日経平均株価は1990年2月20日以来、約34年ぶりに3万7000円台をつけた。日本株は今後も上昇するのだろうか(写真:つのだよしお/アフロ)

今後の株価はどうなるのか。9日の日経平均株価は一時3万7000円を突破したが「今日の日経平均の終値」は、いまや明日の天気に次いで、国民的に重要なニュースになっている。

冷静で中立的な立場で株価予測をやってみよう


この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています【2024年1月5日編集部追記】2024年1月1日、山崎元さんは逝去されました。心から哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りします)。記事の一覧はこちら

しかし、改めて観察してみると、適切な株価動向の見通しのアドバイスをやっているような番組はどこにもない。NHKのニュースはそんなことに踏み込めるはずがないし、ほかの媒体だってそうだ。

一方、経済や金融市場専門のニュース番組は、テレビにせよ、ネット番組にせよ、市場関係者に埋め尽くされており、ほとんどが上がるという予想だ。しかも大半は買い推奨でしかなく、どうみてもムードが悪いときは、調整局面で買い場を探る展開、という解説になる。いわゆるポジショントークしかない。

そして、もともと弱気だったり、懐疑的だったりする人々は、あまりメディアから声がかからなくなる。そうなると株に常に強気の人ばかりが世の中にあふれることになる。これは前回の「なぜ株価はほとんどいつも上がっているのか?」でも触れたところだ。

正しくなくても、予想として当たらなくとも、冷静で中立的な予想、あるいは見通しの分析はどこにあるのか? ない。では、ないならば、やってみよう、というのが今回の趣旨である。

すでに多くの読者の皆さんもご存じのように、私は、現在の株価には弱気である。だが、今回はその自分の見方を排除して、中立的な描写に徹したい。

まず、今年日本株が上がってきた理由は何か。個人も機関投資家も海外投資家も日本株を買っているからである。個人は新NISA(少額投資非課税制度)が施行されて、急激に株式投資シフトを強めている。

ただし、米国株を中心とした海外株が多数派で、日本株は、高配当利回りを狙った個別株狙いが多いようだ。ある報道によるとJT株が一番人気だった模様だ。

一方、海外投資家も今年に入って、買い意欲を加速させた。2024年1月は、ヘッジファンドなどの短期ローテーション買いが多かった模様だ。ただ、昨年から長期の現物株の投資が増加しており、ウォーレン・バフェット氏が率いるバークシャー・ハサウェイの大手商社株買いがニュースとなった。

だが、それ以外の、長期に保有する投資家の個別株買いも増えている模様だ。さらに、中国国内の個人投資家も、自国からの資金逃避先として日本株を選好しているということが伝えられている。海外のほとんどすべての投資家は、短期でも長期でも、日本株へ資金を傾けている。

日本ブームが日本株買いを支える

短期も長期も、これらの背後にあるのは、日本ブームだ。この理由は、第1に、海外投資家が中国からの撤退により、アジアへの投資配分を日本へシフトさせているということ、第2に、東京証券取引所によるPBR(株価純資産倍率)1倍割れ銘柄解消への圧力など、株主還元が加速する見通しが広まっていること、第3に、日本の個人投資家も株式投資に動き出した気配があるということ、これらによると言われている。

ただ、それ以外に、文化、社会的な日本ブーム、すしや観光などの日本ブームが日本のイメージを急激に良化させている面もあると言われている。大谷翔平ブームが関係あるかどうかは何とも言えないが。

一方、日本の国内機関投資家の動きは目立たない。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は「ネタ切れ」「タマ切れ」だ。パッシブ中心の運用となっているし、かつ日本株の上昇は、ポートフォリオ上、上限であるウェイト25%の超過をもたらすから、動くとすればむしろ売り方向だ。

また日本銀行も、新規のETF(上場投資信託)買いは、ほぼゼロであり、植田和男総裁も先日国会で見直しの可能性に言及した。ただし、「売るのはもっと先の話」とも述べた。そのほかの国内勢も、急な上昇に戸惑ったままついていけない感じで、もともとのホームバイアス(自国など身近で親しみのある資産への配分が過多になること)があるから、これ以上日本株をドラスティックに増やす余地はない。

これはアベノミクスによる異次元緩和により、日本株ブームとなった2013年と同じだ。今まで日本株を買わなかった投資家ほど、新しいストーリー(物語)に乗って、闇雲に日本株を買った。いままで日本と日本株をよく知っている投資家ほど、変化には懐疑的で、流れに乗り遅れた。円安と過剰流動性相場だから、実態に変わりはない、という見立てはおおむね正しかったが、それまでの「日経平均8000円台」というのが異常な安値だったから、価格水準の訂正のきっかけとしてのアベノミクスは効果を発揮した。

