少子化と拝金主義:文明論的成長限界/純丘曜彰 教授博士
もうダメそうだ。日本に限らず、先進国は一様に。米国もアッパーミドルが衰退。勢いづいたばかりの中国ですら急激な少子化。原因については、女性の社会進出、晩婚化、貧困化、など、いろいろ言われているが、もっと大きな文明論的限界があるのではないか。
非文明国なら、そこは理不尽なことだらけ。強盗に戦争、疫病や災害。権力者は横暴で無慈悲。そういうところでは、武力のある者に頼り、学知のある者に従い、神仏を伝える者にすがった。しかるに、文明国では、イージーモード。ゲームで言えば、イレギュラーなアクシデントはいっさい無し、という設定オプション。暴力無し。戦乱無し。疫病や災害も政府補償。こんな安寧な世の中では、武力は論外。学問、まして信心など、必要としない。それで、みんな、リスク分散のポートフォリオ無しに、ただカネを稼ぐことだけに邁進。
いまや、すべてはカネだ。成功したかどうかは、カネで測られる。稼いでいるやつが、偉い。社会的になんの意味があるかわからないが、とにかくスポーツ選手などはヒーローで、大金を得るのが当然。同様に、人気がある、知名度がある、ということで、なにをやったのかわからない有名人も、出演だ、広告だ、イベントだ、といって、カネを集めまくる。中小の個人事業主、実業家も、経費、経費で、税金も払わず贅沢三昧。
よく日本人の平均給与443万円などという数字が出されるが、まったくのごまかし。あれは、人に雇われている給与所得者の平均。「給与」ではなく「報酬」として受け取る上記の人々、それを金融資産に変えて配当や金利、家賃を受け取る場合を含まない。だから、金融資産5000万以上の日本の富裕層、準富裕層世帯は、むしろもはや8.5%にも増えている。道理で、やたらレクサスとかが日本中を走り回っているはずだ。
独身女性が玉の輿をめざすのも当然。50人の男に会えば、そのうち、なんと4人以上が、お金持ちの家。宝くじなどより、じつははるかに率が高い。将来まで貧乏に呪われている勤労者家庭の勤労者の息子など、話にならない。もっとも、親として貧乏人の娘との結婚なんか許さないという先方の家庭もあるだろうから、これまた話は、そうかんたんではないが。
しかし、使えば無くなってしまうカネを減らさないようにする、というのも、なかなか難儀なもの。まして、増やそうとなると、相当の努力がいる。そして、財産維持増大の努力に比して、しだいに生活水準の向上率が割に合わなくなる。つまり、カネを稼ぐために多大な努力をしなければならないにもかかわらず、それほど生活は良くならなくなっていく。専門的に言えば、限界代替率というやつが逓減していく。そして、カネへ努力しすぎると、かえって生活の質を落とすことになる。
それも、金持ちが百万円のために要する努力に比して、貧乏人が百万円のために要する努力は、比較にならないほど大きい。だから、貧乏人ほど、拝金ゲームからいち早く脱落する。一方、金持ちにしたところで、幸せそうに見えるものの、財産維持増大に生活を費やし、家庭も仕事もタガが外れ、実情はぐちゃぐちゃという場合も。彼らは見た目はセレブながら、破綻リスクを極限まで増大させ、いつタワーマンションの上層階から真っ逆さまに堕ちるか、時限爆弾を抱えながら、優雅に昼からシャンパンを飲む。
ローマ帝国をはじめとして、歴史上、さまざまな文明が栄えてきたが、ある一線を越えると、かならず衰退する。ゲームの勝者が確定的になってしまうと、絶対的に勝ち目が無くなったその他の絶望者たちはゲーム参加意欲を急速に失い、ゲームそのものが空中分解する。たとえば、自動車でも、一戸建てでも、自分も買えるとみんなが信じているうちは、人々が熱中して買い求める。だが、競争が激化し、買うための努力が、生活にとって負担過大になった下層から関心を失い、やがて上まで倒壊する。
現代日本の結婚も、そうだ。勉強も、出世も、カネ儲けも。よほどの金持ちでなければ、それを手にいれるために必要とされる努力のわりに、成果がもはや割に合わない。それで、ゲーム参加者が急速に減っていく。絶対的に勝ち目が無いのに、いまさらだれも結婚したいと思わない、勉強したい、出世したい、カネ儲けしたいと思わない。
政府はいままた小銭をばらまいて人をゲームに呼び戻そうとしているが、カネの補助しか思いつかない政治こそ、まさに拝金ゲームに染まった思想。そんな小銭ていどで、貧乏人が富裕層に逆転するチャンスが掴めるか? 上に8%以上ものケタはずれの金持ちがいるのに、貧窮勤労者が結婚相手を見つけられるか? カネのかかる子どもを増やせるか? 結局、敗北者は敗北者のまま、絶望者は絶望者のまま。
考えてみれば、江戸時代はよくできていた。いくら商人がカネを持っていも、権力と武力を持つ理不尽な武士には頭が上がらない。武士にしても、農民の協力がなければ石高が増やせない。その農民も、貨幣経済の進展で、商品作物を商人に買ってもらわないと生活ができない。おまけに、ヤクザや山賊、河原芸人、宗教家や遊興人などもいた。また、身分の上下より伝統と格式が重んじられ、才覚次第で養子や抜擢も頻繁に行われた。つまり、社会の価値観が多元的で、それぞれに尊厳と屈辱のバランスがとれていた。
医療や福祉、警察や消防、自衛官、学者や教員、職人、ボランティア、そして、子育てにがんばる人など、いっそ多種多様な勲章でも、もっと一般の現場の人々にまで乱発して、それぞれ公営住宅優先無料入居、公立学校優先無料入学、各種審査保証人保証金免除、等々、ゴールド免許のように恩恵特権を与えてはどうか。たとえば、通勤や買物の途中で寄れるよう、街中に離乳食やおむつが無料の豪華な子連れラウンジなどを作る。航空会社などでもやっていることなのだから、行政でできないことはあるまい。実際、中国などがやろうとしている信用スコア制も、これに近い。もちろん、政府に都合のいい人々ばかりが評価されるというリスクはあるだろうが、それでも、貧乏でも立派な人や努力している人に、プライドを取り戻すチャンスが開かれる。