川上麻衣子さんが50代の今大切にすること。「未来のために本音で語りたい」
女優・川上麻衣子さんの暮らしのエッセー。 一般社団法人「ねこと今日」の理事長を務め、愛猫家としても知られる川上さんが、猫のこと、50代の暮らしのこと、食のこと、出生地でもあるスウェーデンのこと(フィーカ:fikaはスウェーデン語でコーヒーブレイクのこと)などを写真と文章でつづります。第15回は、選挙や戦争、保護動物問題など、日本ではなかなか日常会話で深く話されない問題について。川上さんが今感じている正直な思いとは…?
このコラムは2022年7月6日に執筆されたものです。
猛暑、選挙、戦争…この夏、しっかりと向き合いたいこと<川上麻衣子の猫とフィーカ>
今年は梅雨を一気に飛び越して夏がやってきたように、6月からすでに暑い日が続きました。身体がまだ慣れていなかっただけに、体調を崩された方も多いのではないでしょうか?
●久々のゴルフレッスンに真夏日のコースで体がスッキリ
私自身はといえば、気の合う友人たちとの食事の席で誘われたゴルフを、酔いの勢いもあって参加することとしてしまい、元々ヘタッピな上に4年ぶりとあって大慌てで練習。
まだまだ夏は先のことと甘くみていたのですが、レッスンから汗を流し、そして更にゴルフ当日は東京でも36度を超える猛暑日だったために、いきなり真夏の洗礼を受けてしまいました。
それでも、それが功を奏したのか、連日滝のような汗を流したことで、なまっていた身体が目を覚ましてくれたようです。コースをご一緒したのは「ノブ&フッキー」さんや桂雀々さんなど楽しい方々でしたから、スコアはさておき爆笑しながら楽しみ、体調もまずまず。夏本番に向けて準備万端です。
●「戦争」を曖昧に通り過ぎた世代だからこその選挙への思い
そして7月に入ると世の中は選挙一色。候補者の方々をみると、年齢的には私より上の方も数多くいらっしゃいます。連日の暑さの中での活動は、大変であろうと思いますが、政治家を目指す方々は皆生き生きとして、その表情からはお祭りに近い高揚感が伝わってきます。私は選挙運動などの経験がないので、内情の苦労や感動は分かりませんが、いずれにしても体力がなければ務まらない大変な覚悟だと察します。
そして今回の選挙は、世界の情勢を考えるとそれぞれの政策や、考え方を知るのはとても重要です。学生時代、社会科や政治の勉強をもっときちんとしておけば…と反省もありますが、私のような高度成長期に育った世代は、「戦争」についてやや曖昧に通り過ぎた印象はないでしょうか。
●戦争を経験した祖父、そして父
幼い頃、祖父のおなかには大きな傷跡がありました。戦争で鉄砲玉が貫通して助かった証なんだと教えてもらいました。
昭和一桁生まれの父親は、かたくなに「戦争」を語ろうとはせず、一夜にして教科書を塗り変えなければならなかった現実から、「自由」に生きること、己の信じる道を貫くことを大切にするように教えられました。その父も90歳を過ぎ、ここ最近になって「戦争」を語ることが増えてきました。当時と同じ危うさを、今感じているのかもしれません。
話しにくいことをあえて語ることも大切
「戦争」に限らず私たち日本人はどうにも、タブー視されがちな事柄について語ることが不得意な気がします。自分の意見がほかの人と違うことを、よしとしないお国柄のせいなのでしょうか。「なんとなく、そこは察してください…」という空気に敏感な気がします。
●猫を取り巻く環境でも浮かび上がる「矛盾」問題
最近、猫を取り巻く環境を少しでもよくしたいという思いから活動をしていますが、そのような現場でもさまざまな矛盾にぶつかります。「猫が大好きだから」という感情論が先に立ってしまうことで、本来の目的を見失ってしまうことも多々あるように思うのです。
猫が好きな人同士が、好きだからこそ、意見の食い違いや互いの考えを受け入れることができず、いがみ合ってしまう…。そこには常に「かわいそうだから…」という感情から自らのなにかを犠牲にすることで、猫への愛情を測るような不思議なセオリーがある気がします。
実際に地域猫の問題に取り組んでいるボランティアさんから聞いたのですが、猫の保護活動に協力的なのは、じつは猫嫌いの人だというケースが少なくないそうです。確かに猫嫌いの人にとっても、野良猫がいなくなることは大歓迎なのですから、言われてみれば納得できます。
●野良猫問題に対する動物福祉先進国スウェーデンの考え方
北欧スウェーデンの猫シェルターを訪問し、スウェーデンの野良猫の現状などを伺ったときのこと。「殺処分はありますか?」という私の質問に、「日本で言う行政が行う殺処分というものはありませんが、安楽死を言うのであれば、私たちはそれを受け入れています」という返答でした。
この「安楽死」という問題についても、語り合うことが、私たちはとても下手なようです。「かわいそうだから…」という感情論から、見失ってしまう本当に大切なこと。「尊厳」そして「死生観」。「正しい、正しくない」で責め合うのではなく、客観的に冷静さを持って、ときに合理的に物事を考えることが、試されている時代、世代ではないかなぁと最近思っています。
ちなみにもしも私が猫だったら。病気や老いで食べることもままならなくなったのであれば、延命などせず、痛みに耐えられないようなら安楽死をさせて欲しいと思うのですが、皆さんならどう思うでしょうか。
話しにくいことを、あえて語ることで、見えてくる未来。一見不利と思えることも本音で語ることのできる世の中。タブーを恐れず、立ち向かってくれるリーダーに未来を託したいなと思う今日この頃です。