現在も、似た状況だ。日本株を買いたいと思う投資家たちの、買うためのエクスキューズ(言い訳)は、コーポレートガバナンスの改善、東証の圧力による株主還元の拡大であり、これは企業の事業モデルの変革でもイノベーションでもなく、株主への「見せ方」、プレゼンテーションの改善である。

つまり、見栄えが良くなっているだけであり、ブームに乗りやすいストーリーを見せているだけだ。それで流れは変わるのだから、株主や新規参入投資家にとっては素晴らしいのだが、中身が劇的に変わっているわけではない。もちろんまったく変化がない、と言っているわけではない。だが、中身の地道な改善や変化は、1998年のアジア通貨危機のときあたりから個別企業においてはずっと続いているわけで、何も2024年に新しいことが始まったわけではない。

株式市場はすべて需給で決まっている

これが株式市場の本質だ。株式市場は、すべて需給で決まっている。これは行動ファイナンスの本質でもある。冒頭から「株式市場の見通しを中立的に」と言っておきながら、為替の水準もPER(株価収益率)も、成長性も何も言及せず、需給の話しかしていないのは、原始的で、シンプルで、洗練されていない議論だが、それが現実だからだ。

株式市場とは、理論や情報をぶつけ合うところではない。欲望をぶつけ合うところだ。株式を買いたいと思っている投資家、買いたい状況にある投資家、彼らが、投資する理由を見つけるためのものが、理論であり、ratio(比率)であり、ストーリーなのだ。

まさにストーリーという言葉が象徴するように、それは投資家が夢見る物語にすぎない。PBRが1倍割れしていれば、解散価値が株式時価総額を上回るから、株主は解散すれば儲かるはずなのに、解散しないということは、今後の企業収益価値がこれを上回っているからであり、これは理論的におかしい。だから、PBRは少なくとも1倍までは上昇する、つまり株価は上がらなければおかしいから、上がるはずだ、という理論に力を部分的に借りた物語を信じようとするだけだ。

しかし、信じる者は救われる。その物語を信じて買えば、株価は需給に基づいて上がる。上がるという物語は真実のストーリーとなり、その物語を信じる人々が増え、それは物語から事実、ストーリーがファクト(事実)に変わる。株式市場は、投資家の願望(または恐れ)が自己実現する仕組みになっている。

理論や株価モデルは、その理論の信者が増えれば、物語が現実となる。多くの人がPBR1倍割れは上がると信じれば、ビジネススクールに通い、「株価は企業価値で決まる」という教科書の理論的理想郷を信じれば、その楽園の物語が現実化する。

MBA(経営学修士)という布教活動が広まれば広まるほど、その「企業価値教」は正しさを増す。これがMBAの力であるが、実はこれよりも影響力の大きい「教祖」はアメリカの有力投資銀行であり、有力投資家である。

彼らが買えば上がり、スピードも速く、規模も大きいから、布教活動で語られた物語は、すぐに実現する。「これからはBRICsだ」と唱えた瞬間に(実はその前から)、ブラジル、ロシア、インド、中国の株価は上がる。「原油価格は1バレル=200ドルでもおかしくない」と言った瞬間に、原油は最後の暴騰を見せる。

「新たな物語が次々と語られ、暴落で忘却」の繰り返し

「なんだ。中立的な記述でなく、お前こそ市場の物語を語っているではないか」と言われるだろうが、この物語が現実化しているのである。理論自体では何も意味を持たない。その理論を信じるものが増え、それに基づき投資する、買いが生まれるから、その理論の示す株価まで上がるのであり、この構造を利用する、ストーリーテラー(語り部)がいるのである。

行動ファイナンスという理論の信者がさらに増えれば、理論は現実をつくるための1つのストーリーのパターンにすぎないというストーリーが事実として、広く認識されるようになるのだ。

リーマンショックが起こり、株価が異常に下がれば理論株価などは無関係で、この理論、このメーターは機能しないことに誰もが気づく。しかし、人々は新しい前向きな物語を信じたいから、次の物語にすがっていく。量的緩和バブル、いや物語としては「流動性相場が始まる」という、いままで、企業価値と言っていた人々が、流動性という要は直接的な需給の支えのロジックを使うようになる。

そして、人々が投資を再開、拡大していくと「投資家のセンチメントが改善した、リスク許容度が上がった」という、理論では枠外とされているものを語って、株価を上昇させていく。

例えばITバブル当時も「ITにより、在庫が要らなくなり、景気変動もなくなり、株価の変動もなくなるから、リスクは下がり、PERが以前の倍になっても、合理的である。時代はニューエコノミーに入った」という物語が語られ、暴落とともに忘れられた。この繰り返しなのだ。

「短期」「中期」では日本株のブームは終わった?

