日沖 博道 / パスファインダーズ株式会社

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毎年、全国の高校での部活動における顧問や先輩による暴言・暴行事件が繰り返されている。昨年の春には熊本県にある私立秀岳館高校サッカー部でコーチが部員に暴行した動画がSNSで拡散され、騒動になった(動画を観て記憶にある方も少なくないだろう)。

似たような事件は全国で幾つも発生している。上記の事件の直後の6月29日には、千葉の県立高校バレー部の男性顧問が、女子部員の顔にボールをぶつけたとして傷害の疑いで逮捕された。以前の勤務校を「春の高校バレー」に複数回出場させた有力指導者の逮捕だったので、バレーボール界には衝撃的だった模様だ。

でも実はこうした事件はずっと以前から繰り返されている。昭和の昔(当時はあまりに日常茶飯事で「事件扱い」にすらならなかった)の話ではない。近年になっても体罰や暴言・暴行を伴う「指導」は学校の場で繰り返されているのだ。

東京オリンピックを控えていた2020年の7月、国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は、報告書『数え切れないほど叩(たた)かれて』で、日本の学校の部活動などで暴力や暴言が今もはびこる実態を明らかにし、日本のスポーツ界全体で効果的な対策を講じていくよう求めた。

その直前の1〜6月、HRWがスポーツの経験者約800人にインタビューとオンラインアンケートを実施したところ、アンケートに答えた25歳未満の381人のうち19%が何らかの暴力行為を受けていたことが判明した。5人に1人とは異常な数字だ。

実はその7年前の2013年には、日本体育協会(現日本スポーツ協会)や日本オリンピック委員会などが「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」を出していた。

その前年末、名門で知られた大阪市立桜宮高バスケットボール部の主将が顧問からの暴力を苦に自殺したこと、柔道女子の日本代表らトップ選手15人が監督らからの暴力を告発したことをきっかけに(世論の非難を受けて)、「スポーツの品位とスポーツ界への信頼を回復する」などと宣言するものだった。

宣言後、各競技団体は通報相談窓口を設けるなどの対応はしてきたようだ。でも窓口の運用や相談案件の調査の仕組みが競技団体によりばらばらで、虐待をした指導者の責任追及のあり方に統一基準がないことなどを、HRWは問題視していた。

2015年に発足したスポーツ庁も虐待に関する調査はしていない。スポーツ庁は2019年、競技団体に健全な運営を促す指針「ガバナンスコード」を策定しているが、こうした呼び掛けや宣言といった概念的なものだけでは効果が薄いことは明白だ(「いじめはダメ」という標語だけではいじめがなくならないのと同じだ)。

外部に大っぴらには見せないだろうが、部活動内部では繰り返されるのだ。「東京オリパラを機会に暴力根絶を」という若きアスリートたちの願いは未だに成就されていない訳だ。

なぜ暴力はなくならないのか。一般に指摘されるのは、指導者個人の資質と過度な勝利至上主義、各競技団体の体質といった辺りだ。

学校幹部から期待されているのが全国大会での「〇位以上」などといった表面上の成果ばかりであれば、どうしても目先の勝利という結果に走りがちになるのも想像できる。そうした状況にある指導者が、できない生徒やだらだらとした態度を見るとイライラしてしまう、という側面はあるだろう。

でも、だからといって体罰的な過酷な指導をしたり暴言を浴びせたりして自分に従わせようとするのは、そもそも「指導力がない」ということに他ならない。

この辺り、実はビジネスの現場における今どきの若手に対する指導と通じるところがある。そんな指導法でやっていた連中は、まともな企業ではパワハラで訴えられて管理職としては外されるようになってきた(そうしたやり方がいまだに是認されているブラック企業では別だが)。

話を戻すと、古い「根性主義」で指導された経験しかない古いタイプの指導者は、暴言・暴力による恐怖心や威圧によってしか生徒を「指導」できないという傾向が指摘される。しかしそもそも、こんなのは「指導」ではなく「支配」だ。それだけスキルが低いのである。そしてそのスキルの低さを自覚していないのだ。そんな指導者をアサインしたままにする学校幹部もまた低能で無責任だ。

この側面に関しては欧米の指導者は進んでいる。いかに生徒が自ら頑張るように、そして自ら考えるように、前向きな言葉を掛けるスキルを身に着けるための、指導者のための訓練が必要だという考え方が浸透している。

そうした指導スキルを身に着けた上でないと指導資格すら取れない。その上で他校に勝つための戦術や練習法を自ら考え(場合によっては生徒と一緒に考え)、生徒が自らより積極的に、工夫して練習に取り組むよう、モチベーションを維持向上させるための声掛けや相談に心を砕いている。

この辺り、日本のスポーツ指導者は是非、スポーツに熱心な米国の高校・大学での指導の様子を実際に視察に行くべきだ(小生は母校の一つであるテキサス大学でのスポーツ指導のレベルの高さに圧倒された記憶がある)。そして自らのスキル不足を認識した上で、それを向上させるためのスキル開発訓練を受けることから始めるべきなのだ。

※実はこの話は高校や大学だけに限らない。日本のスポーツ指導者たちは全般的に、叱ることはできても選手のモチベーションを向上させることができない人たちが未だ圧倒的多数だ。日本人アスリートたちが従順で気真面目なのをいいことに、指導法の改善にも後ろ向きであることが多い。侍ジャパンの栗山監督のような「モチベーション向上」スキルに優れた指導者は稀なのだ。

スポーツ庁および日本スポーツ協会は(空疎な宣言を出したことに満足せずに)そうした現実を認識した上で、指導者の資格を維持させるための必須条件として指導スキルの向上を重要視すべきだ。もしそうしたスキルの向上に熱心になれない指導者がいたら、資格をはく奪するまで踏み込むべきなのだ。

指導スキルを向上させた指導者はもう体罰・暴言に頼ることはしない。なぜなら、それは効率も悪く有効性も低い指導法だということを実感するからだ。

これこそが学校の部活動の現場から体罰・暴言・暴行を根絶させる最も効果的な解決法ではないだろうか。