壮大だった“伝説の未成線”ついに一般開放へ バスが走った幻の鉄道「五新線」地域はどう活かす?
旧国鉄の数ある未成線のなかで、とりわけ知名度が高い「五新線」が、ついに一般開放されます。かつて国鉄バスの専用道として使われた鉄道施設を、地域の負の遺産とせず観光資源に活かす取り組み、今後どう実を結んでいくでしょうか。
「未成線」のなかでも知名度が高い五新線
国鉄時代に、紀伊半島を縦断する「五新線」という鉄道計画線があったことをご存じでしょうか。
五新線路盤を舗装したバス専用道を走る奈良交通バス。当初は国鉄バスが走っていた。梅が満開となる2月がおススメ(2006年、森口誠之撮影)。
奈良県の和歌山線五条駅から分岐して、吉野南朝の行宮があった賀名生(あのう)、旧西吉野村役場前の城戸(じょうど)、広大な森林地帯を抱える十津川、熊野本宮大社のおひざ元である本宮を経て、紀勢本線新宮駅に至るルートを想定していました。1990年代になって正式に計画は中止されます。
五新線は、未完成に終わった鉄道路線「未成線」の中で一番知名度が高い存在でした。というのも、国鉄バスが未成線の路盤の上を走っていた全国唯一の存在だったからです。
現在、地元の五條市や有志が五新線跡の活用を模索しており、2023年4月1日(土)から『五新鉄道トレインパーク』として賀名生〜城戸間の一部が不定期で公開されることになります。未成線遺産を地域活性化に使う先進事例にもなっています。
建設は戦前から 国鉄「バスでどうですか?」
五新線の整備の経緯は複雑です。
鉄道構想は明治時代からありましたが、具体化したのは大正末期になってからです。1939(昭和14)年から、五条〜城戸間で鉄道敷設工事が始まりました。五条市街地から丹生川沿いにコンクリートのアーチ橋が整備されていきました。
戦況の悪化に伴う工事の凍結を経て、戦後、五条〜城戸間の工事はほぼ完成します。ただ、国鉄はあまり建設に熱心ではありませんでした。城戸の先、紀ノ川水系と熊野川水系の分水嶺となる大辻峠を越えていくのですが、急峻な山並みを抜けていくトンネル工事に莫大な費用がかかるからです。
そこで国鉄本社は1959(昭和35)年、未完の五新線路盤を道路に整備し、国鉄バスを走らせるプランを示します。戦時中に休止線となった白棚線(福島線)の路盤跡で国鉄バスを運行して一定の成功を収めていました。
奈良県は「鉄道で建設すべき」と返答しますが、建設線の終点、城戸に役場がある西吉野村(現・五條市)は国鉄バス案に賛成します。完成の目途が立たない鉄道線に期待するより、ほぼ完成している五新線ルートでバスを走らせるほうが現実的です。地元では意見が2つに分かれて政治的対立が深刻化します。
「未成線を走るバス路線」として定着 その裏に近鉄・南海乗り入れ計画?