したがって、今後の株式市場動向を短期にも長期にも支配するのは、今後、短期的に、そして長期的に語られる物語がどのようになるか、予想することだ。そして、投資家たちがどのような物語を信じるか、信じないか、それを予想することこそが中立的な分析なのだ。

まず、日本国内の個人投資家はどうだろう。新NISAがあり、周りでさらに株式投資が増えている。だから自分も買いたい。さらに買いたい。つまり、買うことと整合的な物語が信じられていくだろう。

「長期投資が重要だ」「株価に一喜一憂しない」「一時的に下がっても、長期には株式は上がる」といった、古典的なストーリーが振り込まれ、彼らの多くはとりあえず、それを信じるだろう。大暴落が起きるまでは。ただし、彼らは大暴落のきっかけにはなりえない。あくまで、受動的だ。

次に、中国の投資家はどうだろう。「中国はやばくて、この流れはとりあえずは止まらない」「外交的あるいは地政学的な断絶的変化がなければ、当面流れは続くだろう」。こうしたストーリーが語られており、だから買いは続く。

海外の短期筋はどうだろう。彼らは、1月一気に買ったから、ここでは様子見だろう。そして何か次の短期的なストーリー(物語)が世界で見つかれば、日本から移していくし、米国株が動けば、株式から資金を流出させるだろう。これは短期的にマイナスの可能性があり、流れを加速させる役割がある。

欧米の長期投資家はどうだろう。大分、日本株を買った。中国から日本へのシフトも大分終了した。短期筋も長期筋も、日本というストーリーから、個別の株、これまで注目されてこなかった中型株の物色を始めている。それを買えるストーリーを探している。株主還元の余地がある企業や、依然割安な株を探し、世界の大型株ブームの終了に備えて、日本株の中で投資先を変えるチャンスをうかがっている。

つまり、日本全体の物語は終わりつつあるということだ。ということは、短期、中期的には、日本株ブームは終わる、あるいは踊り場となる。

では、長期の日本株の物語はどうなるか。

それは、結局、世界的に株式への配分がどうなるか、という物語にかかっている。

上述したように、物語は強力だが、次のテーマに基づく物語であり、運用先をどこからどこに変えるか、新しい魅力的な物語の対象先に移すか、という話であって、運用総額はいくら物語を語っても増えない。

中央銀行が資産を買い入れて、流動性を供給し、それを金融機関と投資家が受け入れなければ、総額は増えない。世界の借金総額が増えなければ増えない。そうなると、流動性はアメリカの中央銀行がいわゆるQT(量的引き締め)、国債買い入れ縮小のスピードが低下するというストーリーがせいぜいで、流動性が増えるストーリーは思い浮かばない。

となると、民間部門で借金が増えないといけない。先行きの金利低下を望む物語が常に語られているが、毎回、ジェローム・パウエルFRB(連邦準備制度理事会)議長の会見で、その物語は否定される。そろそろこの物語を信じる人も減ってくる。そうなると「足元の現実的な借り入れ金利は高止まり、先行きの低下も限定的」となれば、民間の借金は減っていくだろう。

今後、想定外の出来事が起きる可能性

このように、今後、世界での株式投資総額が増えるというストーリーはなさそうなので、株式市場の上昇は、少なくとも中期的には限定的だろう。

一方で、今の高水準の株価を保つストーリーが一気に崩れるストーリーもあまりない。株価が調整するストーリーは容易に多数思いつく(例えばインフレは低下せず、アメリカの利下げは遠のき、そこへ景気も減速するストーリー)。

また、地政学リスクが軽減するような、よさそうなストーリーもない。アメリカ大統領選挙をはじめとして、習近平・中国国家主席、ウラジーミル・プーチンロシア大統領、そのほか多数の国で不安が顕在化する懸念がある。ただ、それで巨大銀行の破綻や金融市場機能不全というようなリーマンショック的な規模になるストーリーまでは思いつかない。

もちろん、想定外は常に起こるというのは想定内だから、この記事のストーリーも、恐らく想定外の出来事により裏切られるだろう。だが、現状は中立的にみると、大暴落の可能性は常にあるが、とりあえず見当たらない、ということだろう。

個人的には、その想定外の出来事が短期から中期には起こると思っているが、今日は個人的な見立てはしないので、ここまでとしよう。なぜなら、私の物語を信じる人は、現時点ではいないだろうからだ(本編はここで終了です。次ページ以降は筆者が競馬論や週末の競馬を予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)。

競馬である。

前回のコラムの中の競馬コーナーでも、日本競馬の発展のために「いま儲かっているときこそ、長期に設備投資をしろ、それはトラックのサーフェス(馬場)だ」という趣旨の話を提言した。今回は、同じ目的だが、産業組織改革を提案したい。

競馬は「スポーツベッティング」に侵食される可能性

危機感は前回と同じで、現在JRA(日本中央競馬会)競馬も地方競馬も大成功しており、一時の落ち込みから完全復活を果たしたように見える。だが「長期的には、競馬は衰退産業であり、それに備えて投資をしておけ」ということである。

