「どうしても子どもがほしかった」40代の漫画家が、養子と里子を家族に迎えたら…
どうしても子どもがほしかった当時40代の漫画家・古泉智浩さん。600万円かけた不妊治療の後、夫婦で選んだのは“里子”と“養子”でした。ESSEonlineで連載中の子育て漫画エッセイ「特別特別養子縁組やってみた」が電子書籍化された古泉さんに、長男や長女と出会ったときのこと、引き取る経緯や特別養子縁組の難しさについてお話を伺いました。
古泉智浩さんインタビュー。養子を迎えて「僕は人を愛したかった」と気づいた
現在53歳の漫画家・古泉智浩さん。古泉さん夫婦と母(おばあちゃん)、小2の長男・うーちゃん、4歳の長女・ぽん子ちゃんという家族5人で暮らしています。うーちゃんとぽん子ちゃんは里子から特別養子縁組しました。
<写真>仕事場でオンラインインタビューに答えてくれた古泉さん
ESSEonlineで連載中の子育て漫画エッセイ「特別特別養子縁組やってみた」が電子書籍化。それを記念して、古泉さんにじっくりインタビューしました。
●子どものいないことがとにかくつらかった
――古泉さんご夫婦が養子・里子を考えたきっかけを教えて下さい。
ずっと夫婦で不妊治療をしていて、5〜6年くらい子どもができなかったんです。40歳のときにだいぶ年下の妻と結婚したのですが、このまま年を取っておじいさんになって、子どものいない人生になったら寂しい…となぜか強く思ったんです。
そんなときにテレビで、オーストラリアの夫婦が養子をほしいと来日されていたドキュメンタリーを見ました。それまでに何人も縁組していて、目が見えない子でも大歓迎と。宗教的な価値観、奉仕のような感覚があるご夫婦なのですが、何人子どもを迎えたとしても子育ての大変さは同じ。その苦労をいとわない気持ちがすごいなと思いました。そこで養子という道を考え始めました。
僕は子どものいないことがとにかくつらくて、不妊治療は妻の意見を100%受け入れてきたので、特別養子縁組に関しては僕が主導で進めました。
――なぜそこまでお子さんがほしかったのでしょうか?
じつは、僕には数回しか会ったことのない子どもがいるんです。10年以上たって、今の自分には成長を身近で見られる子どもがほしいけれどいない。2歳のときに会った子どもがとても懐かしかった。
お兄ちゃん(うーちゃん)がうちにきてから、ああやっぱりこれだったんだと思いました。僕は人を愛したかったんだと。
「愛」という言葉に縛られ過ぎなのかもしれませんが、僕は一人っ子で成長して、人に譲らずに生きてきました。自分本位で迷いもなく大きくなったので、不完全人間だとモヤモヤしていたんです。
家に子どもがくることで、生活が100%子どもになりました。無私の精神というか、自分本位でいたくてもいられないのが、こんな僕でも人を愛することができたんだと救われた気持ちにつながったんです。
●何年も待つことを覚悟していたら、トントン拍子に里子がきた
――養子・里子を迎えるにあたって難しかったことはありますか?
じつは、トントン拍子に進んだんです。
まずは里親研修というものにいきました。月イチの研修を受けて、その研修を待つ時間が大変でした。そして特別養子縁組里親・養育里親というものに登録するんです(地域によってどちらかしか登録できないことも)。
養護施設に何日か通って、小学生と過ごすという体験もしました。ものすごく懐いてくれるので離れがたく、子どもがいる生活というのを想像できました。
里子は18歳まで面倒を見ることが前提で、実親さんの意向によって返さなければいけないこともあります。特別養子縁組だと一時的な養育関係ではなく、法的にも実親子関係となります。特別養子縁組は希望者が多く、東京だと200人待ちというのも聞いていたので、長期戦を覚悟していたんです。
でも実際は、その研修が終わってから「赤ん坊がひとり病院にいるけれどどうですか?」って提案を受けたんです。
――その赤ちゃんがうーちゃんですね。
うーちゃんとは生後5か月のとき、家から遠く離れた病院で初めて会いました。うーちゃんは早産だったため、「NICU」(新生児集中治療室)にいたんです。ひと目見て、大好きになりました。
夫婦で病院に通い、抱っこやミルク、おむつの交換、産湯といったお世話をしました。泊まって寝泊まり訓練も!
