芸人・松本ハウスが語る統合失調症からの社会復帰 - BLOGOS編集部
※この記事は2013年11月12日にBLOGOSで公開されたものです
かつて「ボキャブラ天国」などで活躍したお笑いコンビ「松本ハウス」のハウス加賀谷さん。 人気絶頂の中、突然の活動休止を発表したハウス加賀谷さんですが、その理由は「統合失調症」でした。 表舞台から姿を消したハウス加賀谷さんは、その後、10年間、統合失調症と向き合い、入院、リハビリなどを経て、再び芸能界に復帰。今回、統合失調症から復帰する10年間を、相方松本キックさんの視点を交えながら綴った著書「統合失調症がやってきた」を発表しました。
日本人のほとんどの人が多かれ少なかれ、心の苦しみや悩みを抱える現代。この「統合失調症」も、日本人のおよそ100人に1人がかかる病気で、決して珍しいものではありません。
そこで今回は、松本ハウスのお二人に、統合失調症にかかって芸人として社会復帰するまでの闘病生活を伺いながら、国立精神・神経医療研究センターで社会復帰研究部の部長を務める、伊藤順一郎先生をお迎えして、最新の精神医療や、就労支援、周囲の支え方について専門的なご意見をいただきました。(10月4日収録)
◆番組アーカイブ
大谷広太(BLOGOS編集長)
須田慎一郎(ジャーナリスト)
ハウス加賀谷・松本キック(松本ハウス)
伊藤順一郎(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所社会復帰研究部部長、NPO法人地域精神保健福祉機構・COMHBO共同代表理事)
中2から発症した統合失調症
大谷:ハウス加賀谷さんに統合失調症の症状が最初に現れたのはいつ頃だったのでしょうか?
加賀谷:明確に覚えているんですけれども、中学2年生の1学期の終わりの頃でした。
初夏で暑かったんですけど、先生が僕のすぐ後ろに座ってた女の子に「おい!◯◯、どうしてそんなにふてくされた態度をとってるんだ?」と言ったんですよ。「どうしたんだろう?」と思って振り向いたら、彼女が下敷きを団扇代わりに扇いでたんですね。それを見て、“この人、前の席に座ってる僕が臭いから、こうやってニオイをごまかしてるんだ”というのがピッと入ってきまして。
松本:「そういう風に認識しちゃった」わけだよね?
加賀谷:そうなんです。その授業の間中、後ろの方から、誰か特定できるほどの声で「加賀谷くさいなあ」というのが聞こえてきたんですよ。今までとは変わったところは何もないのに、いきなり聞こえてきて、もう何がなんだかわからなくって。振り返って、その声のするほうの友達を見るんですけど、普通にノートをとっている。でも、明らかにその友達の声が聞こえるんですよ。 最初は授業中だけだったんですけど、いつしかその声が、体育館とか工作室とか、電車の中とか、ある程度、密閉された空間になるとひっきりなしに聞こえてくるようになりました。それで、「僕が臭いせいで、みんなに迷惑をかけているんだ」とドンドン暗くなってしまいまして。
松本:自分の中に閉じこもっていっちゃったんだね。
加賀谷:そうなんです。
須田:実際にしゃべっている声と、幻聴の区別がつかないものなんですか?違いはないんですか?
加賀谷:違いはないですね。僕が一番前の席にいるということがあるかもしれませんけれど、区別はつかなかったです。僕にとってはそれがずっと現実だったので、ドンドンドンドン落ち込んでいきました。しかも、思春期だったので、そういうことを両親にも相談しづらいんですよ。それで、母親に「"臭い"って言われるんだけど」と告白してみても「どうすればいいの?」と。まあ、わからないんですよね。
松本:お母さんもやっぱり「臭くないわよ」ってなる。
加賀谷:そう言うんですけど「いや、臭いから」って。このやり取りをその後、色々な大人とすることになるんですけど、僕にとっては現実なので。
大谷:伊藤先生、周りの人に相談することにはハードルがあると思いますが。
伊藤:ハードルは高いと思うんですよね。加賀谷さんにとっては現実だったわけだから、自分がおかしくなっちゃったというよりも、きっと周りが自分に対して、いじわるしているんじゃないかってことがあったわけですよね。
加賀谷:声のトーンとして、みんなが困っているという感じで。「僕の存在がいけないだ」という風に思ったんですよね。
伊藤:医学的に言うと、脳の中でドーパミンという物質の伝達がかなり過剰になっている時に、そういう声が聞こえてくると言われるんです。ドーパミンという物質は、緊張したりとか、疲れてるけど、がんばらなきゃって時に出たりします。自分が疲れていると感じていない場合もあるから、本人からすると、ある日突然感じることがあると、みなさんおっしゃいます。
グループホームを勧められる
大谷:そこから、解決に向かおうとされるまで、どのぐらいの期間があったんですか?
