女優・川上麻衣子さんの暮らしのエッセー。 一般社団法人「ねこと今日」の理事長を務め、愛猫家としても知られる川上さんが、猫のこと、50代の暮らしのこと、食のこと、出生地でもあるスウェーデンのこと(フィーカ:fikaはスウェーデン語でコーヒーブレイクのこと)などを写真と文章でつづります。第14回は、保護猫をとおして考える「命」について。かつてコント番組で長らく共演し、プライベートでも親交の深かった志村けんさん、上島竜兵さんとの思い出も振り返ります。

夏は保護猫が増える季節。命について考えること<川上麻衣子の猫とフィーカ>

猫にとっての恋の季節が終わり、夏が近づく頃には、たくさんの子猫が保護されます。ボランティアさんのお宅はどこも大忙しの季節が到来です。

番組で共演していた頃の志村けんさん、上島竜兵さんと(川上さん提供写真)

2年前、コロナ蔓延防止のためにステイホームで過ごしたこの季節。せっかく自宅にいるのであれば…と初めて保護猫のミルクボランティアに挑戦し3匹の子猫たちの命を預かりました。

350gほどしかない子猫たちの管理は、ハラハラドキドキでしたが、わが家のタックが見事なイクメンを発揮してくれたおかげもあり、大きな事件が起きることもなく、ご縁を繋ぎ3匹を無事に里親さんに引き渡すことができました。

●子猫の小さな体から感じる「生きる」ことの意味

「命」。

子猫の小さな小さな身体から、伝わる「生きよう」とする本能。かつては自分自身も、この世に生命を受け、必死に泣き、生きようとする本能の中にいたはずなのに、いつのまにか忘れてしまうのは、人間ならではの愚かさなのでしょうか。

「なぜ私は生まれてきたの?」という問いは思春期の頃であれば、小説や映画の中にヒントが隠されているようで、作品に触れたときに突き動かされた感情が、生きる実感に結びつき、そんな感覚を楽しんでいたような気がします。まだ予想もつかずにいた未来に、答えが隠されているはずだという希望があったのかもしれません。

あるいは、子を産み、命をつなげていくことで答えは自ずと見えてくるものだろうと、思っていたのかもしれません。

長い時間をともにした志村けんさん、上島竜兵さんへの思い

60歳を前にして、戦争や災害。世の中に起きる理不尽な出来事を前に、無力ではありたくないのにと思う歯痒さの中にいます。改めて「命」を考える今。

先日、上島竜兵さんの訃報が届きました。私にとっては志村さんとの日々をともに過ごした特別の存在であり、多くを語ることはせずとも、志村さんを軸に揺れ動いた時代を分かちあえる貴重な存在でした。

今から25年以上も前、体力も気力も持て余していたような年齢の頃に長い時間をともに過ごした大好きな仲間です。「心」が通じ合える「すてき」な関係。正直なところ、志村さんが亡くなってから今日までの2年間。その「死」は少しも現実味を帯びることなく、涙することすらなく、ある意味潔い最期に、志村さんらしさを感じ「天晴れ」と、勝手に称賛したくなる気持ちもありました。

だれしもが迎える最期。志村さんのもつ独特の美学が、その最期に、あまりにうまく重なるように感じていました。そんな話を、思い出話とともにできる竜ちゃんが、いなくなってしまったことは、とても哀しくて、悔しくて。この同じ2年間。まったく違う哀しみの時間が竜ちゃんには流れていたのかもしれません。

命ある限り心を動かして笑っていきたい

「命」。

今この瞬間にも、世の中には哀しみや寂しさの渦の中で孤独と戦っている人がきっとたくさんいます。一方では戦争や災害により、無残に奪われてしまう「命」もあります。

袋に入れられ捨てられた子猫の中で間引かれていく「命」もあります。

「命」と「心」。

私は今こんなふうに思っています。死んでしまったのあとのことは、生まれる前のことのように、もしかしたら本当に「無」なのかもしれないと。

私たちが帰る場所は、きっと、生きているときに憧れる「無」の世界なのだと。

でも「無」は人として寂しいものです。だから「命」ある限り。今を見つめて、そして猫に習い、老いてやせ細り肉体を使い切っていつの日か消える日まで、たくさんたくさん、「心」を動かして笑っていこうと思うのです。

「すてき」と感じる「心」は、「命」ある私だけの宝物なのだから。