直近の人気は、「ウマ娘」というゲームがもたらした一時的なものであり、少し前からの復活、特に地方競馬の回復は、ネット投票の浸透によるものだろう。

逆に言えば、この効果は、前者はすでになくなっているし、後者も頭打ちだ。今後はアメリカからの潮流を受け、最古の「スポーツギャンブリング」である競馬は、野球、サッカー、バスケットボールなどの「スポーツベッティング」に浸食されていくだろう。

なぜスポーツベッティングが優位なのか? それはギャンブルなしでも成立するスポーツに、人々が勝手に外野から賭けているので、ギャンブルの運営者にとっては超ローコストだからである。

一方、競馬はその対極にある。競艇、競輪あるいはドッグレースに比べてものすごく金(カネ)がかかる。今後、世の中は、効率化、低コスト化の進む世界になると思われる(世界的な少子化、労働力不足、あらゆる普通のことをするのにコストがかかるようになる。だから、付加価値よりも低コストのものが生き残っていく世界になる)。

そうなると、真っ先に維持不可能になるのはサラブレッドの世界だ。欧州競馬の衰退も、貴族の金がなくなったからであり、オイルマネーの道楽により何とか生き残っている。アメリカはそれに比べれば持続性があるが、それでも衰退傾向となっていくだろう。

一方、日本競馬が大成功したのは、JRAの戦略によるものだが、その背景にあるのは、競馬の庶民化、一般化、何より馬主の庶民化、一口馬主クラブの発明、発展である(これも前に述べた)。そして、日本のファンたちは、ウマ娘も一口馬主も、「物語」に心酔して、競馬の熱狂的なファンになっているのである。それはギャンブルとは異なった世界であり、今後もJRAは「物語」の続きを語らなくてはならない。

そのためには、前回の「Hero is coming」に続き、効率化、劇的な真剣勝負のドラマが必要で、馬同士のレースにおける競争をさらにドラマチックにすることである。もう1つは、馬を育て、調教し、御する人々、人間の側の真剣勝負の競争が必要だ、ということだ。

ひとことでいえば、JRAの厳しい参入制限、つまり、調教師免許、試験、そして騎手免許、試験の仕組みである。そして、厩舎スタッフの身分、所得保証である。

騎手は、現在所属のないフリーの騎手が大多数になり、競争は以前よりも厳しくなったが、実際、高額賞金レースのほとんどは少数の外国出身騎手に持っていかれる一方で、JRAという枠に守られた騎手たちの限定的な争いとなっている。

「調教師の競争促進」でさらに高レベルの調教師育成を

しかし、それよりもはるかに大きな問題は、調教師と厩舎スタッフであり、まずは、調教師の競争をもっともっと促進する必要がある。

私が競馬問題を論じ始めたころから比べれば、馬房の数は成績などで多少上下するようになったが、まだまだ少なすぎる。もっと自由に持たせるべきだ。

その一方で、美浦や栗東にあるJRAのトレーニングセンターの馬房が少なすぎて、あふれる馬たちを処遇するために、最大手の社台グループをはじめ、多くの有力馬主はお抱えの外厩(JRAのトレーニングセンター以外の競争馬の調教施設)を持っている。

私が昔肩入れしていた早田牧場が「打倒社台」のために作り上げた天栄の施設は、同施設の代表だった早田光一郎氏破産により、社台グループの手に渡り、ノーザンファーム天栄となって、皮肉なことにノーザン躍進の最大の武器となった。

それはともかく、外厩をうまく使える馬主が有利な状況になってしまっており、JRAの調教師は、社台の指示に従うことで、彼らから有力馬を預けてもらい、出走直前だけ一時的に馬を預かるような形になってしまっている(もちろん、社台が有力馬を預けるのだから、優秀な調教師の先生方なのだが)。

これでは、調教師は力の発揮のしようがないし(限定的だし)、長期的な日本競馬界の調教レベルの向上にはベストとは言えない、もっと自由に、調教師同士が競争を行い、誰もが自由に(現在は出走前の10日間はJRAの厩舎に入厩しなければいけない)外厩を使えるようにし、本当に強い競走馬、レベルの高い調教師が育つ世界最高の競馬界をさらに発展させなければならない。長くなったので、具体案はまた次回に。

さて、注目の共同通信杯(11日に東京競馬場で行われる3歳馬限定のクラシックトライアルレース。芝コース、距離1800メートル、G3)は、ノーザンファーム生産で矢作芳人厩舎のミスタージーティー。社台ファーム生産のジャンタルマンタルが強敵だが、昨年末のホープフルステークス(G1)での鬱憤を晴らしてほしい。単勝。

*次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は2月17日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)。

(小幡 績 : 慶應義塾大学大学院教授)