アゾフスターリ製鉄所から脱出してきたアンナと長男のスビャトスラフ、兄のコラ。5月3日 ザポリージャ(写真:筆者撮影)

ロシア軍によるウクライナへの侵攻から半年が過ぎた。

激戦地は北部から東部、そして南部へと目まぐるしく移り、終戦の兆しは見えない。

ロシア軍の捕虜となったウクライナ兵は数千人。彼らは家族と連絡を取ることも許されず、虐待や拷問を受ける者もいる。

そんな中、ある負傷兵の妻が夫を奪還すべく世界に向けて声をあげた。

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反対を押し切り、アゾフ連隊に入隊した夫は…

世界3大映画祭のひとつ、ベネチア国際映画祭。第79回の今年、あるウクライナ人がゲストとして招待された。アンナ・ザイツェバ、25歳。ウクライナ南東部の港街、マリウポリのフランス語教師だ。

アンナと家族は開戦翌日の2月25日、街の中心にあるアゾフスターリ製鉄所に避難した。製鉄所の金属工だった夫、キリル(22)の提案だった。


尾崎孝史氏によるウクライナのレポート、6回目です

アンナは生後4カ月の長男、スビャトスラフを抱えながら、製鉄所の地下シェルターに身をひそめた。そして、ロシア軍による連日連夜の砲撃に耐え、4月末に脱出する。

夫のキリルは避難直後、マリウポリで活動するウクライナ内務省軍の部隊、アゾフ連隊に入隊する。志望の動機についてキリルはアンナにこう語った。

「仲間が国のために死んでいるのに、避難所でただ座っていることはできない」

アンナは当初、「それなら離婚する」と言って強く反対したものの、最終的に夫の判断を尊重した。


アンナの夫でアゾフ連隊志願兵のキリル。5月16日 マリウポリ。親ロシア派のドネツク人民共和国内務省が公開した動画より

住民の脱出が完了したのちも製鉄所に立てこもり、徹底抗戦を続けたアゾフ連隊。5月中旬、マリウポリが陥落する中、やむなくロシア軍に投降した。その数、2439人。

ロシア側のメディアが報じた投降兵の映像のなかに、松葉杖をついて歩くキリルの姿があった。

ウクライナ全土を取材した映画が映し出すもの

9月7日、ベネチア国際映画祭8日目。キリルの妻、アンナが登壇したのは、ウクライナ危機を記録映像で綴ったドキュメンタリー映画「FREEDOM ON FIRE(フリーダム・オン・ファイヤー): UKRAINE’S FIGHT FOR FREEDOM」の記者会見場だった。


映画「FREEDOM ON FIRE」の記者会見。右から2人目がアンナ・ザイツェバ、3人目が監督のエフゲニー。9月7日 ベネチア(写真:筆者撮影)

監督のエフゲニー・アフィネフスキーはロシア生まれのイスラエル系アメリカ人。今年2月の開戦直後から総勢40人以上の撮影監督を起用して、ウクライナ全土での取材を始めたという。その後、住民、医師、兵士、宗教者など関係者へのインタビューを重ね、わずか半年で118分の映画にまとめあげた。

エフゲニーは2万2千人以上が犠牲になったというマリウポリでの悲劇の語り部としてアンナを取材し、映画の中に組み込んでいた。モニターが設けられた第2会場もあわせ、会見に参加した記者は100人ほど。アンナは監督に続き、思いの丈を語った。

「私が生きていること、今日ここにいることは本当に奇跡です。この奇跡は、ウクライナの兵士たちのおかげです」

「私はエフゲニー監督にありがとうと言わなければなりません。みなさんはアゾフスターリ(製鉄所)にいたということがどういうことか。戦場の真っ只中にいるということがどういうことか、実感できるはずです」

アンナが製鉄所の地下にいたのは65日間。「いつも死の恐怖を感じ、潜水艦の中に捕らえられている感覚だった」という。大型爆弾が落ちた4月25日には壁が崩れ落ち、アンナは脳しんとうを起こした。

ストレスで母乳が出なくなったアンナに粉ミルクやチョコレートを持ってきてくれたのは兵士たちだった。彼らは、「あなたは若い母親だから大切な存在だ」と言って、守ってくれたという。

午後、メイン会場のSALA GRANDEで「フリーダム・オン・ファイヤー」が初公開された。ロシア軍の無差別攻撃を受け、逃げまどうウクライナの住民たちがスクリーンいっぱいに映し出される。

観客を戦場に誘うのは、ミサイルが着弾した瞬間の強烈な爆音だ。避難する住民の目の前で、インタビュー中の兵士の背後で、それは容赦なく響き渡る。

映画の中盤、アゾフスターリ製鉄所で避難生活をしていたときのアンナが登場した。体重が10キロも減り、やつれた表情だ。アンナはウクライナ政府が提唱した人道回廊を利用して何度も脱出を試みたが、ロシア軍が約束を反故したことで阻まれていた。

志願兵となった夫キリルが負傷したのは、4月の3週目だった。暗い地下室で麻酔もなしに手術を受けるキリルの映像は、うめき声とともに観る者の胃をしめつける。

夫・キリルは行方不明のまま


映画「FREEDOM ON FIRE」上映後のスタンディングオベーション。右から出演者のアンナ・ザイツェバ、ナターリャ記者、監督のエフゲニー。9月7日 ベネチア(写真:筆者撮影)

エンドロールに拍手が重なる。監督のエフゲニーは涙をこらえきれず、出演者のウクライナ人記者、そしてアンナと抱き合う。

初出演した映画を見終わって、アンナが感想を語った。

「この映画を見るのは初めてだったのですが、最後はアゾフスターリにいる自分に戻ったようで涙が出ました。上映後、多くの人が話しかけてきて、私を応援してくれました。どんな言葉だったか覚えていないくらい」

「私は映画の中で、いまだ捕虜になっているウクライナ人について訴えました。夫のことだけでなくすべての軍人、市民、医師についてもです。日本でアゾフ連隊は長い間、テロ組織であるかのように懸念されていたとも聞きましたが、今はそうではなくなったようです。だから、この映画をいろいろな国で広めて、全世界にとっての危機について伝えていきたいです」

7月29日、ドネツク州のロシア軍支配地域にある刑務所が砲撃を受けた。刑務所にはウクライナ軍の捕虜が収容されていて、53人が死亡した。ウクライナ兵の証言で当時、現場にキリルがいて、危うく難を逃れていたことがわかった。その後、キリルは行方不明のままだ。

ウクライナ兵の捕虜について、赤十字国際委員会は近くロシア側と協議する意向を示しているが、実現の可能性は未知数だ。2014年から続くロシアとの紛争で、いまだ解放されていない捕虜もいるという。戦争の行方と密接に関わる捕虜の問題を見過ごすわけにはいかない。

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(尾崎 孝史 : 映像制作者、写真家)