ESSEonlineで2023年12月に公開された記事のなかから、ランキングTOP10入りした記事のひとつを紹介します。

女優・川上麻衣子さんの暮らしのエッセー。 一般社団法人「ねこと今日」の理事長を務め、愛猫家としても知られる川上さんが、猫のこと、50代の暮らしのこと、食のこと、出生地であり、その後も定期的に訪れるスウェーデンのことなどを写真と文章でつづります。今回は、「高齢親の実家じまい」完了後のお話。大変だった2か月間で学んだことやこれからの自分に残したもの、そして捨てたものとは?

記事の初出は2023年12月。内容は取材時の状況です。

80代・90代親の「実家じまい」がついに完了

今年9月に思い立って始めた実家じまいはほぼ予定通り2か月間という限られた時間内で先日無事完了しました。

正確には「完了」と呼ぶにはほど遠い状態の、あくまでも実家から必要と思えるものを救出して56年間お世話になった家にお別れしてきたというのが実情です。

●50代後半の娘と、80代・90代親での片づけで学んだこと

仕事をしながら、その合間を縫っての実家じまい。60歳手前の私でさえ、精神、体力共に激しく消耗したのですから、80歳を超えた母、90歳を超えた父の脱力感は計り知れません。それでもこの短い期間に携わった、たくさん方々のおかげで、わが家の実家じまいは、短期間に成し遂げることができました。ある意味やっと物事を整理していく出発地点にたどり着いたというわけです。

今回の経験から、本当に多くの方が同じような境遇にいるということを実感。思いもよらぬほど多くの同世代の方がメッセージを送ってくださいました。

そこには、同じように実家じまいで苦労した経験談やあるいは、なんとかしなければと思
いながら実行できずに苦しんでいる方など、私たち世代ならではの「親への想いが」それぞれに込められたものばかりでした。この短い期間に私が痛感し、学んだ事柄のなんと多いことか。ほっと一息ついた今、改めてそう感じています。

●古い書籍や父の思い出に“嫁ぎ先”が見つかった!

川上家の場合、インテリアデザイナーという両親の職業柄、大量の荷物の大部分を書籍が占めていましたが、大手の古本屋さんでは二束三文にしかならない本たちが、「デザインに特化」した古書を扱う方に巡り会えたおかげで、およそ8割の書籍たちが息を吹き返してくれました。

なかでも驚いたことに、市販の書籍よりも父がこまめにスクラップしていた新聞の記事や、博覧会などの資料をとても貴重なものとして、喜んでくださり大量に持ち帰ってくださいました。これからオークションにかかるとのことですが、必要としてくださる方のところに嫁いでくれることは、この上なくうれしく感謝でいっぱいです。

●「なにかに特化したもの」はこの先を生き残るキーポイントに?

この「〇〇に特化した」という言葉はこれから先キーポイントになるのではないかという予感がします。ものが溢れているこの時代にあって、貴重なものがなにかを特定することはとても困難となっています。

なにかしらに特化しているものという個性があれば、もしかしたらそれを必要としてくれる人に巡り会う可能性もあるということを強く感じた出来事でした。「個性」が再びクローズアップされる世の中であって欲しいと願います。

60代以降に向けて「手放したものと残したもの」

そんな体験も踏まえて、今回私が感じた処分したものと残そうと決めたものたちを少しご紹介します。

まず書籍に関しては説明の通り、専門家の判断に任せてほとんどを引き取っていただき、それ以外の本は、処分。レコードもかなりの量を処分しました。雑誌は1970年代のレトロ感あふれるものを数冊残して処分。

●捨てる決断ができずに一時保留にしたものも

困ったのはやはり、次から次へと出てくるアルバムや、箱に入れられた未整理の写真たち。そしてそのネガフィルムやスライド写真でした。

おもしろいことに、未整理の写真たちは諦めがつきやすかったのですが、年代ごとに整理されたアルバムはどうにも処分することができませんでした。100冊は超える量のアルバムでしたから、果たして見返すことが今後あるかどうかもわかりませんが、一旦倉庫に保管することにしました。それ以外のネガフィルムや古くなりカビが生えてしまった8ミリフィルムやスライド写真は処分としました。

また古い洋服は、ほぼほぼ処分。私の部屋から出てきたデビュー曲の際の衣装や、初めての劇団の公演で父が縫ってくれた女王役の衣装は残すことにしました。

●「日記」は残す必要がない、と実感

私の部屋から出てきた厄介なものといえば書きためていた日記帳です。今となっては、自分自身でさえページをめくる勇気が持てず、赤面してしまいそうな内容もちらほらとあり
ます。処分するにしても、目の前で燃やさない限り恥ずかしくてなりません。

じつは私は親友の1人に、万が一私が飛行機突然の事故かなにかで、ふいにこの世から消えてしまったときには責任を持って私の日記を処分するように託しています。

しかし今回の実家じまいをきっかけに、自らの手でまもなく訪れる60歳の行事の1つとして処分することにしようと決意をしました。

改めて日記を書くとは、なんなのかと自分に問うてみると、「日記は残したいために書く」のではなく、そのときどきの感情を吐き出して、その感情を咀嚼して、気が治ればそこで完了しているのではないかという結論に達したのです。だから時を経て読み返すことにはあまり意味もないので、60歳の行事に斜め読みにでも読破して燃やしてしまおうと考え、秘密の場所に保管としました。

●スケジュール帳は残しておくと便利

それと比較すると、あまり感情が記されていない年ごとのスケジュール帳は、忘れていたその当時の出来事が鮮明に甦ることもあり酒のつまみにもなり得るとの理由から残して置くこととしました。

●最も処分に困ったものは…

そして処分に困った最たるものは、8段飾りの見事な雛人形。昭和の時代に大量に売られたせいなのか、引き取り手は見当たらず、かといって処分するにはあまりに美しい人形たちですから、結局倉庫でまた眠ってもらうこととなりました。いつか日の目を見てくれるといいのですが。

人形といえば、この雛飾りを押し入れの奥から取り出した最後の最後に、幼い頃肌身離さず抱き抱えていたパンダの人形が出現。あまりの懐かしさに持ち帰り、綺麗に洗って同じく持ち帰った弾けもしないウクレレとともにわが家の新しい仲間となりました。

そうして持ち帰ったものを見てみると、世間的には大して貴重なものではなくても、実家のリビングに物心がついた頃から変わらずに置いてあった、たわいもないものこそが、捨てられない大切なものと気づきました。

1つの区切りをつけることができたことにホッとしています。