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人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

手術前によくある質問

 外科医が手術前によくされる質問に、「ついでにお腹の脂肪も取ってもらえませんか?」というものがある。

 これに対してはいつも、残念ながら期待されるだけの脂肪は取り除けない旨を説明する。

内臓脂肪とお好み焼き

 内臓脂肪というのは、ラードのように独立して存在する油ではなく、スプーンですくって除去できるような類のものでもないからだ。

 内臓脂肪、すなわち脂肪組織は、臓器を取り巻き、臓器の一部となっているに等しい。脂肪組織内にはおびただしい数の血管が走行し、これが臓器に栄養を送っている。

 たとえるなら、たっぷりと具材が入った関西風のお好み焼きを、具材を残したまま生地だけを取ることがいかに難しいかを想像するとよい。

 具材は臓器、生地は脂肪組織だ。一方、「エビだけを一つ取る」なら難しくはない。これが臓器の摘出に相当する。

 一般的な手術では、臓器を摘出する際に周囲の脂肪組織を一緒にまとめて取ることも多い。これはまさに、お好み焼き用のコテでエビと周囲の生地を一緒に切り取るのと同じである。

 つまり臓器を摘出するときは、一部の内臓脂肪が除去されるものの、それは「痩せたい人の期待」に応えられるような量ではないのだ。

大腸がんの手術は80パーセント以上が腹腔鏡

 以前は腹腔鏡手術に「最先端の治療」というイメージを持つ人が多かったが、近年はもはや「標準的な治療」といえる時代になった。

 例えば、日本での大腸がんの手術は八〇パーセント以上が腹腔鏡で行われている。胆嚢の手術は九〇パーセント以上だ(1)。

腹腔鏡手術のメリット

 腹腔鏡手術の利点は小さな傷だけではない。高精細のカメラが近接して映し出す拡大映像を見ながら手術ができることも、腹腔鏡手術の大きな利点だ。また、深くて狭い空間にカメラが潜り込み、肉眼では見づらい景色を鮮やかに映し出してくれる。

 つまり腹腔鏡は、患者のみならず、外科医にとってもメリットの大きいツールだ。だからこそ、腹腔鏡手術はこれほどに普及したのである。

 医学史上、お腹に開けた小さな穴から体内を覗き見る実験を初めて行ったのは、ドイツの外科医ゲオルグ・ケリングである。一九〇一年のことだ(2)。

 彼はイヌのお腹に穴を開けて空気を送り込み、お腹を膨らませてカメラで腹腔内を観察することに成功した。ケリングは学会でこの技術を発表し、将来は腹腔鏡手術が開腹手術に置き換わる運命にある、と語った。まさに慧眼であった。

2つの障壁

 不運にもケリングは、第二次世界大戦終盤の一九四五年に連合国軍によって行われたドイツへの空襲、ドレスデン爆撃でこの世を去ったが、その後も長らく彼の描いた未来は実現しなかった。科学技術が追いつかなかったのである。

 一つの障壁は、光源だ。体内をカメラで観察しながら手術を行うには、強力な光が必要になる。当然ながら、体内は真っ暗だからである。

 腹腔内のみならず、鼻の穴、喉の奥、肛門の中など、外界から一歩でも体の中に入った瞬間、光なしでは何も見えなくなる。当初は、細長い内視鏡の先端に電球を取りつけ、これで体内を照らしていた。

一筋の光明

 小さな穴を通してカメラを体内に挿入する以上、内視鏡は非常に細くなければならず、必然的に先端の電球は小型で暗かった。ここに、文字通り一筋の光明を差し込んだのが、ドイツの医療機器メーカー、カールストルツ社だ。

 一九六〇年、カールストルツ社は、内視鏡の歴史を変える革新的な光源を生み出すことに成功する。カールストルツ社が用いたのは、強い外部光源からの反射光を、細長い筒の中に通して先端から放つしくみだ。「冷光源」と呼ばれるこの技術は、電球よりはるかに明るく、かつ「熱を持たない」という安全性に長けた特徴があった。

 そもそも明るい光を放つツールは、「熱くなる」のが常識であった。ろうそくの炎にしても、電球にしても、蛍光灯にしてもそうである。だが、体内で使用する内視鏡が高温を放つと、熱傷などによって臓器を傷める恐れがある。

 こうしたリスクを回避したのが、冷光源だった。この技術によって、ようやく外科医は明るくクリアな視野のもと安全な手術が可能になった。カールストルツ社は、今なお手術用内視鏡のリーディングカンパニーである(3)。

そして、革命が起こった

 もう一つの障壁が、出血だ。明るい視野によって腹腔内の観察はできても、臓器や血管を切る、剥がす、といった際に起こる出血を小さな穴からコントロールする術がない。これでは手術を安全に遂行するのは不可能だ。

 そこで、血液を止める、吸引する、といった操作ができる腹腔鏡用デバイスを次々と開発したのが、ドイツの産婦人科医であり「腹腔鏡の父」とも呼ばれる、クルト・ゼムである。

 一九七〇年代にゼムが生み出した数々のデバイスにより、医療に革命が起きた。それまで「診断」が主な目的だった腹腔鏡が、「治療」に使えるようになったのだ。

外科医たちの非難

 検査から手術へーー。腹腔鏡の立ち位置が大きく変わり始めた。一九八〇年、ゼムは世界で初めて腹腔鏡で虫垂切除術を成功させた。当時は、あえて手術の難度を上げるような行為に否定的な意見が多く、外科医たちはゼムを激しく非難した。

 だが、時代の流れは止まらなかった。一九八七年にフランスの外科医フィリップ・モレが、世界で初めて腹腔鏡を用いて胆嚢を摘出する手術を行い、その後も腹腔鏡は他の臓器に次々と適用されていった(2)。

 こうした進歩の背景にあったのは、映像技術や手術機器の性能の飛躍的な向上だ。科学技術の進歩とともに、腹腔鏡手術は広く受け入れられたのである。

二酸化炭素をお腹に入れる

 ちなみに現代の腹腔鏡手術では、最初に二酸化炭素を腹腔内に入れ、お腹を膨らませて手術を行う。十分なスペースを確保するためである。

 なぜ二酸化炭素なのか。実は二酸化炭素は血液に溶けやすく、肺から体外に速やかに排出される気体だからだ。その上、電気メスなど火花を生じるデバイスを体内で使うため、可燃性でない気体を使わなければならないのも、二酸化炭素を選ぶ重要な理由である。

 実は、一九六〇年代に二酸化炭素の送気装置を初めて開発したのも、「腹腔鏡の父」ゼムであった。 なぜ彼は、これほどまでに多くの新規デバイスを次々に導入できたのだろうか? 実は、ゼムの父と兄は医療機器メーカーを経営していたのだ。

 かつての古典的な手術に比べ、腹腔鏡手術は医療機器の進歩に大きく依存する。ゼムはこの分野において、他の外科医より圧倒的に有利な立場にあったのである。

【参考文献】
(1)『内視鏡外科手術に関するアンケート調査 第16回集計結果報告』(日本内視鏡外科学会学術委員会著、二〇二二)
(2)"The Development of Laparoscopy-A Historical Overview" Alkatout I, Mechler U, Mettler L, Pape J, Maass N, Biebl M, et al. Front Surg. 2021;8:799442.
(3)PR TIMES「手術用光源の市場規模、2027年に7億6500万米ドル到達予測」https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000383.000071640.html

(本原稿は、山本健人著『すばらしい医学』からの抜粋です)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に17万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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公式サイト https://keiyouwhite.com