加賀谷:まず、中学時代は「申し訳ない」という気持ちで、ずっと縮こまっていたんですね。
進学するにあたって、三者面談があったんです。ずっと思っていたことを言おうと思ったんですよ。先生から「加賀谷、中学を出たらどうするんだ?」って聞かれた時、「僕は高校には進学せずに、ホームレスになりたいと思います。」って正直に言ったんです。そうしたら、「どうしたんだ!?」「大丈夫か!?」となったんですけども、僕の気持ちとしましては、僕がこの社会にいたら、みんなに迷惑をかけ続けると。ドロップアウトと言うと、失礼な言い方かもしれないんですけど、別の社会に行きたかったという気持ちがあって。だから、精神科に行くという考えはなかったです。
松本:当時は情報も少なかったんですよね。
加賀谷:それで、みんなが僕のことを臭いというのは、ワキガだからじゃないかと思って、じゃあ、脇の皮膚を切り取っちゃえば、全部治るんじゃないかと思ったんです。そういう解決の仕方があるんじゃないかと。
それで、近所の病院に行って皮膚科の先生に、「すいません、僕臭いんで、脇の皮膚を切り取ってください。」と言いましたら「いや、臭くなんか無いよ」と。だから「いや、臭いです」「いや、臭くないよ」と、また同じやり取りになっちゃって。
そうしたら先生から、神経科を勧められて行ったんですけれど、そこでも臭い、臭くないっていう同じやり取りの繰り返しなんですよ。僕としては、真剣に向き合って話をしてなかったところもあると思うんですけれど、また皮膚科に戻りまして、先生に5回も6回も「皮膚を切り取ってください、切り取ってください。」と言いましたら、先生が根負けしまして。「加賀谷君がそこまで言うならやりますよ」と。
松本:ある意味ストーカーだよな(笑)
加賀谷:ストーカーですよ(笑)先生の診察時間を狙って行きましたからね。そうしたら、「手術します」ってことで、手術室に入って、マーカーみたいので脇に印をして、そこを切り取ってもらったんです。それが痛いんですけど、これで悩みは全部解消だということで、僕はもうルンルンなんですよ。
その後、抜糸を終えまして、やむを得なく進んだ高校に行ったんですけど、僕は治ったと思っているので、とにかく楽しくて仕方ない。でも、授業が始まった途端に「加賀谷君、臭い」という声が聞こえて、気分がドーンと沈みこんでしまいまして。それから帰り道もよくわからないような感じで、家に帰りました。また、その出来事と並行して、母親が探してきた「思春期精神科」というところで診察していただいていて、お薬を飲むようになりました。
松本:でも、本人は「こういう症状だよ」ということを聞かされてないので、よくわからず出された薬をとりあえず飲んでいた。
加賀谷:でも相変わらず、声は聞こえていたんです。ある時、学校の廊下を歩いていたら、前の方から、声が波打って、バウンドして、ウワァーっと声が来たんです。僕は怖くて、その場にピタッとへたり込んでしまうということがありました。そんな時期に、社会になかなか適応できない方が、社会復帰を目指してみんなで共同生活をするグループホームに入ったほうがいいよと言われていたんです。
でも、そういった施設に対して、僕の中にも偏見があってお断りしていたんです。だけど、こんなに具合が悪いんだったら、グループホームにお世話になったほうがいいかなと思いまして、父と母に相談すると、「加賀谷家は、今、家庭として機能していないので、潤くん(ハウス加賀谷氏の下の名前)は入ったほうがいい。」と言われまして。ちょうど海外赴任とかがあって、家族がバラバラの時期だったんですね。
かつては精神分裂症と呼ばれていた
須田:思春期精神科に行った時は、統合失調症と言われたんですか?
