リモートワークで喧嘩が増え、2部屋借りて別々に住み始めた夫婦。あるとき、夫が住む自宅を訪れたら…？
「結婚しない男女が増えている」と言われる昨今。しかし東京の婚姻率は人口1,000人当たり5.5%で、なんと全国1位を誇っている。（※『令和2年 東京都人口動態統計年報』）
特に「東京都区部」と呼ばれる東京23区は、その中枢を担っているのだ。
ただ、結婚すればそれだけで幸せなのだろうか？
東京23区内は、エリアによって生活している人たちの特徴が全く異なり、価値観や悩みも違う。
それぞれの区に生息する夫婦が抱える、苦悩や問題とは…？
東京23区を飛び出した湘南夫婦／龍平（40）の場合
「やっぱり東京は、空が狭いなあ」
打ち合わせを終えた僕は、再開発が進む渋谷駅を見上げる。そして思わず空に手をかざした。
コロナ禍前のスクランブル交差点は、1日あたり最大50万人が通過していたと聞いたことがある。
そんな都会の中心地でもあるような渋谷。でもここに来ると毎回街並みが変わりすぎて、ビル名がわからず迷子になるくらいだ。
新年会の約束がある恵比寿までタクシーを拾おうとするけど、なかなか捕まらない。
「東京も、もう完全に人が戻ってきたな…」
そんなことを思いながら、約束の店へと急いだ。
今日は、過去に勤務していた大手広告代理店の同期たちとの新年会だ。僕は3年前に辞めて独立し、今は自分でWebメインの広告代理店を経営している。
「龍平、湘南の生活はどう？」
「最高だよ！マジでオススメ」
「いいな〜。俺も湘南に引っ越そうかな。でも出社が面倒だしな…」
2年前まで僕は、妻と一緒に代々木八幡に住んでいた。会社を辞めた後も、引っ越しはしばらくしないでおこうと考えていたけれど…。
そんなことを言ってはいられない事態が発生したのだ。
コロナの世の中になり、必然的にリモートワークが増えた。それと同時に、妻の理恵との喧嘩が一気に増えたのである。
「龍平…。本当にうるさいんだけど」
「そんなこと言われてもさ、仕方ないじゃん」
「もう少し、声のボリューム落とせないの？」
理恵はフリーのWebデザイナーをしていて、元から在宅ワークだった。普段1人だった仕事の時間に僕が入り込んできて、ずっと一緒にいるのがうっとうしいのは痛いほど理解できる。
でも、こればかりはどうしようもない。
代々木八幡の家は、家賃28万の60平米。ただリノベ物件だったためリビングをぶち抜いてあり、部屋の造り的には1LDKだった。
お互い家の中に逃げ場もなく、イライラばかりが募っていく。
「あのさ、理恵。お昼なんだけど…」
「それくらい自分でやってよ！」
「そうだよね、ごめん」
理恵とは交際期間4年を経ての結婚だった。そして結婚生活は2年目に突入していたけれど、温厚な僕たちはほぼ喧嘩をしてこなかったのだ。
けれども狭すぎる家のせいで、かつてないほど喧嘩が続く日々。お互いどうにかしないといけないことはわかっているけれど、どうしようもない。
「これじゃあ、ダメだ…」
そう思い、僕は思い切って引っ越しを決意した。ただ妻からは、予想外の言葉が返ってきたのである。
「理恵。東京23区じゃなきゃダメ？湘南のほうに引っ越さない？」
「えっ、湘南！？」
目黒で育ち、結婚するまで実家にいた理恵。そんな彼女からすると、東京23区外で暮らす選択肢などなかったらしい。
「…じゃあ龍平、1人で住めば？」
「えっ。それは別居婚ってこと？」
最初に妻からそう提案されたとき、正直言うと僕は反対だった。夫婦である以上一緒に住むべきだし、理恵だけ東京に残るとなると、湘南へ行く意味が変わってくると思ったから。
そもそも湘南へ引っ越そうと思ったのも、2人で住んでも十分な広さの部屋に、都内よりもだいぶ安く住めるからだ。
「理恵が一緒に来ないなら、引っ越す意味なくない？」
「違うよ。ベースは湘南で、仕事があるときだけ東京の家に行くってこと。お互い自由に行き来して、寝たい場所で寝ればいいでしょ？」
「そうだけど…」
― 別居婚なんて、結婚している意味がなくないか？
ただその後何度も話し合いを重ねた結果、僕たちは“週末婚”をすることになった。
東京23区に縛られない、新たな夫婦の生活のカタチ
しかし、いざそのライフスタイルを実行してみると…。これが僕たちには、とても合っていたと気がつく。
まず理恵の事務所という名目で、祐天寺に家賃20万の部屋を借りた。そして僕はメインの住み家として、湘南に家を借りたのだ。
引っ越して最初の頃、平日はほぼ東京にいた理恵。僕は毎朝起きると湘南の海沿いを走り、ゆっくりコーヒーを淹れてから仕事を始める。
キッチンもだいぶ広くなったので、ランチは自分で適当に作ることも多くなった。
そして湘南に来てから、呼吸をするのが随分ラクになったことに気がつく。
東京にいるときは、どこかでずっと気を張っていた。
毎晩飲み歩いて24時過ぎに帰るなんてザラだったし、誰か友達から呼び出されれば23時過ぎからでも合流する。それが当たり前だと思っていた。
けれどもこっちへ引っ越してきてから、生活はとてもヘルシーなものになったのだ。
お酒は飲むけれど、最近では23時を過ぎたら眠くなってくる。そのぶん朝早く起きられるため、仕事もはかどる。何より、毎日満たされていた。
「東京ってさ、なんでこんなに誘惑が多いんだろう。だから楽しくて好きなんだけど」
週末になると湘南へ帰ってくる理恵。以前は週の半分は東京にいたけれど、気づけば週4日は湘南で過ごすようになっていた。
「そうだよね…」
妻のグラスにビールをつぎながら、僕も同じことを考えていた。
「でもその甘い誘惑に溺れてるときは気づかないんだよね。二日酔いの頭を抱えながら仕事をする無意味さとか、本質的な豊かさに。いつの間にか、時間だけが奪われていくんだよね…」
まぶしいほどに輝いていて、少し歩けば誘惑だらけの東京。隣の人との距離も近いから嫉妬もするし、他人と比較して落ち込むこともある。
でもそこから少し距離を取ると、また違う世界が見えてくる。
東京は大好きだ。あんなに刺激的で、エリアによって様々な文化がある街は、世界でもトップクラスに魅力的で最高な場所だと思う。
でも僕たち夫婦は、その真ん中に居続けることを選ばなかった。
東京という甘い毒牙にかかってしまうと「忙しい」という言葉に甘えて本質的な何かを見失うことがあるから。
「龍平の選択は正しかったね。いつもありがとう」
「こちらこそ、いつもありがとう」
夫婦には、それぞれのカタチがある。
はたから見たら幸せそうでも、幸せじゃないときもある。一方で、僕たちのように週末婚をしていてもすごく満たされているときもある。
赤の他人が家族になる。それはシンプルだけど、とても難しいこと。
でも愛すべき人と夫婦になると誓った以上、人生において何かプラスになると信じられる結婚生活を、自分たちが最適だと思う場所でこれからも送りたいと思った。
Fin.
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