純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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近代の経営は、18世紀は発明資本主義、19世紀は金融資本主義、そして、20世紀はビジネスモデル資本主義だった。つまり、フォードからホテル、ファストフード、コンビニまで、本社が製造販売ノウハウを創り、働きたくても製造や販売のノウハウの無い人々を指示管理することで、全国展開チェーンとしてのナショナルブランドの知名度と価格訴求力を確立確保し、従来のローカル店を廃業に追い込むゼロサム・マーケティングによって、見せかけの繁栄拡大を謳歌してきた。

しかし、きょうび、いくら確実な製造販売ノウハウがあっても、それを使って働きたい、儲けたいという労働者やフランチャイジーがいない。契約のしばりがやたら厳しいのが嫌われ、また、ノウハウや利益率がすでに硬直完成しすぎていて、将来的なシフトアップを期待できない。そして、人口減の市場縮小の中で差別化も図れない均質的な大量生産チェーンそのものが落ち目になっているから。

既存店でも、もはや以前のように本社中間管理職がたまに現場に赴いて、マニュアルどおりに運営されているかどうか指示管理するだけでは済まない。こんな時代に応募してくるバイトやフランチャイジーは、ワケありだらけで、かえってとんでもないことをやらかす。そもそも人手不足で、本来のマニュアル水準の労働力が確保されていないから、マニュアルどおりに実行することなど不可能。ホテルや病院、介護施設などはフロアの閉鎖、飲食店などは営業時間の短縮、メニューの削減などでしのいでいるが、不祥事や不適合のトラブルの始末対応もあって、残った人員の負担は増える一方。それで、さらに人が辞め、いよいよ悪循環。

とりあえずの対策としては、チェーン規模を縮小し、本社のホワイトカラー連中が現場で直接に働けばいい。とくに日本は、やたら働いているのに、利益差分を生まないどころか、むしろ現場の利益を喰い潰している。それは、売上が製造販売現場の数の単純掛算であるのに対して、社内の調整連絡コストは企業規模で幾何級数的に増大するため。資料作成、会議調整、そして派閥争いの消耗戦。規模と本社を縮減して、これらを止めれば、組織全体の利益率はむしろ上がる。

とはいえ、いくら規模と本社を縮減したところで、ビジネスモデルを資本として稼ぐ、というビジネスモデルそのものが限界にきている。人手不足を自販機やロボットに変えたところで、人口減の市場縮小を前には、なんの意味もなさない。ようするに、人がやろうと、ロボットがやろうと、同じビジネスモデルを全国チェーンで均一展開して、その現場の数の掛算で商売しよう、という経営スタイルそのものが成り立たなくなってきている。

コロナ前の予想でも、10万人未満の市町村はのきなみ人口を減らし、2040年には1万人未満の市町村が40%に迫るとされている。1万人市町村(千葉県大多喜町や神奈川県中井町の規模)でかろうじて1店舗が成り立つとすると、それは、およそ現状よりさらに1割が閉店撤退に追い込まれる、ということ。これより大きな都市で店舗が残ったとしても、その売り上げはガタ落ちになる。まして、人手不足、資本不足で、担い手がいないとなると、ビジネスモデルを売って儲けるというビジネスモデルは、どうやってもムリがある。

企業が社会雇用、投資機会を生む、という18世紀来の常識と責任には反するが、企業が企業として存続するためには、今後はむしろ単純労働者の労働力、単純出資者の資本力に依存しないものになる必要があるだろう。バイトやフランチャイジーにお客さま気分でぶら下がられても、組織が重くなるだけで、その調整コストと管理リスクで利益が喰い潰されてしまう。

自分たちでカネを出し、自分たちで知恵を絞り、自分たちで汗を流す。実際、地方では、特産物の独立農業組合などとして成功しているところをいくつも聞いている。しかし、それらはそれぞれに唯一無二の独自存在で、そのメンバーだからこそできたもの。ビジネスモデルとして、そのまま他のところに移植などできない。また、生身のメンバーである以上、いずれも年をとっていくから、ゴーイングコンサーンとして、うまく世代的な新陳代謝ができるかどうかも、将来的には未知数だ。

だが、就職さえすれば安泰だったこの数百年の方が異常だったのだ。この春、大手に入った新人も、これから就活をする学生も、また、いま企業の中に安穏としている人々も、これからくるビジネスモデル販売というビジネスモデルの崩壊という激震に備えて、自分自身が何ができるか、何を「出資」し、どうやって自分が「現場」で利益を生み出せるか、よく考えておいた方がいい。人を指示管理しようにも、もう指示管理される人などいない。ただ減る一方。もうすぐ本物の氷河期がやってくる。