新幹線の食堂車で、横山やすしが注文したものとは?(写真:IK/PIXTA)

年末恒例の漫才コンテスト、「M-1グランプリ」。このコンテストをゼロから立ち上げた元吉本興業の谷良一氏が舞台裏を書き下ろした著書『M-1はじめました。』が刊行されました。

谷氏はM-1を企画するまで、芸人のマネージャーなどをしていました。そこで出会った異才たちとのエピソードをつづった連載エッセイ「天才列伝――ぼくの出会った芸人さんたち」を、『お笑いファン vol.2』から抜粋・再編集してお届けします。このエッセイで描かれるエピソードに、M-1創設につながる、著者の芸人に対する価値観が見え隠れします。

今回は横山やすし編の前編です。

ぼくが吉本興業で出会った天才たち

ぼくは1981年に大学を出て吉本興業に入社しました。


その頃、前年から始まった漫才ブームがものすごい勢いで日本中に吹き荒れていました。

テレビをつければどのチャンネルにも漫才師が登場し、劇場にはお客さんが殺到し、漫才師はアイドルになり、漫才師の行くところには若い女の子がワーワーキャーキャーと押し寄せました。

そんな時代に吉本興業に入ったぼくは、本当にたくさんの天才と出会いました。

それも学校型の秀才ではなく、めったに世間にいない異才というべき人たちです。それまでのぼくの人生の中で出会ったことのなかった人たちでしたので、ものすごい衝撃を受けました。その人たちについて書いていこうと思います。

最初に出会った天才は横山やすしさんです。

やすしさんはぼくと一回り違う1944年生まれです。

36歳で日本一の漫才師に

西川きよしさんとコンビを組んだやすし・きよしは、名実ともに日本一の漫才師と言われていました。当時やすしさんはまだ36歳です。それで日本一だったわけですから、とんでもない天才だと言えます。お笑い芸人には若くして人気者になる人が多いのは確かですが、実力も日本一と言われた人はそんなにいないと思います。

やすきよの漫才はテンポが良く、ぽんぽんとやり合うセリフの応酬がおもしろく、そこに、軽妙なコント風のネタを入れてました。

まじめなきよし、やんちゃなやすしというキャラクターの対比が際立っており、特にやすしさんは毒舌の暴れん坊だけれども、憎めない、かわいいキャラクターが定着していました。

それに加えて、ふたりは、やすしさんの起こした事件を漫才のネタにしてしまったのです。そんなことは当時でも考えられないことでした。

きよしさんがやすしさんの事件をいじり倒すのを、お客さんは腹を抱えて笑っていました。それに対するやすしさんの受け答えが抜群だったのもお客さんにウケた要因だと思います。半分かすれたようなあの独特の調子で、「おお〜ん」と聞き返すやすしさんのとぼけた声が最高でした。

さてこのやすしさんですが、身長163cm、体重は45キロほどのびっくりするぐらい小柄な人でしたが、この人のしゃべりは相手を圧倒しました。

いかつい体をしたその筋の人たちも、やすしさんに機関銃のごとくまくしたてられると、ひと言も返せないのです。完璧に言い負かされて、グウの音も出ない。ことばが出ない代わりに手が出る。やすしさんは人をどついて事件になりましたが、実はよくどつかれていました。原因はこういうところにあったと思います。

やすしさんと言えば、なんといっても酒でしょう。酒にまつわるエピソードは数知れません。朝7時伊丹発の羽田行きの飛行機を待っているときのことです。

現れたやすしさんは「おう、ビール飲むかっ?」と聞いてきました。ぼくが酒を飲むのを知っていたのです。そして、売店で「ビール大ふたつ」と頼むと、大きな紙コップに注がれたビールをぼくに差し出しました。

夏の暑いときに飲むビールは最高ですが、真冬の2月、早朝6時です。ただでさえ寒いのに、キンキンに冷えたビールがうまいはずがありません。ぼくはビールをあんなに震えながら飲んだことはありません。

