ミニ空母でも戦える! 疑念晴らした革新的戦闘機「シーハリアー」23機撃墜の金字塔
今から40年ほど前の1982年3月に起きたフォークランド紛争で、初めて実戦参加したイギリス軍の「ハリアー」ならびに「シーハリアー」戦闘機。このとき両機種は、勝利への多大な貢献をしたことで、世界の空母事情を変えるまでに至りました。
イギリス航空界の執念、VTOL戦闘機「ハリアー」誕生!
今から40年ほど前の1982年、南大西洋の小島フォークランド諸島の領有権を巡って、イギリスとアルゼンチンが戦火を交えました。その戦いのなかで、とある小型戦闘機が大奮闘をみせます。その名は「シーハリアー」。アルゼンチン軍機を23機も撃墜して、自機の損害ゼロという金字塔を打ち立てたイギリス生まれのこのジェット戦闘機、実は、イギリス航空産業界の長年の執念が結実した名機でした。
1971年5月、イギリス海軍の空母「アークロイヤル」で発着艦試験を行う「ハリアーGR.1」。このときの試験成績から海軍型「シーハリアー」が誕生することとなる(画像:イギリス国防省)。
そもそも航空機用のジェットエンジンが大量生産されるようになったのは、第2次世界大戦末期です。そして各国でジェット戦闘機が実用化されると、これを用いて垂直離着陸(VTOL)できる航空機が企画・検討されるようになりました。
もし垂直離着陸できる軍用機が実現すれば、敵の攻撃目標になりやすい長大な滑走路を備えた航空基地(飛行場)は必要なくなり、スポーツ競技場や学校の校庭、牧草地といった、手頃なサイズの空き地を利用した作戦展開が可能になります。
この夢を実現しようと考えたのが、イギリス人設計技師シドニー・カムです。第2次世界大戦中に多用された傑作レシプロ戦闘機「ハリケーン」や「テンペスト」、さらには、戦後ジェット戦闘機のベストセラーのひとつとなった「ハンター」などを手がけた、ホーカー・シドレー社の名航空エンジニアです。
この、カムとホーカー・シドレー社の執念ともいえる想いは、やがて見事に結実することになりました。
その舞台となったのが、イギリス南東部のサリー州にあるダンズフォールド飛行場です。同飛行場は第2次世界大戦中にカナダ空軍設営隊の手で開設され、戦後、軍用としては休眠化されたのち、ホーカー・エアクラフト社が借り受け、各種試作機などのフライトテストに利用するようになりました。
守旧派の疑念を霧消させた「シーハリアー」の実戦参加
1960(昭和35)年11月19日、このダンズフォールド飛行場にて、航空機発達史の1ページを飾る画期的な1機の試作機が初飛行しました。
その名はホーカー・シドレー 「P.1127」(機体コード番号XP831)。これが、後に「世界で最初の実用VTOL機」となった「ハリアー」シリーズの原型です。それまでのVTOL機は、「垂直離着陸のギミック」を盛り込まねばならないせいで、今ひとつ実用性に欠けていました。
フォークランド紛争後の1982年7月、艦隊を組んで航行中のイギリス空母「ハーミーズ」(手前)と「インヴィンシブル」。ともにスキージャンプ式発艦甲板を備えている(画像:イギリス海軍)。
しかし本機の登場で、その「壁」が打破されたのです。作戦遂行可能な滞空時間および航続距離が確保されたことで、“実践投入可能なVTOL機”として認められたP.1127は、小改良のうえ、「ハリアー」としてイギリス空軍に採用されます。すると、ほどなくしてイギリス海軍も長大な飛行甲板や射出用のカタパルトなどを必要としない同機を、空母艦載機(艦上機)として使えないか模索するようになりました。
結果、生まれたのが「シーハリアー」です。空軍仕様の「ハリアー」は主に昼間攻撃機としての運用が想定されていたため、機首にレーダーなどは搭載しておらず、アビオニクスも一般的な戦闘機などと比べて簡素なものを搭載していました。しかし、それでは洋上で敵航空機の迎撃に当たるのが難しかったことから、機首にレーダーを追加し、それと連動する火器管制システムを搭載するなどの改良が加えられました。
