ディーゼル機関車?弱すぎる 世界最強「ガスタービン機関車」が短命だった理由 パワーはバケモノ級
1950年代から60年代にかけてアメリカでは貨物列車の牽引にガスタービン機関車が多用されていました。50両以上生産され一定の成功も収めたものの、1960年代後半には急速に姿を消していったとか。その経緯を振り返ります。
圧巻! 日本じゃ見られないガスタービン駆動の機関車
アメリカ中西部ユタ州の鉄道博物館には日本では見られない鉄道車両が数多く展示されています。なかでも圧巻なのが、貨物列車用の各種機関車。日本のものよりもビッグな、まさにアメリカンサイズの蒸気機関車や電気機関車、ディーゼル機関車などを見ることができます。
なかでも目玉と言えるのが、巨大なガスタービン機関車。文字どおりガスタービン・エンジンを搭載し走っていた機関車です。これはアメリカの大手鉄道会社ユニオンパシフィック鉄道、通称「UP」がかつて使用していたもので、いまでは2両しか残っていない激レア鉄道車両になります。
合計50両強が造られたものの、時代の趨勢で姿を消したアメリカのガスタービン機関車、その変遷を見てみます。
ユタ州鉄道博物館に保存されているガスタービン機関車26号(2023年3月29日、細谷泰正撮影)。
まずはUPという会社について簡単に解説しましょう。同社は北米大陸を横断する巨大な路線網を持ち、アメリカ国内の物流を支えてきた鉄道会社の1つです。同社の主要な路線はロッキー山脈やシエラネバダ山脈を越えていくため、海抜2000m超えの峠が多く存在します。同社はそうした区間で重量貨物列車を多数運行してきました。
そのため、蒸気機関車の時代から牽引力の大きな機関車の導入に積極的で、多くの大型機関車を投入してきました。ちなみに、同社は新技術の導入にも積極的だったことから、鉄道業界の中でも一目置かれる存在であり、同社で活躍してきた機関車には今でもファンが多いです。
そのようなUPが、かつて積極的に使用していたのがガスタービン機関車になります。
開発にはジェットエンジン企業が参画
第2次世界大戦後、各国の鉄道会社は蒸気機関車からディーゼル機関車へ転換を進めますが、UPはディーゼル機関車よりも強力なガスタービン機関車の導入に踏み切りました。なお、厳密にいうと、ガスタービン機関車には、機械式伝達装置を用いたものと、電気式伝達装置を用いたものの2種類が存在します。UPが保有していたのは、全て後者であり、電気式ガスタービンと呼ばれる、ガスタービン・エンジンで発電機を駆動し、発生した電力でモーターを回して走る構造の機関車でした。
ガスタービン・エンジンは、航空機の動力源であるジェットエンジンやターボプロップ・エンジンと原理は一緒です。UPで使用された最初のガスタービン機関車となったNo.50は、ジェットエンジンで有名なGE(ゼネラル・エレクトリック)社と、機関車の大手製造会社だったアルコ社(ALCO:旧アメリカン・ロコモ―ディブ社)が、共同で製作しました。
ガスタービン機関車26号「Aユニット」部分の台車(細谷泰正撮影)。
試作機に相当するNo.50は、出力4500馬力のタービン・エンジンを搭載して1948年に登場しています。UPで入念に試験が行われた後、第1世代と呼ばれるNo.51からNo.60の10両がGEに発注され、1952年に納入されました。このグループはNo.50と同じ4500馬力のガスタービン・エンジンを搭載し8軸の動輪を駆動して走りました。
同時期に造られていたディーゼル機関車の出力が1600馬力から2000馬力だったので、ガスタービン機関車はその2倍から3倍の出力を持っていたことになります。ただガスタービンにも欠点がありました。それは燃費の悪さでした。同じ出力のディーゼル機関車と比べ約2倍の燃料消費量でしたが、ガスタービン機関車は当時安価だった重油を使用していたため、燃料代は問題視されることはなかったようです。
UPはその後、1954年にさらに15両を発注、これらはNo.61からNo.75として完成しました。これらが第2世代と呼ばれるグループです。性能は第1世代グループと変わらなかったものの、車体の形状が異なっていました。
「3両ワンセット」モンスター級機関車の登場
そして1955年に発注された30両はそれまでのガスタービン機関車とは全く異なる形式として設計されました。これらは第3世代と呼ばれるグループで、出力8500馬力の新型エンジンを搭載した、当時としては世界最強の馬力を誇る機関車でした。エンジンは16段のコンプレッサー、10個の燃焼器と2段のタービンを備えていました。
これら30両はNo1からNo.30として完成、1958年から1961年にかけてUPに納入されていますが、このグループの特徴は3両で1つのユニットを構成していることです。
ガスタービン機関車26号の2両目と3両目(細谷泰正撮影)。
先頭のAユニットには運転室と補機として使用されるディーゼル発電機が備えられていました。中間のBユニットはガスタービン機関と発電機が搭載されています。後部のCユニットは動力を持たない燃料車で、91キロリットルのC重油を搭載しました。燃料を満載すると3両の総重量は610tにも達したといいます。
先頭車Aユニットと中間のBユニットは三軸台車を備え各6軸の動輪があります。二両で合計12軸にモーターが取り付けられていました。
時速65マイル(約105km/h)における連続牽引力はなんと6万6000kg。ロッキー越えの勾配区間では、ワイオミング州シャイアンから西の8.2パーミル区間を、列車重量6740tもあるのに単機でけん引可能だったといいます。同様にユタ州オグデン間から東の11.4パーミル区間では5180tを引っ張って活躍していました。
なお、ガスタービン・エンジンの出力はジェットエンジンと同様に、空気密度に大きく左右されます。つまり、運転区間の標高と気温により大気の密度が変わるので出力も変化するのです。これは標高2000m以上の峠が多く存在するアメリカでは重要な点でした。
標高1800mの高地でもハイパワー発揮できる“バケモノ”
この機関車の場合は、標高およそ1800m(約6000フィート)気温32度における定格が8500馬力でした。その出力に合わせた発電機の定格は6300キロワットでした。この条件よりも気温や標高が低い場合にはエンジン出力は増えます。海面高度では1万馬力を超える出力が出せるエンジンでしたが、12軸の動輪では8500馬力が適していたようです。UPでは実際に発電機の設定を変更して7500キロワットに増強するテストも行いましたが、その程度の出力では燃料車も動力化しないと十分なメリットがないと判断され、実行されていません。
ガスタービン機関車26号の「Cユニット」。すなわち燃料車部分の台車(細谷泰正撮影)。
このように、UPの第3世代ガスタービン機関車は、いうなれば世界最強の機関車と言えるほどの存在でしたが、1960年代に入ると徐々に旗色が悪くなっていきます。というのも、前述したように燃料消費が多かったため、重油と軽油の価格差が縮小すると経済的なメリットがなくなっていったからです。
結局、大量に整備されたUPのガスタービン機関車も急速に数を減らし、最後まで残った車両も1969年の運転を最後に引退しました。2023年4月現在は、2両がユタ州とイリノイ州で1両ずつ展示保存されています。
ガスタービン機関車は、まさしく燃料代が激安だったアメリカだからこそ生まれた鉄道車両といえるでしょう。たとえるなら、重油と軽油の価格差が縮まったことで姿消した、“アメ車” の鉄道版といえるのかもしれません