アップアップガールズ(プロレス)乃蒼ヒカリ

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アイドルとプロレス、二足のワラジを履くアップアップガールズ(プロレス)。東京女子プロレスのリングに上がりながら、アイドルとしてライブも行う――そんな異色グループの中でもとりわけ異彩を放っているのが乃蒼ヒカリだ。根っからのプロレスファンで、元々アイドルになりたかったわけではなく、プロレスラーになりたかった。しかも憧れてきたのはハードコアデスマッチと呼ばれる流血も辞さない過激なプロレス。試合での傷を恐れるどころか、「傷は想い出」と語る彼女に話を聞いた。(前後編の前編)

【写真】ど派手な電流爆破マッチに臨んだ乃蒼ヒカリ、撮り下ろしカットも【11点】

――乃蒼さんは、アイドルではなくプロレスラーになりたくてアプガ(プ)のオーディションを受けたとお聞きしました。そもそもプロレスを好きになったきっかけから教えていただけますか?



乃蒼 高校1年生くらいの時に『ワールドプロレスリング』を観て面白そうだなって思ったのがきっかけですね。当時、私は北海道に住んでいたんですが、ちょうどテレビで観た一ヶ月後ぐらいに北海道で試合があるというのを知って、一人で観に行きました。映像だとリングの上しか映らないけど、生だと会場の雰囲気が伝わってきて新鮮でした。そからプロレスにハマって、プロレス好きの仲間から「すごいプロレスがある」って紹介されたのがデスマッチだったんです。

――デスマッチではレスラーが流血をしますが、抵抗はありませんでしたか?



乃蒼 プロレスって「本当に痛いの?」って皆さん気になると思うんです。私もファンとしてプロレスを見ていた時はそう思っていたので分かるんです。でもお互い血を流し合って試合をしているところを見たら、「これは痛くないわけがない」って、それこそ痛いほど感じたんです。新日本プロレスさんのような王道、ストロングスタイルの試合の良さもあるんですけど、デスマッチは血を流すことによって、人間の泥臭さみたいなのが感じられたんですよね。

――当時、プロレスはどれくらいの頻度で観に行っていたのですか?



乃蒼 高校時代から東京に遠征に行ったり、めちゃくちゃ観ていましたね。月から金まで飲食店でバイトして、土日は東京に行くみたいな生活でした。まさにプロレスにどっぷりでしたね。

――当時、よく見ていた団体は?



乃蒼 基本的には大日本(大日本プロレス)でしたね。

――「基本的には大日本」っていう言葉、初めて聞きましたよ(笑)。



乃蒼 その頃からもうデスマッチが好きだったんです。デスマッチに憧れて、プロレスを始めようと思いました。

――それも珍しいかもしれません。ヒカリさんは高校生の時に一度、東京女子プロレスに応募したそうですが、その時の結果はどうだったのですか?



乃蒼 「高校を卒業したら、また連絡をしてください」と言われました。私としては学校辞めてでもプロレスをやりたかったのに、「責任は負えない」と。今、考えるとそれはそうだろうなと思うのですが、当時の私は単純に「落ちた!」と思ったんです。「また連絡してください」はただの社交辞令で。

――その後、アプガ(プ)のオーディションを受けようと思ったのは?



乃蒼 高校を卒業して美容の専門学校に通っていたんです。ちょうど就活の時期で、親からは「なにか好きなことをやってみれば。どうせ働かないんでしょう」って言われていた頃で。当時はプロレスのコスチュームが作りたいと思って服の勉強していたんですけど、やっぱりプロレスをやりたいなって思ったんです。

――無事オーディションに合格されますが、アプガ(プ)は当初からプロレスラーとアイドルの両立を掲げていました。ヒカリさんはアイドルにはどれくらい興味があったんですか?



乃蒼 実は(お姉さんグループである)アップアップガールズ(仮)も、最初は知らなかったんです。他のメンバーは私とは逆で、アイドルになりたくてオーディションを受けていたから、最初は全然話が合わなくて苦労しました。アイドルイベントに行くと他の2人で盛り上がるんですよ。逆にプロレスのビッグマッチで、レジェンドのレスラーさんが来ると私はテンションが上がっていました。

――まったく興味が無かったとしたら、アイドルのレッスンは辛くなかったですか?