ただ、なぜイギリスは、そこまでしてVTOL戦闘機の「シ―ハリアー」を導入しようとしたのでしょうか。カタパルト射出可能なアメリカなどと同じ艦上戦闘機ではどうして駄目なのか。そこには、当時のイギリス海軍が抱える大問題が横たわっていたのです。
「妥協?」or「創意工夫?」英国的軽空母の誕生
そもそも、イギリスは第2次世界大戦の戦勝国にもかかわらず、戦後その影響を大きく受けて経済的疲弊が著しかったため、「空母発祥の国」にもかかわらず、厳しい財政事情により正規空母の維持と建造を断念していました。その代わりに採用したのが、コストの安い軽空母でした。
ただ軽空母は、当然ながら正規空母よりも船体が小さいうえに飛行甲板も狭小で、動力の都合もあってカタパルトの装備が難しく、通常の離着陸(CTOL)機を運用するのは困難でした。とくに空母艦載機が大型化し続けていた1970年代には、せいぜいヘリコプター母艦としてしか使用することができない状況にありました。ところが、前述したような経緯で生まれた「シーハリアー」のおかげで、軽空母は、小さいながらも艦隊防空にも対応可能な「まともな空母」に昇格したのです。
しかし、実績がある従来型の艦隊空母と通常離着陸機の組み合わせを信奉する守旧派は、まだその能力が未知数の軽空母と「ハリアー」の組み合わせを、「はたして使い物になるのか」と疑っているような状況でした。
ところが、1982(昭和57)年3月に勃発したフォークランド紛争で、この疑念は一掃されました。現地に派遣されたイギリス空母機動部隊では空母2隻が艦隊の中心を担っていましたが、その片割れである軽空母「インヴィンシブル」とその艦上機「シーハリアー」の組み合わせが、当のイギリス海軍すら驚くほどの戦果を挙げたのです。
VTOL機の有用性立証で世界中が次々採用へ
この紛争には、最終的に艦上機仕様の「シーハリアーFRS.1」28機、同機の不足を補うため応援として派遣された空軍仕様「ハリアーGR.3」10機、計38機が投入されています。なお、停戦までに前者が6機、後者が4機失われたものの、いずれも地対空ミサイルや対空砲火、事故によるもので、空戦で撃墜された機体は1機もありませんでした。
「シーハリアー」は、マッハ1(約1225km/h)前後しか出せないにもかかわらず、空戦でアルゼンチンの「ミラージュIII」や「ダガー」といったマッハ2(約2450km/h)級の機体を含む、各種軍用機23機を撃墜(ヘリコプター含む)しています。
イギリス空母「インヴィンシブル」のスキージャンプ甲板から発艦する「シーハリアー」戦闘機(画像:アメリカ海軍)。
ちなみに、空軍の「ハリアー」は敵機撃墜を記録していません。というのも、空軍の「ハリアー」は海軍の「シーハリアー」と比べ空戦装備が劣っていたので、対地攻撃メインで用いられたからです。
「ハリアー」シリーズは実戦投入される前は、VTOL機特有の推力偏向を用いた空戦技に期待が寄せられていました。結局、フォークランド紛争では、そのようなテクニックは使われなかったものの、旋回性能向上のため飛行中にジェット・ノズルを動かした事例はあったといわれています。
こうして「シーハリアー」が高い空戦性能を見せつけたことで、フォークランド紛争が終わると、空軍仕様も含め「ハリアー」シリーズを採用する国が続々と出るようになりました。やがて、各国でVTOL機の運用に関して研究が進んだことで、その利便性が広く認知されるようになり、VTOL機について懐疑的な意見をいう関係者はほぼいなくなっています。
その結果、今日では「ハリアー」シリーズの後継として、より高性能のF-35B「ライトニングII」戦闘機が開発され、イギリス海軍でも運用されています。