論評の場は月刊誌からウェブへ ノンフィクション作家門田隆将が見据える情報発信の未来 - BLOGOS編集部
※この記事は2019年03月18日にBLOGOSで公開されたものです
BLOGOS編集部は、積極的な情報発信を続けるブロガーを表彰する「BLOGOS AWARD 2018」で、ノンフィクション作家で元週刊新潮デスクの門田隆将氏を金賞に選出した。門田氏はさまざまな媒体で連載を抱えつつ、自らのブログで国際問題や社会問題への見解を定期的に発表している。誰もが不特定多数に対して自由に情報を発信できるネット社会の今、ブログの価値やジャーナリズムの今後、日本社会を取り巻く課題について語ってもらった。【田野幸伸 撮影=弘田充】ブログに対する読者の反応はうれしい
ブログというのは、以前、毎日書かねばいけないものだと思っていました。スタートして最初の1か月間は毎日書いていたけど、そんなにしなくていいと言われて。それでだんだんとペースを緩めて、今はひと月に1本か2本になった。1本も書かなくなってゼロになったら、「門田は死んだ」って言われるかもしれないので頑張ってます(笑)。昨年は、古巣の新潮社が『新潮45』が出した杉田水脈衆院議員の原稿をめぐる対応であんな失態をしでかしたり、韓国絡みでいろんなトラブルが出てきたり、連続してブログに意見を出さないといけないような事態がありました。しかし、BLOGOSは読者からの反応が早いからうれしいです。たとえ、それが批判であっても。批判が参考になる場合も多いし、また「こんなバカな批判をする人がいる」とか、本当に興味深いのです。月刊誌に書いた場合は、そもそも刊行まで10日ぐらいかかるし、その間に情勢は変わってしまうので、月刊誌の面々は速報性のあるBLOGOSとかを苦々しく見ていますよ(笑)。
月刊誌などの論評型ジャーナリズムは死滅の恐れも……
ジャーナリズムは、分類すると主に「報道型ジャーナリズム」「論評型ジャーナリズム」「告発型ジャーナリズム」の三つになります。週刊新潮とか文春は告発型、論評型といったら文芸春秋とかいろんな月刊誌があるわけで、新聞やテレビは報道型になる。もちろんお互いがそれぞれの要素も持っていますが、基本はこれです。しかし、たとえば週刊新潮はあらゆることを網羅しているけど、紙媒体なので記事に対して多くのコメントが来るなどというBLOGOSのようなことは起こりえない。私の書いたことに対して、すぐにポンポンとコメントされていくのはすごいことだと思いますよ。実は、BLOGOSのコメントを読んでいると、時間を取られて仕事にならない(笑)。読者の反応が面白いから、つい読んでしまう。執筆している当人がこれだから、このままだと論評型ジャーナリズムは死滅してしまうかもしれません。提言的なことをしたい人間がこれまで以上に大量参戦してきたら、月刊誌は生きていけないかもしれないですよね。
週刊誌で養った人間ドラマを掘る取材力
よく新聞記者の友人に「お前の本はなんで売れるんだ」って言われるけど、その時は「それは、俺が新聞記者じゃなかったからだよ」と答えるんです。新聞記者というのは、取材してきたことに対して「削ぐ作業」をやるんですね。司法にたとえると、司法修習でやる「要件事実」の抽出作業です。判決に盛り込む内容は、争うべき要件事実に絞られます。判決に必要のない「事情」は削いでいく教育を司法修習でやるわけだけど、新聞記者もそれを日常的にやっている。たとえば、どこそこの交差点で事故が起きたとします。どんな車で何時にどこで事故が起き、被害者は小学校何年生だとか、要件事実を取材できていなかったら、新聞記者はデスクに怒られるでしょう。「なんで聞いていないんだ」って。そこでは、子どもが、あるいは車が「なぜその現場に来たか」という「事情」は捨てられます。つまり、要件事実以外、必要がないのです。新聞記者は、この要件事実にあたる真ん中の柱のこと以外を削いでいく作業をずっとやってきたので、柱の部分から捨てられたものがどれだけ重要なものなのかわからなくなってきてしまうのです。