国鉄の他にも、近鉄が御所線未成線(御所〜五条)の五新線城戸直通プランを示したり、南海が高野線・国鉄和歌山線経由で気動車を五新線に乗り入れる構想を披露したりしたため、奈良県政は混乱します。この背景には、五条〜十津川〜新宮間のバス免許を巡る、関係者の腹の探り合いがあったと思われます。
最終的に、
・五条〜城戸間で国鉄バスを運行する。
・城戸〜阪本間で国鉄線として新線整備に着手する。完成次第、五条〜城戸間でも列車を走らせる。
という合意が図られました。
国鉄は未成線敷をアスファルト舗装した上で、1965(昭和40)年、五条〜城戸間で国鉄バス阪本線の運行を1日15往復始めました。国道より距離が短く線形が良いため、従来のバスより20分短縮されました。
一方、城戸〜阪本間の鉄道線工事は、国鉄でなく日本鉄道建設公団の手で進められることになりました。1967年に阪本線として着工し、天辻トンネル5kmなどかなりの設備が完成しました。しかし、折からの国鉄の財政難もあって1980年で工事は停止されます。
1987年の国鉄分割民営化後、未成線バス道はJR西日本に引き継がれ、西日本ジェイアールバスが運行を継続します。当時、第3セクター鉄道での整備も検討されましたが需要予測の数字から見送られました。
五新線跡バス専用道に残る古びた「国鉄自動車専用道」の看板(2006年、森口誠之撮影)。
その後、「未成線敷を走るJRバス」は旅行好きな鉄道ファン、そしてバスファンの間で注目されます。この道路、あくまでもバス専用道で、自家用車などは進入禁止でしたが、地元の人も抜け道によく使っていました。
1997年に公開された河瀬直美監督の映画「萌の朱雀」では、五新線と西吉野村がロケ地として活用され、カンヌで賞をとるなど話題となりました。しかし、西吉野村の過疎化と高齢化で利用は年々減少し、JRは2002年に阪本線から撤退、代わりに奈良交通が10月からバス路線を引き継ぎました。専用道の路盤は五條市と西吉野村が譲り受けました。
その奈良交通も2014(平成26)年に専用道でのバス運行を中止します。トンネル内壁の落盤の危険性が懸念されたからです。メディアで報道されると、多くの鉄道ファンやバスファンが現地に押し掛けました。ボンネットバスをバス専用道で走らせるツアーも開催されました。
地域の「負の遺産」を活かす!
その後、奈良の学識経験者らがNPO法人「五新線再生推進会議」を立ち上げ、未成となった阪本線を鉄道遺産として再評価していきます。五條市はNPOや国土交通省と連携して2017年に第1回全国未成線サミットを開催し、旅行会社とタイアップして五新線見学ツアーを催行するなど、鉄道遺産の活用に熱心です。
国鉄系の未成線の多くは、跡地の設備の維持管理に膨大な費用がかかり、地元自治体には「負の遺産」となっています。側壁やトンネルは崩落のリスクを抱え、橋を解体するにも数億円の費用がかかります。
でも、五新線の場合、幻の鉄道を観光資源として活かそうと、官民が精力的に動いています。五條市も市の予算でトンネル内部を修復しました。
ついに未成線を一般公開 往時の光景が甦る?
そして2023年、ついに五新線の鉄道路盤のうち、賀名生〜城戸間が一般開放されることになりました。バス道の頃は原則として関係者以外は立入禁止でしたので、堂々と歩けるのは貴重な機会です。
4月1日に旧国鉄バス城戸駅付近で開催される「五新鉄道トレインパーク」は、そのお披露目イベントです。五新線関連のイベントの開催4年ぶりとなります。城戸駅跡から国鉄バスで1つ先にあった黒渕バス停付近までの約1kmが公開され、「幻の五新鉄道を走らせよう」とのテーマで、木製レールを700mほど敷設して、児童向け鉄道玩具を走らせることができるそうです。5インチの乗用列車も運行するほか「五新線弁当」が販売されたり、キッチンカーが参加したりと賑やかなイベントなりそうです。
参加協力金は1000円(こども無料)。駐車場と会場を結ぶシャトルバスに、いすゞの国鉄色バスなどマニアックなバス3台が充当されるのも注目したいところ。ただ、未成線の役割を引き継ぐ五条駅からの奈良交通バスは、土曜日だと本数が極めて少ない点は要注意です。
2017年「未成線サミット」のときに公開された黒渕バス停。年に数回、城戸駅付近で未成線跡を使ったイベントが開催されてきた(森口誠之撮影)。
4月以降の五新線トレインパークについては、月に2回程度、開催していく方針が決まっています。ただ日時は不定期のため、運営主体である五新線再生推進会議のウェブサイトで確認をおすすめします。
なお、運営NPO法人の副理事長に聞くと、近い将来、城戸から賀名生まで4kmを公開し、ゆくゆくは未成線跡にバスを走らせる計画があるそうです。キックボードの導入も検討しているとか。未成線跡を回るならクルマでの利用になると思いますが、ぜひ機会を見つけて訪れてみてください。2月から3月、賀名生の梅林が満開となる時期がおススメです。