入管施設での暴力的扱いはなぜなくならないのか/日沖 博道
2021年3月、名古屋出入国在留管理局(入管)の施設に収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(33)が体調不良を訴えて亡くなった問題は広く報道され、日本の入管施設での非人道的な扱いについて注目が集まった。
実際、その内容については、おぞましいという感覚を覚えるほど入管職員は酷い対応をしている(しかもこの事件については、そもそも入管に収容ではなくDV扱いで保護すべき事案だったと指摘されている)。でも結局、関係者は揃って不起訴扱いとなっている。
検察庁も各地の出入国在留管理局も同じ法務省の管掌なので、身内の不祥事には厳しい追及をしないのか、関係者の証言が十分に取れないため(被害者は亡くなり、加害者は口裏を合わせるため)証拠不十分となった模様だ。まったくひどい話だ。
実はこれは氷山の一角だ。在留資格のない外国人が不法滞在者として収容される施設は全国に合わせて17カ所あるが、2007年以降に入管施設に収容された外国人のうち少なくとも18人が命を落としている。ウィシュマさん同様、この方たちはもう、何が起きたかという事実を証言できない。
それに対し、例外も存在する。難民申請中であり、かつ日本人女性と結婚しているにもかかわらず、法務省・出入国在留管理庁(入管)の収容施設に長期拘禁(収容)された上、入管職員による集団暴行を受けたクルド人のデニズさん(名字は匿名希望)の場合、訴訟になっているがゆえに詳しい事情も明らかにされている。
彼は収容後、薬物投与もあって精神崩壊とも言える状況にまで追い込まれ、収容施設内で10回も自殺未遂を繰り返している。現在は仮放免されたものの、今後再収容の恐れもあり、その場合には今度こそ命を落とすことになりかねない。
デニズさんが提訴した国賠訴訟では、入管側が東京地裁に証拠として提出した虐待の記録が、Yahoo!ニュースや共同通信、TBS「ニュース23」などで報じられている。入管側は特別に酷いものだと意識せずに提出したのだろうが、一般人の感覚からはとてもショッキングな内容だ。まさに常軌を逸した虐待が日常的に行われていることの証だろう。
これ以外にも、収監者たちが入管施設における職員による暴力の実態を語っている証言を記録した『牛久』という映画がある。米国人監督のトーマス・アッシュ氏が東日本入国管理センター(通称『牛久』)に通いつめ、面会室にビデオカメラを隠して持ち込んで非人道的な扱いに苦しむ人たちの声を届けているドキュメンタリー映画だ。
その映画は外国人収容者たちが淡々と被害を語るものなので、非常に静かなものだ。でもその証言内容は悲惨だ。
日本政府は入管法の改正案を国会に提出することを検討していると報じられている。しかしその中身は、収容期限に上限を付けない、司法審査に付さない、といった具合に「国際法違反」とされる制度の根幹を維持するものだ。単に難民申請者の送還を促進するためのものなのだ。
こうした日本政府の対応は国際的に非難され続けており、恥をさらし続けている状況だ。ではなぜ日本国内で大きな問題とならないのだろうか、もしくは、一旦は注目されながらも世間の関心がすぐに薄らいでしまうのだろうか。
日本人一般の無関心の大きな要因は「自分たちに関係ない」からであり、「本当は出稼ぎなのに難民と偽装して入国しようとしたんでしょ」とか「不法滞在ということは、どうせ犯罪者なんでしょ。そしたらブタ箱みたいな収容施設に入れられても当然でしょ」といった感覚なのだろうと想像する。
でも事実はかなり違っていることが多い。収容者の一定割合は例えば、比較的最近まで技能実習生として普通に日本で就労していたり、日本人の内縁者と暮らしていたりするのだ。つまり普通の日本人にとっても身近で暮らしていた人たちだ。
でも雇用主が酷い搾取を行うのでそこから逃げてきたり、内縁者のDVに耐えられなくて逃げてきたりした結果、不法滞在になったりするケースも結構あるのだ。もちろん、純粋な難民も少なくない。
そもそも彼らは犯罪者ではない。他の先進国の感覚からすれば、大半は保護すべき対象のはずだ。ウクライナからの難民だけが優遇され、アジア・中東などからの難民が問答無用で拒否されるいわれはないのだ。ましてや司法審査なしに即収容なんて理不尽極まりない。
こうした日本人一般の無理解がそっくりそのまま入管の職員にも踏襲されており、「異人種」たる外国人収容者を頭から罪人視しているのではないか。
しかも国家という大きな権力をバックにしていて管施設内では絶対権力者ながら、しかし自分の生活はぱっとしない、というギャップがもたらす妙な「小役人意識」がそこに重なると、江戸時代の牢役人さながらに、収容者に対する差別意識と懲罰意識が募るのだろうか。入管職員の人権意識はほぼ麻痺しているようだ。
人権に関する知識も意識も薄い彼らに対しては、義務として、全員改めて人権教育を受けさせるべきで、しかも一回にとどまらず定期的に何度も徹底させるべきだ。そうしないとこの陰湿な暴虐行為はあちこちの入管施設でいつまでも続き、日本は世界の笑いものであり続ける(「現代の奴隷制」と揶揄される技能実習制度とよく似ている)。
そこにさらに、出入国在留管理庁という組織がシステムとして持つ問題が、事態の解決を難しくしている。それは「全件収容主義」という組織の基本方針だ。
この結果、収容の長期化が起きやすいのだが、実際には施設のキャパには限界があり、個別の事情に応じて特別に在留を認める「在留特別許可」(在特)の付与や、一時的に収容を解く「仮放免」が、調整弁として、しかも恣意的に繰り返されているのだ。
その恣意性のため外国人収容者やその関係者は不満を募らせ、その怒りの矛先は職員との衝突を生む。そして反抗的な態度に対し入管職員は容赦ない…。
収容施設は本来、送還まで一時的に留め置く施設というのが建前だ。それなのに在留資格のない、または失った人たちをすべて(そして結果的に長期に)留め置いているところがそもそも間違いだ。医療知識も欠如し、人権意識の低い職員が収容者の健康を管理すること自体が無理なのだ。収容は原則として、逃亡の恐れがある人、出国期限が過ぎた人だけで十分だ。
出入国在留管理庁は「全件収容主義」という無意味な方針を即座に放棄し、日本政府は恥さらしな入管法改正案を廃案にし、まともな対処を検討すべきだ。