乃蒼 ダンス経験がなかったので、レッスンは本当にしんどくて手も足も出なかったですね。逆に、プロレスの練習生として会場に行ってチケットのもぎりをやったり、セコンドにつけさせてもらった時は、めちゃくちゃ楽しかったです。ほかのメンバーはライブが決まると「やったー!」みたいな会話をしているのに、私は「どうしよう…」と思っていました。心の中では「生きて帰って来れるかな」って思ったり。

――危険度でいうとライブよりデスマッチの方が高そうな気もしますが(笑)。でもヒカリさんはアイドルとして『HIKARI NOAH Solo Project』でソロデビューもされています。



乃蒼 それは違うんですよ! (事務所の)社長から「やりたいことあるか」って聞かれた時に、冗談半分で「写真集を作りたい」って言ったら、もれなくソロデビューが付いてきて(笑)。企画を聞いた時は、「私が歌うの? 」と思ったぐらいで。今でも歌は苦労しています。一人で歌うってなると、みんなこっち見るじゃないですか。緊張で「うわー」って思うんですよ(笑)。今でもソロで歌うのは慣れないですね。

――では、プロレスの練習の方は辛くなかったですか?



乃蒼 しんどかったですが、一つずつできるようになる嬉しさの方が大きかったですね。でも試合になるとやっぱり勝ち負けが出てくる。だから最初は、試合は好きではなかったです。

――と言いますと?



乃蒼 アイドル志望だった他のメンバーが先に勝って、私より前に行かれると辛かったです。自分が一番プロレスを好きだから、周りを引っ張っていきたかった。でもいつの間にか、メンバーの背中を追っているみたいな状況になっていて。最初は一年で辞めるって私自身も言っていました。全然勝てなくて、心が折れてやめたかった。でも今では5年目で、東京女子プロレスの中でも長い方になりました。

――デビュー当時、プロレスファンからの反応はどうでしたか? 中には「アイドルをやりながらなんてプロレスを舐めるな」という見方をする人もいたと思いますが。



乃蒼 厳しい意見は届いていました。オーディションの時から後楽園ホールでデビューすることが決まっていたので、「アイドルがやりたいから、プロレスはおまけなんじゃないか」みたいにも言われましたし。正直、準備不足なところもあったし、「やっぱりアイドルだから、プロレスもこれぐらいか」みたいな言い方をされた時は、めちゃくちゃ悔しかったです。

――東京女子プロレス内、他の選手からはいかがでしたか?



乃蒼 皆さん最初から優しくしていただいたんですが、逆に気を使って優しくされすぎることがあって、それはもどかしかったですね。最初はロープワークをするだけで背中にあざができたりしたんです。すると「しんどかったらやめていいよ」と言っていただいたり。私たちはアイドル活動もやっているので、怪我させちゃ駄目みたいな雰囲気がありました。もちろん気を使って言ってくださっているのは分かるのですが、別物な感じがして。「私たちってまだ東京女子じゃないんだ」って思うことがありましたね。

――反対にアイドルのイベントに出た時は、どんな反応でしたか?



乃蒼 「プロレス姿の子たちが踊っている」と驚かれて、SNSでも「あの子たちなんだろう?」みたいな感想が多かったですね。

――多くのグループが出演するイベントはプロレスでいうと団体対抗戦。プロレス好きの乃蒼さんとしては他のグループに対して闘争心を燃やしたりは?



乃蒼 それはなかったですね(笑)。ただ、DDTプロレスリングが、「TOKYO IDOL FESTIVAL」とコラボして、路上プロレスをやったことがあったんです。DDTには「アイアンマンヘビーメタル級王座」というベルトがあるのですが(※24時間どこでも防衛戦が可能で、王座から3カウントを取れば王位が移動。これまでタレントや一般人、動物や飲食物も王座になっている)、それを別のアイドルさんが獲ったのを見ると、イラっとしていましたね(笑)。

――「アイアンマンヘビーメタル級王座」にジェラシーを燃やしている選手を初めて見ました(笑)。ちなみに、アプガ(プ)のメンバーは、ヒカリさんにとってライバルですか? それとも同志のような関係でしょうか。



乃蒼 試合ではライバルです。同期って一番負けたくない存在だと思うんです。だから試合になると結構ピリッとはしますね。でもライブをする時には、仲間だって思います。その切り替えがありますね。

――アプガ(プ)は現在、新メンバーオーディション中です。ヒカリさんに憧れて入団してくる子もいるのではないですか?



乃蒼 憧れていたなんて言われると恥ずかしいです(笑)。学生時代から部活はやってないので先輩後輩みたい上下関係が全然わかんないんですよ。でも仲間が増えるのは純粋に嬉しいですね。アイドルの「誰々が好き」っていう話をされてもあまりピンとこないので、プロレスが好きな子が入ってくるといいなって思っています(笑)。

【後編はこちらから】乃蒼ヒカリ「ステージで踊っている子の背中が傷だらけだったら面白い」