しかし、雑誌は根本的に違います。重要なのは事故に至るまでの事情や理由です。人間にはドラマがあるから、なぜその時間にそこを歩いていて、どうして車はそこに通りかかったのか。そのほうが重要なわけで、テレビや新聞と同じことは、やらないのです。
航空機事故で探したキャンセル名簿 「ゴミの中に宝がある」
新聞との違いについて、よく例に出されるのが週刊新潮の草創期に近い1958年8月に起きたDC-3の伊豆下田沖墜落事故です。33人全員が死亡するという航空機事故ですが、この時、新聞は搭乗者名簿を探しましたが、逆に週刊新潮はキャンセル名簿を探したのです。ふつうは搭乗者名簿の入手に血眼になりますが、翌週発売される週刊新潮は人と同じことをやっても世間の耳目が集まりません。そこでキャンセル名簿を探し出して取材し、「私はこうして死神から逃れた」という記事にして世間をあっと言わせました。こういう伝統は、後輩の私たちに受け継がれていたと思います。定型的な要件事実だけでなく、事情こそ「命」なのです。それを念頭に取材しなければ、人間ドラマは出てきません。極端なことを言えば、要件事実は新聞記者に任せておけばいい。人が注目しない、いや、捨てたゴミの中に「宝がある」ということだと思います。
親友や幼馴染を頼って成功した福島原発吉田所長へのインタビュー
2020年に、拙著『死の淵を見た男~吉田昌郎と福島第一原発~』(角川文庫)が、渡辺謙さんと佐藤浩市さんの主演で『Fukushima50』として映画化されます。あの激しい東電バッシングの中、私が取材に成功しなければ、おそらく今も原発内部でどんな闘いがあったのか、何もわかっていなかっただろうと思います。私が、現場のトップである吉田昌郎さんに会えるまでに1年3か月の時間がかかりました。その間、彼に影響力がある親友、恩師、幼馴染、会社の同僚、先輩…等々、あらゆる人を訪ね、説得し、協力を求めました。吉田さんは結局、私以外、ジャーナリストに話をせずに亡くなりましたが、食道癌の手術で面会謝絶になっている吉田さんに、そういった人々が病室を訪ねていってくれて、私のサイン本や手紙を本人に渡してくれたんです。そして、「頼む。門田さんと会うだけでも会ってやってくれ。俺の顔を立ててくれ」と言ってくれました。そういった方々が何人もいたのです。それで、手術後数か月が経って外出許可が出た時に、吉田さんが西新宿の私の事務所を訪ねてくれたのです。
メディアは吉田さんへのインタビュー実現に必死でしたが、東電広報部のガードが固くて、阻まれていました。しかし、まったく違うアプローチが成功しました。もともと“全盛時代”の週刊新潮は、渦中の人物の独占手記が真骨頂でした。私はそこで18年間もデスクをやっていましたので、そういうノウハウがあります。あのインタビューに成功するまでの1年3か月、「もし、私が成功しなかったら、福島第一原発の真実は誰にも知られないまま歴史に埋もれるんだろうなあ」と考えていました。
取材は魂と魂のぶつかり合い 取材相手の目を見ろ