うーちゃんは抱っこしないと寝ない子だったので、家に連れて帰ってからも抱っこ抱っこ。なので後頭部が絶壁ではなく、今でもまあるく見事な卵みたいです。密かに自慢なんです。うーちゃんは里子から特別養子縁組しました。
――ぽん子ちゃんとの出会いは?
ぽん子ちゃんとは生後2週間で出会いました。うーちゃんは固ゆで卵みたいでしたが、ぽん子ちゃんはぐずぐずで湯気が出ている半熟卵みたいな生まれたて感。乳児院の職員さんがうっとりした顔で「きれいな赤ちゃん!」って言うんですよ。
うーちゃんは里子から養子になりましたが、ぽん子ちゃんは里子です(※インタビュー後に養子となりました!)。特別養子縁組とは、親の戸籍に子どもを入れることで、法律的に実の子と同じ扱いになります。
一方、里子は親権が実親さんにあります。里親として不適格であると見なされたら一緒に暮らせなくなるかもしれないので、毎日折り目正しく、交通違反などもないように気をつけています。
●性格がまったく違う二人の子どもたち
――お子さん二人の性格は?
うーちゃんはちょっとひねくれものでがんばり屋さん。
縄跳びができなかったときもしつこく練習して何百回も飛べるようになりました。野球やジョギングも僕と一緒にがんばっているし、できないことを努力で克服する素晴らしさがあります。
野球という共通の趣味ができたので、家族でバッティングセンターに行ったり、北信越リーグを見に行ったりしています。
先日は友達を3人家に呼んで、冷蔵庫にあったポテトサラダ食べたり楽しかったようです。生まれた頃は体の弱かったうーちゃんがこんなに元気に…と感無量です。
ぽん子ちゃんは明るくてノリがいい子です。でっかい声でしゃべって歌って、大人がなにかをしていると「ぽん子ちゃんもやる!」「ぽん子ちゃんも行く!」というような。
食いしん坊で、うーちゃんが学童でもらったおやつをぽんこちゃんがランドセルを勝手にあけて食べたり、ゆでてないパスタまで口に入れたり。
じつは筋肉質で腹筋が割れています。バレエを習っているので楽しみですね。
サービス精神にも富んでいて、なにか聞かれると「わからない」と言わずに、バラエティアイドルみたいになにか絶対に返してきます。
――養子・里子ならではの困ったことはありますか?
生活している実感としては実の子と変わらないと思います。里子のぽん子ちゃんは実親さんが返してくれって言ってくる不安はありますね。縁組したら心配なくなるので、手続きを続けたいと思います。
――ESSEonlineの連載で好きなエピソードを教えて下さい。
2019年4月15日の「泣いている妹をあやした! うーちゃんの成長」という回です。
当時保育園の年中組だったうーちゃんがお兄ちゃんらしさを見せて自分で着替えたり、1歳のぽん子ちゃんを歌やギャグで笑わせてくれたり。成長を感じました。
●二人の子どもと家族のこれから
――二人のお子さんには、これからどんな風に育ってほしいですか?
がんばり屋さんのお兄ちゃんは、ちょっとくらい失敗してもいいんだよというのをわかってほしい、いろんなことに誘って可能性を示してやりたいと思っています。映画やお出かけに誘っても断られることも多いのですが笑、たくさん一緒に過ごしたいですね。
ぽん子ちゃんは元気すぎるのでケガに気をつけて、それさえなければ大丈夫だと思っています。ちょっとワガママなのが玉に瑕ですが、積極的で明るい子なので人生イージーモード、将来が楽しみです!
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