や、イギリス軍が相手のビルマ戦線などにも投入されました。当時の日本戦闘機としては屈指の高性能機だったため、米英側も「手強い相手」として認識しており、末期の日本本土空襲では、飛来するアメリカの戦略爆撃機B-29の迎撃にも用いられています。
しかし、戦局の悪化にともない1944(昭和19)年後半からは「疾風」も特攻機として使われるようになり、翌1945年の沖縄戦では、知覧を始めとした九州各地から出撃していきました。
なお、「疾風」は終戦までのわずか1年半で3577機が完成していますが、日本が敗けたことなどによって2024年現在、世界中で現存する「疾風」は知覧特攻平和会館で展示される1機のみとなっています。
このような希少な現存機を、このたび子細に分解・調査することができました。
ファンの風説がウワサでしかないことを確認!
知覧特攻平和会館の「疾風」は、厳密には四式戦闘機一型と呼ばれるタイプで、型式名は「キ84-I甲」、製造番号は1446号機です。
もともとは、大戦中にアメリカ軍がフィリピンで鹵獲(ろかく)したもので、当時彼の地に展開していた旧日本陸軍の飛行第11戦隊で使用されていた機体でした。
同機は鹵獲(ろかく)後、オーストラリアやアメリカ本土で各種テストに用いられた後、戦後に里帰りを果たします。そして群馬県の富士重工(旧中島飛行機/現SUBARU)で保管されたり、京都にあった嵐山美術館(当時)で展示されたりといった経緯を経て、陸軍特別攻撃隊員の資料を保存・展示する知覧特攻平和会館が同機を購入。1997(平成9)年2月よりここで展示が始まり、現在に至っています。
上から見た「疾風」の空冷星型複列18気筒のハ45型エンジン(2000馬力)。後方には黄色く塗られた潤滑油タンクが見える(吉川和篤撮影)。
アメリカから里帰りした当初こそ、米プレーン・オブ・フェイム航空博物館長であったエド・マロニー氏の手により飛行可能な状態に復元されていましたが、その後の保管状態により今では飛行できない状態になっています。
ただ、長年展示してきたなかで、新たな保存の取り組みとしての状態調査がスタートします。経年による金属の腐食や劣化などの現状と共に、1446号と称される機体の真正性を確認するためのものでした。
その結果、日本軍機研究家であり修復作業にも詳しい中村泰三氏を始めとして、航空機エンジン専門家の面々とともに日本航空協会や東京文化財研究所のスタッフの人たちも加わり、2017(平成29)年1月より1回目の調査が開始されます。
初年度はエンジン部のカウルやその後方の点検パネルの取り外しから始め、2023年2月に実施された7回目の調査までにはシリンダー内部の調査や防錆処理、左右主翼の内部や空戦フラップの調査、配管の確認や保全処置、またオイルタンクに作動オイルを注入して循環する確認も行われました。
機体番号に関しては調査の結果、カウル内部や機体構造部材の刻印から製造番号1446号で間違いないというのが確認されました。また、かねてより移送のために主翼を切断したなどとファンの間でまことしやかに流布していた噂も、ファイバースコープなどを使って行われた主翼の内部調査において、先端(未調査)以外は主桁が切断された痕跡もなく、ただの風説であったことが判明しています。
ちなみに、1973(昭和48)年に国内で最後に飛行して以降、機体の状態は概ね良好に保たれていて、かつ多くのオリジナル・パーツや機体内部に一部残った塗装、さらには戦時中の修復箇所なども過去7回の調査で確認されたのです。
保存の取り組みから文化財指定へ
今回で8回目を迎えた「疾風」の状態調査では、すでに見つかっていた尾脚の作動を行う油圧配管の亀裂による漏れに対処するため、操縦席を外してその下にある配管根元に栓をする処置を施しています。そして作動オイルを注入して、その後の漏れのチェックや各所の油圧作動も確認しました。
また、エンジン架内のロッドの取り付け間違いを修正して、始動用の慣性始動機(エナーシャ)を暖めて内部のオイルを溶かし、ハンドルを回して内部状態の確認も行っています。
ほかにも、保存処置を施したバッテリーが胴体内に積み直されました。さらに失われたと思われていた操縦桿の左側にあった無線機用のボタン部分も、今回の調査中に機内から発見されています。
ちなみに、こうした毎年の調査に掛かる費用は、その多くが南九州市の予算から捻出されています。すなわち、世界で唯一残る貴重な「疾風」の保存に地元の行政としても取り組んでいるのです。
計器の半分程は飛行のためアメリカ製に替えられていたが、その他はオリジナルを保っていた。また操縦桿には新たに発見された無線機用のボタン部分が仮付けされている(吉川和篤撮影)。
このような長期に及ぶ活動が実を結び、「疾風」は2020年11月には南九州指定文化財(有形文化財/歴史資料)に指定され、2023年2月には日本航空協会より重要航空遺産に認定されています。これは第2次世界大戦中の国産軍用機としては、異例の扱いといえそうです。
また南九州市の取り組みは「疾風」の保存だけではありません。知覧やその周辺に残る戦時中の弾薬庫や給水塔といった施設に加え、掩体壕やトーチカなどの戦争遺構についても保全や管理をして、その歴史を残し、平和の尊さを後世へ伝えようと動いています。
こうした地元の活動は、きわめて意義のあることだと筆者は捉えています。また、この南九州市の取り組みは、全国に残る戦争遺構の保全のあり方のモデルケースにもなるのではないでしょうか。
さまざまな人が南九州市の知覧町を訪ねて、現地で実在する遺構に触れてみると良いと考えます。自国の歴史を振り返るという意味で、きっと新たな発見があることでしょう。