武藤彩未 撮影/荻原大志、ヘアメイク/Ken Nagasaka

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アイドルグループ・さくら学院の初代生徒会長であり、現在はソロ歌手として活躍する武藤彩未。3月12日には、ファン待望のファースト写真集『最初で最後』(ワニブックス)を発売する彼女に、今までのキャリアの総括と、歌い続ける理由を聞いた。

【写真】ソロデビュー10周年、武藤彩未の撮りおろしカット【4点】

──今回、ソロデビュー10周年を機に初の写真集を出しましたが、振り返ってみるとどんな10年でしたか?



武藤 確かにソロになってからは10年ですけど、実際はその前からお仕事はしていたわけで、そこらへんでちょっと悩むこともありましたね。というのも小さい頃からこの世界しか知らなかったので、ほかの世界も知りたいという気持ちが強くなったんです。そして一度、冷静に自分を見つめ直したかった。そこで芸能活動を休止することにしたんです。

──活動休止を発表したのが2015年末。活動を再開させたのは3年後の2018年でした。キャリアの中でも大きなターニングポイントだったことは間違いありません。



武藤 ほかの世界も見てみたいと考え、海外留学をしていました。グループをやって、ソロでもやって……当時、自分としてはやり切ったかなという思いがあったんですよ。お仕事自体はもちろん楽しかったんですけど、だんだん義務感みたいなものが強くなってきてしまっていて……。

自分のやりたいことを表現するというよりは、求められる私を演じるというプレッシャー。言い方を変えると、自分のやりたいことを伝える余裕も能力もなかったんだと思う。与えられたことをただこなしていくみたいな感覚があって、それをずっと続けていく自信がなくなっていたんです。

──当時、まだ19歳でしたよね。企業に就職するなり、大学で勉強するなり、いろんな選択肢があったと思います。海外留学を決めたのは?



武藤 大学は行きたかったんですけど、やっぱり芸能活動をしながらだと難しい部分があったんですよね。活動休止中はどこかで働くよりも、なにかを学ぶ時間にしたくて。昔から英語を勉強するのは好きだったので、ニュージーランドに留学することに決めました。

──向こうでの生活は、どんな感じだったんですか?



武藤 海外だと知り合いもいないし、全部を自分でやるしかない。だから行動力は本当に身についたと思います。最初の3ヶ月くらいは全然しゃべれなかったので、ジェスチャーとか単語だけで必死に伝えるしかなくて、もう本当に地獄みたいな毎日でした(笑)。

それと同時に、今までどれだけ恵まれた環境にいたのか思い知らされましたね。それこそ小学生の頃から周りがいろいろ用意して、決めてくれていたわけですから。そういえば、向こうでは生まれて初めてアルバイトもしたんですよ。パン屋さんで朝3時くらいに起きて、お店でパンを焼き、午後から学校に行っていました。

でも最終的に向こうでは友達もたくさんできたし、ホームステイ先の家族が本当に温かい方たちで、今でも第2の父と母だと考えています。いまだに連絡も取っていますしね。

──写真集を見たら、第2の父と母も「こんなに大きくなって……」と感無量かもしれませんね。



武藤 いや、私だって気づかないかもしれない。というのも当時、向こうで15キロくらい太っちゃったんですよ(笑)。

──それはパンを食べ過ぎたせいで?



武藤 パンの影響もあるし、まだ10代だったせいもあるし、そもそもニュージーランドって1食の量が日本の何倍もあるんですよね。当然、カロリーも高いです。フィッシュ&チップスとかの揚げ物が多くて。最初はとんでもなくヘビーに感じたけど、恐ろしいことにだんだんそれにも慣れてくるんですよ。気づいたときには、もうすでに手遅れでした(笑)。

──帰国後、もう一度歌おうと考えたのはどうしてですか?



武藤 向こうに渡った時点では、芸能の世界に戻るかどうかも決めていませんでしたね。だから事務所も辞めて、全部リセットしたんです。だけどやっぱり、ふとした瞬間に自然と歌っているんです。パンを焼きながらも歌っていたし、ホームステイ先の部屋でも歌っていました。そうすると、ドアの向こうで聴いていたマザーが「なんて素晴らしい声を持っているの、あなたは!」とか褒めてくれたりして……。

──そんなことがあったんですね。



武藤 なんだか不思議でした。歌を手放したはずなのに、結局は自分で歌っちゃっているわけですから。それで、やっぱり私には歌しかないんだなと改めて思いましたね。単純に歌うことが一番楽しいんですよ。歌がなくなったら、もう私の人生じゃないという感覚で。

──とはいえ、事務所を辞めたわけですよね。実際に活動再開しようにも、様々な手続きや段取りがあると思うのですが……。



武藤 戻ってきて最初の1年くらいは、実質的にフリーとして全部1人でやっていました。ライブ会場を押さえるのも自分で電話していたし、お金のやりとりとかも自分で計算して。バンドを組もうにも誰かが用意してくれるわけじゃないから、楽器できる子がいないか知り合いに相談していましたし。そんなことは昔の私では絶対無理でしたけど、留学で身につけた行動力が役立ったんだと思います。

──現在は、つばさレコーズに所属しています。意識の面では以前とだいぶ違いますか?



武藤 全然違いますね。やりたいことが自分の中で明確になったし、それを伝える余裕もできました。世の中には作られた世界で輝く子も大勢いるはずですけど、私の場合、おそらくやりたいことが強すぎるんでしょうね。80年代の音楽が好きという気持ちが大きすぎて、与えられたものだと自分の中で無理が生じるんです。

──今は、シティポップが世界的なブームになっています。



武藤 私の場合も、海外からのコメントが半分くらい占めているかもしれません。ぜひ海外でもライブしてみたいですね。あの当時のサウンドを聴いていると胸が苦しくなるんですよ。キュンキュン恋している感覚になって。

──8歳の頃からモデルとして活躍し始め、現在は27歳。自分で大人になったと感じる点は?



武藤 見た目! 顔が幼いことは、長い間ずっとコンプレックスだったんです。それを払拭するためにメイクとかも研究したし、洋服も大人っぽいものを着るようにしました。ないものねだりなのかもしれないけど、大人っぽい女性に昔から憧れていまして。実年齢よりも年下に見られるというのは、単純に舐められるということですから(笑)。

だけど最近ようやく「大人っぽくなったね」と言われるようになったんですよ。それが、うれしくて! 今度出る写真集には私の成長した部分が収められていますので、ぜひ手に取っていただければと思います!

(取材・文/小野田衛)

▽information
3月10日(日)第一部:12:00〜/第二部:14:00〜、池袋AKビル1Fライブハウスにて写真集発売記念イベントが開催される。