英国ロンドン郊外の町、ウインブルドンで開催中の"ザ・チャンピオンシップ"。世界で最も有名な歴史を持つこのテニストーナメントの女子ダブルス1回戦で、英国人同士のペアと、日米ペアの対戦があった。

 そのうちのひとりは柴原瑛菜。そして、対戦したペアのうちのひとりは、宮崎百合子。

 ツアーレベルでは初対戦となるふたりがネットを挟み対峙するのは、4年前の全米大学リーグ以来のことである。当時の柴原は、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)の切り札。対して、「リリー・ミヤザキ」の登録名の宮崎は、オクラホマ大学でエースの座を張っていた。


ウインブルドンに英国選手として出場した宮崎百合子

 4年前は両者とも大学生で、今は世界最高峰の舞台に立つプロアスリート。

 それら肩書き以外に、もうひとつ変わっていたものがあった。それは、当時アメリカ国籍だった柴原は、今は日本人として国際大会に出ていること。そして、4年前は日本人留学生としてアメリカにいた宮崎は、英国国旗の下でウインブルドンに出場していたことだ。

 先の全仏オープン混合ダブルスで頂点に立った柴原の名は、すでに広く知られているだろう。ただ、宮崎の名を知る人は相当なテニスファンでも少ないかもしれない。現在のシングルスランキングは204位、ダブルスは228位。大学卒業後にプロ転向し、コロナ禍に足を取られつつも夢の階段を上り続ける、日本生まれで英国育ちの26歳だ。

 父親の仕事の都合で4〜5歳のころにスイスに、続いてロンドンに移った宮崎が、英国籍の下でテニスツアーを転戦するようになったのは、今年3月のことである。今大会のウインブルドンには、単複いずれも"大会主催者推薦"を得ての出場。今や「人生の大半をイギリスで過ごしている」宮崎にとって、英国人としてツアーを転戦するのは、むしろ自然なことだろう。

 ただ、いくつかの岐路で異なる事態が起きていれば、彼女の進む道も異なるものだったかもしれない。

日本国籍を保持したまま...

 最初の転機は、2020年3月----。

 前年にプロとして本格的にツアー転戦を始めた宮崎は、当時ランキングを400位台にあげ、さらなる飛躍を目指し日本開催のITF(国際テニス協会)大会群を転戦する予定だった。

 果たして、そのスタートとなる「慶應チャレンジャー女子国際テニストーナメント」では、決勝で本玉真唯に競り勝ち優勝。その戦績により、複数の日本企業からスポンサー申し出の声もかかった。このまま続く大会群でも結果を残せば、さらなる知名度と支援を獲得できたかもしれない。

 ところがその直後、新型コロナウイルス感染拡大のため、日本国内を含む世界中の国際大会は突如として中止となった。日本に拠点のない宮崎は、英国に戻らざるを得ない。とはいえ、英国でも思うように練習ができるわけでもない。

 ただその時、英国テニス協会(LTA)は宮崎にしばしば連絡をくれたという。日本人として大会に出ていた宮崎には、本来ならLTAの施設を使う権利はない。それでも、あくまで英国人選手のヒッティングパートナーとして、ときおり呼ばれることもあった。

 LTAの施設には、宮崎曰く「インドアハードコートが6面。屋外にもハードが6面、クレーが4面、芝も4面」揃っていると言う。対する日本のナショナルトレーニングセンターには、インドアハードとクレーが各2面ずつ。ウインブルドンという巨大収益箱を持っている英国とは、その規模は比べるべくもない。

 それらLTAからの声がけがありながらも、ある時点まで宮崎は「日本国籍のままでプレーをしようと思っていた」と言った。ただLTAは、宮崎のために多くの便宜をはかってくれたという。

「日本が二重国籍を認められていないことも、LTAは知っていました。そのうえでLTAは、ITF評議会にメールを送り、私が長くイギリスに住んでいて、市民権も住所も、テニスの拠点も英国にあることを説明してくれました。

 さらには、これまで日本代表として国別対抗戦などに出たことがないことも説明したうえで、私が日本国籍を保持したまま、英国人としてツアーに出ることを承認してくれるように頼んでくれたんです」

ウインブルドンの結果は?

 その訴えがITFにも認められ、この3月より、彼女の名の横には英国国旗が表記されるようになった。

 現在、宮崎は英国人女子選手の7番手。今回のウインブルドンには、上位4選手がランキングで本戦入りを果たしたため、宮崎に主催者推薦枠が回ってきた形である。結果は単複ともに初戦敗退ではあったが、シングルスでは世界55位のキャロリン・ガルシア(フランス)相手に最終セットタイブレークにもつれ込む大熱戦を演じた。

 自らの実力でランキングを200位まで上げ、グランドスラム予選やWTAツアーにも参戦可能になった今季。そのタイミングで英国選手となったことで、より大きな舞台を踏むこともできた。

 それら一連の経験を、宮崎は次のように述懐する。

「絶対に自信になりました。今週だけでなく、今年のグラスシーズンはいつもより高いレベルの大会に出て、トップ100の選手にも何度か勝ったし、負けた試合も接戦でした。自信になったし、これからもっと上に行きたいと感じます」

 ユリの花は旧来より日本国内で多く栽培されていたのが、開国と同時に多く海外に輸出され、欧米でも人気を誇ったという。

 宮崎百合子----リリー・ミヤザキの新たなキャリアも、芝の青も瑞々しいウインブルドンの地で、大きく膨らみ色づき始めた。