それでもやすしさんには言えないので黙って飲んでましたが、心の中でビール売り場の店員に、「真冬の朝にビールを売るな!」と毒づいていました。

食堂車でのウイスキーの思い出

やすきよの移動は大抵飛行機でしたが、新幹線でやすしさんと二人っきりで東京から大阪に帰ったことがあります。やすしさんは乗り込むと席に着かず、食堂車に連れて行かれました。当時新幹線には食堂車があって、移動の最中に食事を摂ることができました。今から思うとほんとに良き時代でした。

やすしさんは席に着くとすぐにお姉さんを呼んで、ウイスキーを注文しました。食堂車においてあるのはサントリーオールドのミニボトルです。

「これはすぐになくなるんや」と言って、やすしさんは一挙に5本頼みました。氷と水をもらって、セルロイドのコップで水割りをつくる。ぼくにもつくってくれて、飲めと言います。ミニボトルはすぐに空いてしまい、追加でまた5本注文しました。

そして、空いたミニボトルを新幹線の窓枠に並べていく。7、8本が並んだときにやすしさんがまた追加注文をします。

「ねえちゃん、あと5本追加や。ん、待てよ、他のやつが注文したらあかんな、この食堂車にあるミニボトル全部持ってきてくれ」

残りは8本しかありませんでした。案外少ないものだと思いましたが、全部で18本、食堂車のウイスキーを買い占めてしまいました。一瓶に50ml入っているので、900mlです。ボトル1本半ぐらい。それをふたりで飲んで、窓枠にずらっと空き瓶を並べました。

やすしさんはそれを見ながら実に楽しそうにしていました。

ロケ地で酒を買いに走った日々

マネージャー時代にはロケ地などで酒を買ってきてくれと言われることがよくありました。酒のあるところはいいのですが、売ってないところで言われることがありました。

テレビ東京で、東京郊外の遊園地などで『ツッパリやすしの60分』という家族対抗のゲーム合戦番組の司会を高見知佳ちゃんとともにやっていました。

これはやすきよではなく、やすしさんひとりの番組なので、かなり好きなようにふるまっていました。このときもビールを買ってこいと言われました。

東京サマーランドで収録があったとき、遊園地なので当然酒は売ってません。買いに行くと言っても、当時、サマーランドのまわりにあるのは森や畑だけでした。途方に暮れていると高見知佳ちゃんのマネージャーが、「車で来てるから」と言って買ってきてくれました。ほんとに助かりました。

芝公園にある朝日放送の東京支社で、元宝塚の汀(みぎわ)夏子さんのラジオ番組のゲストに呼ばれたことがありました。前の仕事が押して、汀さんのファン100人が待つスタジオに飛び込みで入るとドッと沸きました。それに気を良くしたのか「ビールを買うてこい」と言われ、またドッと沸きました。

階下に下りると、時間が遅く、外は真っ暗でした。芝公園は初めてで、右も左もわかりません。酒店など探しようがないので、警備の人に「このへんで酒を売ってる店はありませんか」と聞くと、「もう時間が遅いからどこも閉まってるよ」と言われました。

どうしようかと思い悩んでいると、その人が奥から缶ビールを3本出してきました。自分たちが飲むために冷蔵庫に入れておいたのを持ってきてくれたのです。お金を払おうとすると、いいからいいからと受け取ってくれません。やすしさんと会館に入ってきたときのぼくの様子を見て、大変だと同情しておられたのかもわかりません。本当にありがたかったです。

ディズニーランドにビールはあるか?

極めつけは、ディズニーランドでビールを買うてこいと言われたときです。


東京ではありません、日本にはまだできてない1982年のロサンゼルスのディズニーランドでの話です。朝日放送の『プロポーズ大作戦』という人気番組でアメリカロケをやったとき、ディズニーランドで言われたのです。

さあ困った。園内を走り回って店を探し回りましたが、見つかりません。

どうも園内にはなさそうだと気づいて、これは、園外に出て買いに行かないといけないのかと真っ青になって、入り口のひとつで、この近くでビールを買えるところはどこだと聞くと、「ディズニーランドの半径100キロ以内にアルコールを売ってる店はない」と言われました。禁止されているのです。バンザイ!

帰ってやすしさんにそう説明すると、とても悔しそうにルートビールを飲んでました。

(後編は11月25日公開予定です)

(谷 良一 : 元吉本興業ホールディングス取締役)