週刊文春の編集長だった花田紀凱さんと対談した『「週刊文春」と「週刊新潮」 闘うメディアの全内幕』(PHP新書)では、ネットメディアの今後についても話しました。活字媒体で記者としてノウハウを持っている人は、これをネットに持ち込んで欲しいですね。裏取りにしたって、ネットの人は、検索して二つが一致したら間違いないとか言いますが、それはコピペされているから同じなのであって、全然違いますから(笑)。事実の裏取りというのは、謄本や公文書をはじめ、さまざまな資料を確認してやるんだけど、裏取りの基本はまず相手の「目」です。取材している相手の目を見て、嘘を言ってるか、本当のことを言っているかを判断する。それが何といってもまずスタートなんです。取材は魂と魂のぶつかり合いです。警察の取り調べも一緒だけど、魂と魂のぶつかり合いなのです。その取材をきっかけに一生の付き合いになることもあるし、「この野郎」と喧嘩したままになることもある。相手と面と向かった時から“すべて”が取材であり、裏取りなんですよ。私の最新刊は12月に出した『オウム死刑囚 魂の遍歴 ~井上嘉浩すべての罪はわが身にあり~』(PHP研究所)ですが、これもオウム事件から23年間も経って出版されたものです。この間、さまざまな人々を取材し、ぶつかり合い、また親しい関係になって、その末にでき上がったものです。だからこそ作品への思い入れも強いですね。
「吉田さんとなら一緒に死ねる」という現場の声に驚いた
吉田所長に話を戻すと、取材で驚いたことがあります。吉田さんへの取材をきっかけに、私は現場のプラントエンジニアたちに取材ができるようになりました。彼が部下たちに私の取材に応じるよう号令をかけてくれたからです。そこで現場の人々が「吉田さんとなら一緒に死ねると思っていた」と言ったことにびっくりしました。私は18年間、週刊新潮でデスクをやって、数多くの部下を使ったけれども、もちろん、命を落とすかもしれないような命令は出したことがない。しかし、彼らは、放射線量が限界まで上昇する中、命を落とすかもしれないのに原子炉建屋に宇宙服のような重装備で突入し、(圧力が高まった原子炉格納容器から外部へ気体を放出する)ベントの作業などを、吉田昌郎の命令に従って行っている。普段からどういう人間関係を作っているかがポイントになるわけです。ノンフィクションには事実しか出てきませんから、私は彼らの話を聞き、裏取りして書くだけです。自分の感想などを入れると作品が臭くなるから、私はそういうものは一切入れず、三人称表現に徹します。しかし、第一原発がある福島の浜通り生まれのプラントエンジニアたちが故郷を守る、家族を守るために闘った真実の一部は、ある程度伝えられたのではないかと思います。そんな部下たちを吉田さんが「俺は何もしていないんだ。俺はただのおっさんや。部下たちがすごかったんだ」と何度も言っていたことが印象深いですね。
大正生まれがいなくなり、日本は劣化しつつある
今は若者が問題だと言われがちだけど、本当にそうでしょうか。日本の戦後は大正生まれの人が中心になって高度経済成長を作り上げました。日本の歴史上、最も人が死んだのは、昭和19年から20年、つまりサイパン玉砕からの「1年間」です。大正生まれの男たちというのは、この時、大正14年から15年生まれで19歳、大正元年生まれは33歳です。ということは、あの太平洋戦争というのは「大正生まれの戦争」だったわけです。その中でも一番亡くなっているのは、大正8年から12年の5年間に生まれた人たちです。大正生まれの男子は1348万人いるけど、そのうち実に200万人が戦争で亡くなっている。同世代の7人に一人が死んでいる計算です。では、戦争に負けた後、生き残った7人のうち6人は何をやったのかということです。それまでの武器をいろんなものに持ち替えて、彼らは“20世紀の奇跡”と呼ばれた脅威の高度経済成長を成し遂げました。私は昭和33年生まれだから、その大正世代の我慢強さ、辛抱を知っています。それに比べ、自分を含めた昭和30年代以降に生まれた人間は、彼らが築き上げた財産の上に乗っかって、その恩恵を受けながらノホホンと生きてきたように思います。つまり、日本人はどんどん変わっていったのです。大正生まれの人たちが社会をリードしているうちは、そんな日本でも揺るぎませんでしたが、彼らが社会の第一線から去って以降、どんどん崩れてきたような気がします。
