ドタキャンで損をするのは消費者 店と客は互いにリスペクトを - BLOGOS編集部
※この記事は2019年03月20日にBLOGOSで公開されたものです
積極的な情報発信を続けるブロガーを表彰する「BLOGOS AWARD 2018」で銀賞を受賞したグルメジャーナリストの東龍さん。「グルメ」というフィルターを通し、日本人の価値観や社会問題に鋭く切り込み続けています。どんな思いで発信を続けているのか、飲食業界の抱える問題点とは何か。話を聞きました。【田野幸伸・島村優 撮影=弘田充】
グルメの情報が溢れていた学生時代
-BLOGOS AWARD銀賞受賞おめでとうございます。ありがとうございます。素晴らしい賞をいただき光栄です。今日はよろしくお願いいたします。
-東龍さんがグルメジャーナリストとして活動するようになったきっかけを教えてください。
スタートはテレビ出演の機会があったことでした。1999年頃だったと思いますが、当時僕は自分でホームページを作って食べ歩き情報を掲載するということをやっていました。そんな時にテレビ東京『TVチャンピオン』に出場する機会があり、出された料理を食べてお店を当てるといった企画で優勝し、その時期から他の番組からも声をかけていただけることが増えていきました。
特に僕の専門であるビュッフェは他に専門家がいないこともあり、呼んでいただける機会も多くありました。ただ、そうした出演を通して気づいたことですが、テレビは「視聴者に刺さる」話を放送することが多くなります。わかりやすいのは「どれがお得か」というテーマがほとんどで、例えばビュッフェだと、どうやると元が取れるか、値段が高いのはどんな料理か、といった話です。
僕は作り手側と視聴者の両方の気持ちがわかるので、こうした番組が必要とされる理由は理解できますが、次第に自分の言葉で自分の考えていることを発信したいと思うようになりました。その発信方法が具体的には「書く」ということで、ビュッフェの本を出す機会にも恵まれ、そのくらいの時期からジャーナリストとして活動するようになっています。
-「食」というものに興味を持つようになったのはいつ頃だったのでしょうか。
今年で43歳になりますが、高校生や大学生の頃(1995年前後)は食に関する情報があふれていました。『東京ウォーカー』や『ぴあ』といった情報誌も多く流通し、数百円で買える雑誌に、毎号とても回りきれないほどのお店が掲載されていて。
1990年代はグルメの大衆化が加速した時代で、雑誌も売れていました。部数をさらに伸ばすために値段が安い店や若い人向けの店も多く掲載されており、そうした飲食店を回ることが楽しくて、「食」に興味を持つようになりました。
少食の方にこそビュッフェに行ってほしい
-ビュッフェを専門の一つとされていますが、このジャンルに取り組み、読者に伝えていきたいと考えたのはなぜですか。現在僕は日本ブッフェ協会の代表理事を務めていますが、ビュッフェは量をたくさん食べたり、元を取ったりするための食事スタイルだと思われがちだということを感じています。ただ、食事をするにしても、買い物をするにしても、あらゆる経済活動で「元が取れる」ということはそうそう起こらないですよね。
どうしてビュッフェだけそう思われてしまうのかと疑問を持っていて、何かを伝えたいなという思いが強くなり、自分の専門の一つとして取り組むようになりました。
-ビュッフェには様々な料理があるので、どうしても量を食べ過ぎてしまいます…。
よく少食の人は「私は少食だからビュッフェには行けない」と言いますが、実はそれは逆なんじゃないかなと思います。例えばオーセンティック(伝統的)なフレンチに行けば、コースで料理が13皿出てくるようなことがありますよね。アラカルトのお店に行っても、前菜から食べて最後にメインのお肉がドン!と出てきて結果的に食べきれないということもあります。
一方で、ビュッフェであれば30種類、40種類とたくさんの料理がひと口ずつ楽しめます。これは見方によっては少食の人ほど楽しめると考えることもできます。食べる値段、コストで考えると「損」なのかもしれませんが、経験で考えれば少食の人がたくさんの種類の料理を食べるのはビュッフェでしかできませんよね。だから価値観の問題だと思います。
店へのリスペクトが欠けると消費者が「損をする」
-日頃はどのように情報収集を行い、取材活動を行っていますか?グルメ業界のトピックについては、付き合いのある飲食店で聞く話を取り上げることもありますし、SNSで上がった声を掘り下げていくこともあります。何か気になることを見つけて、自分なりに何か伝えたいなと思えるものは、なるべく書くようにしています。それでも外で食事する回数も以前よりは減っていて、平日のほとんどは外食というような生活でしたが、今は多くても週に3回くらいになりました。
-東龍さんは、明るい話題がクローズアップされることの多い飲食業界で、様々な問題提起も行っています。最近はどんなテーマや問題に注目していますか。
ノーショー・ドタキャンの問題や、去年大きな進展があった食品ロスの問題には注目しています。どちらもお客さんとお店の関係に関わっていますが、「コスパ」という言葉に表れているような、食べて得した・損したという関係だけではなく、お互いをリスペクトしあうべきだと考えています。そうなればみんなが結果的に「得をする」ということを伝えていきたいです。
例えばビュッフェなどの食べ残しの問題では、お客さんの食べ残しが少なくなれば、お店は無駄な支出が減る。そうなればもっと食材を良くしたり、種類を増やしたりすることにお金を使えます。ビュッフェだと、お店が損してるなと思えば食材を安くするか、提供する料理の種類を減らすしかないんです。
これはノーショーの問題でも同じです。予想外の損害が出てしまう可能性があるということは、店側はそれを見込んだ上で販売価格を決めるようになります。でも、こんなことをして得をするのは誰なんでしょうか。ドタキャンや良くないマナーで損をするようになるのは、結局自分たちなんです。このことが見えていないのはすごく残念だと思いますし、お店側の見えない努力や工夫はしっかりと伝えていきたいですね。
-日頃の行いの積み重ねで消費者自身が「損をする」ということなんですね。
その通りです。そこに気づいてほしいなと思って、ノーショーの問題も何度も取り上げています。難しいと思うのは、マナー改善だけを伝えても読者には刺さらないということです。そのため「皆さんの行動一つで、お互いが気持ち良くなるし、双方が得をするよ」という形で訴えかけていきたいです。
お店も、お客さんと良い信頼関係が築ければ、もっと良いものを提供したり、安定した収入が見込めればもっと面白いチャレンジをしたりできるようになります。お客さんと店の間に入る潤滑油のような役割になりたいですね。
日本には食育が足りない
-ノーショーの問題もそうですが、こうした事例が増えているのはなぜだと考えていますか?これは二つの理由があるのではないかと思います。一つは、SNSなどで誰もが発信できるようになって、これまでにも存在したものの、見えていなかった問題が可視化されたこと。
もう一つは、現在の日本では「食育」が足りないのかな、ということも感じています。ひと昔の日本では、箸の上げ下げから米粒一つまで残さない食べ方まで、親や家族からうるさく言われて育ってきましたよね。
ただ時代が変わり、食べ物に対する見方が変わったことで色々なことが起こってしまう。生産者や作り手の存在、一皿の料理に対する苦労が見えず、お店に行けばすぐに料理が食べられる環境では「余ったら捨てればいいか」という発想になってしまいますよね。
-そういう面で食育が求められているんですね。
やはり昔と比べると「食と接する面積」が小さくなっていると思うんです。例えば、家でご飯を食べる時でも、準備するお母さんを見て「何か作っているな」とか「1時間くらい支度にかかったな」とわかると、その料理との接し方も変わりますよね。
小さい子の食育では、ニンジンを自分で切ってみましょうと教えると、ニンジンを食べるようになります。苦労がわからないと簡単に捨ててしまいますが、食育に力を入れることで、そうしたことが変わっていくのではと思います。
-戦争を経験した世代や、そうした環境で育てられた世代の親は「食事を残すな」と口を酸っぱくして言っていました。
すごく表現が難しい問題ですが、今は良くも悪くも多様化が求められている時代なのかなと思います。昔は「残さず食べなさい!」「嫌いでも、アレルギーでも食べなさい!」ということさえありました。今考えれば、ちょっと行きすぎではないかという問題ですけど。