昭和一桁から少国民世代、そして団塊の世代、さらには私の世代、それ以降……と、どんどん日本人が劣化している。「なにくそ」という粘り、我慢、辛抱、あるいは勤勉性とか、そういう日本人の特徴がどんどん薄まっているような気がします。昭和の終わりと共に、大正生まれの人々が第一線から去り、以降、バブル崩壊、失われた10年、20年……と、どんどん日本は変貌してきた。金融政策の失敗とか、原因はさまざま言われますが、まったくそういうことはない。私は、その原因とは、大正生まれの人が消えていき、その生きざまが忘れられていったからだ、と思っています。しかし、バブル崩壊以降の右肩下がりの日本で生まれ、育ってきた今の若者に、実は私は期待しているんです。なぜなら、彼らはシビアな経済環境の中で極めて現実的で厳しい目を養ってきたからです。彼らこそ、リアリストの最前線を構築しているからです。
最近の安倍首相はおかしい
私はBLOGOSでもおわかりのように、安倍政権を批判もしますし、政策によっては支持もします。つまり、是々非々です。私はいつも現代を「DR戦争の時代」と呼んで論評しています。Dはドリーマー(夢見る人、観念論の人)、Rはリアリスト(現実主義者)。その闘いの時代です。とっくに左右対立の時代など終わっています。左右どちらの勢力にもドリーマーはいましたが、今はインターネットが発達したおかげで、圧倒的にリアリストが多くなりました。元左翼のドリーマーたちは、リアリストを「ネトウヨだ」なんだと批判していますが、日々、リアリストが多くなっていることを感じます。ちなみに私自身は自分をリアリストだと思っています。その観点から言わせてもらうと、最近の安倍首相っておかしくないですか? 中国との通貨スワップをもとの10倍の3兆円にして復活させたり、すでに世界第4の移民大国になっている日本で、人手不足解消という財界の要求に応じて改正入管法をごり押しで実現させたりしています。一方で、国民の「命」すら守れなくなっている。虐待死のことです。
2014年1月に、東京都葛飾区で虐待死事件がありました。2歳の女の子のあばらが折れ、エアガンで撃たれていた。110番を受けて、葛飾署の警察官は家に行ったんです。けれど、女の子の目に見えるところには傷がなかった。女の子に「大丈夫か」と聞いても、2歳だから会話が成立しない。顔にも傷がないから大丈夫となったけど、4日後に亡くなりました。この家は虐待がある可能性があると警察が全件情報共有で知っていたら、助かったかもしれない。だから、警察との情報共有が必要なのです。涙なくしては読めない文章を残して殺された昨年の目黒区の結愛ちゃん、そして、今年の千葉県野田市の心愛ちゃんも、虐待情報の警察との全件共有が実施されていたら、助かっていた事案です。
警察官は全国に26万人います。私たちの最も身近な公務員は、交番のお巡りさんです。一方、児童相談所は、たとえば一つの県に2か所とか3か所しかないのが実情です。広大なエリアを持っているので、事実上、何もやれていない。しかも、今回の心愛ちゃんの事件では、父親は児相を「訴えるぞ」とまで言っていたような人物です。そんな家庭に対して、子どもの命を守るために、グッと前に出られる組織は警察しかありません。
毎日、交番のお巡りさんが「心愛ちゃんは元気ですか」「心愛ちゃんの顔を見せてください」と警らの途中で家に寄ってくれたら、親は子どもを虐待死させようとしても、できなくなるのです。しかし、日本では、いまだに26万人の組織を使おうとしない。安倍首相の虐待死への危機感が欠如し、児童福祉司を2000人増員すれば大丈夫だと思っているレベルなんです。だから自治体に任せっ放しにしている。これまた完全なドリーマーです。これからもBLOGOSでは思ったことをズバッと言わせてもらいたいと思っています。