悪い意味ではありませんが、例えば以前は菜食主義者のような立場の方はあまりいませんでしたよね。でも今は「残してもいいだろう」というように、多様性が悪い方向に行ってしまった例も表れているんじゃないかなと。
料理の価値を一皿だけで決めつけるな
-スマートフォンが登場してからの変化はどのように見ていますか?良くも悪くも「食」が軽くなってきているのではないかと思います。1990年代からグルメが大衆化しているという話をしましたが、そこからさらに軽くなってきている。今はネクタイをしないと入れないようなレストランはほとんどありません。昔はブラックタイのドレスコードがあった一流店でも、気軽に行って出された料理の写真をスマートフォンで撮って、という存在になっています。
多くの人に知られ、気軽に利用できるのは良いことだと思いますが、リスペクトもしてほしいなと。
-「新規開店して3年後には半分が閉店する」といった話もありますが、今まで挙がったような問題もあり、飲食業界で働くことは大変なのではないかと思います。
飲食業界に携わっている人は、大変だけどこの仕事がやりたい、人に喜んでもらうことが嬉しい、という人が多いですね。「美味しかったよ」と、反応が返ってくることが嬉しいんだと。だからこそ、ノーショーやドタキャンの問題を少しでも多くの人に伝えたいです。
-日本は飲食店のレベルが高いと言われますが、その一方で食事の価格が安すぎるという指摘もあります。
日本にある飲食店の数は世界のなかでも群を抜いて多く、日本全国で60~80万店とも言われ、東京だけでも10万店をゆうに超える数の店がありますよね。星付きレストランも多く、食のレベルはとても上がっています。
価格は、やはりお客さんの側のリスペクトの問題なのかなと。日本ではランチがワンコインで食べられますが、それが急に1000円になったら確実に文句が出ますよね。でも、本当はその値段で出す料理かもしれない。これはお客さんが料理の価値を一皿でしか見ていないことの弊害なのではないかと思います。
-「一皿でしか見ていない」とは。
レストランに行ったお客さんはネットに写真をアップして、口コミサイトにレビューを書きますよね。その時「コスパが高い、低い」と簡単に書いてしまいますが、実はそうした評価はプロでも難しい。自分が感じた美味しかった、美味しくなかったかの感想で、コスパについて判断しますが、使っているグラスや食器は見たのか、スタッフは何人いたか、坪数に対して席はいくつあったのか、見るべきことは多くあります。
-料理だけではなく、お店全体のコストを見たほうがいいんですね。
その通りです。そうすれば、この料理で1万8000円って高いな、という考えも変わるかもしれません。
-今の時代、お店側が客からのクレームに気を使うことも多いのではないでしょうか?
お店に来たお客さんがシェフを呼んで、「このポワレ焼き目が甘いよ」といった、料理に対するクレームを言う人はほぼいないんです。でもサービススタッフがすぐに席に来なかった、というような、サービスについてのクレームはすぐに集まるという興味深い現象が起きています。ですので、お店の人も、お客さんへの言い方ひとつにすごく苦労しています。
-東龍さんが考える「良いレストラン」とはどのようなお店でしょうか。
良いレストランは「自分の食の体験を高められる場所」だと思います。良いサービスを受けた、綺麗な料理があった、知らない料理に出会えた…自分が何かに気づく体験があれば、良いお店なのではないかなと。それはファインダイニング(高級店)に限らずどんなお店でも同じで、思わぬお店で人生が変わることもあるかもしれませんよね。
-最後に、これからさらに発信していきたいことを教えてください。
お店の側は直接お客さんに言えない、お客さんもそれに気づいていない、という問題を積極的に発信していきたいです。僕は情報発信という意味ではメディア側の人間ですが、人に使われることも自分で食べることもあり、色々な立場を経験してきています。
そのため、皆さんが言えないようなことを発信し、問題提起していければなと。一度書いて解決までつながればいいですけど、現実はそんなにすぐ変わることはないと思うので、同じ問題でも何度もしつこく訴え続けていきたいですね。お店をリスペクトした行動をして、信頼関係を築いていけば、いつか自分に返ってくるよと。