加賀谷:言われてないです。
伊藤:2002年に統合失調症という病名に変わったんですけど、その前は、精神分裂病という名前でした。日本の精神科医の悪いところなんですけど、精神分裂病というのは、とても深刻な病気という神話が当時あって、その病名を患者さんに伝えちゃうと、とってもガッカリするから、伝えないほうが幸せなんじゃないか…というような考えもあったんで、そういう考えのお医者さんが多かったかもしれないんですよ。場合によっては、ご家族には「実はお子さんが分裂病かもしれない」と伝えているかもしれない。あともう1つの可能性としては、まだお若かったわけでしょ?
加賀谷:10代後半でした。
伊藤:統合失調症という確定診断って、3年とか5年とか同じような状態が続いていると、さすがにこれは統合失調症(※当時は分裂病)と言ったんだけど。それまでは、自己臭症とか、思春期妄想症とか違うことを考えていたのかもしれないですね。でも、多くの人が当時自分の病名を知らなかった。それ故に、自分が本当に精神科の病だということに気づかず、どう対処したらいいのかわからなかったと言うのは、確かにあったかもしれない。
須田:ただ、病名を言うかどうかは別にしても、投薬をすることは難しいんですか?
伊藤:色々な言われ方があるわけです。例えば、僕も昔は「神経疲れているかもしれないから、薬飲んだほうがいいと思うんですよね。」とか「寝れない人が多いから、ちゃんと眠れるようになることが神経のためにもいいから」と言って、オススメすることはありました。
加賀谷:そういう感じだったですね。
須田:じゃあ、適切な投薬ができていなかったということですか?
伊藤:わかりません。というのも、お薬を飲んで、少しは楽になったり、声が小さくなったということだったら適切だったと思います。
加賀谷:ただそのグループホームに入ったことによって、僕は幻聴が止みました。人生で初めてゆっくりできたといいますか。
伊藤:それはすごいですね。
統合失調症の"オープン"と"クローズ"
加賀谷:グループホームには、30歳ぐらいまでの方がいらして、みなさん段々焦ってくるんですよね。居心地はいいんですけど、出所したあとどうしようって。僕には何ができるんだろうって。僕は当時17歳だったんですけど、同じようにどうしようと思いまして。
僕、中学生の時から、ビートたけしさんの深夜ラジオのヘビーリスナーでして、カセットテープに録音して1人で聞いていたりしていたんです。そういうこともあって、ここまで、父さんや母さんの思い描いていた人生と違うようになったら、自分の好きなようにやってみてもいいんじゃないかと。それに当時からお笑い芸人に憧れがあって、漫才をやってみたいなと思ってたので、お笑い芸人になろうと。ちょうどダウンタウンさんが東京でブレイクし始めた頃で、お二人が大阪で出演されていた心斎橋2丁目劇場という場所がすごく有名だったんですね。
だから、僕もそこに行ってみようと思って、グループホームの近所にあるハンバーガーショップでアルバイトを始めたんです。怒られ続けて1ヶ月ぐらいしたら、そこそこのお金をいただけて、大阪の劇場を巡る旅費に充てられたんです。色々な劇場をまわったんですけど、最後にその心斎橋2丁目劇場に行って、「よし、やるぞ!」と決めました。その時、たまたま手にとったオーディション雑誌に漫才のことが書いてありまして、履歴書を書いたら合格をいただきました。そして、そこで出会ったのがキックさんなんですよ。
松本:日は違ったんですけど、同じ時期のオーディションを受けていて、同期として事務所に入ったんですよ。最初、加賀谷を見た印象というのは、「なんなんだ、コイツ!」と思いましたね(笑)明らかに挙動不審なんですよ。例えば、「コーヒー買ってきて」というと、絶対ミルクティーしか買ってこないんですよね(笑)
加賀谷:いやあれはですね、ベンダーがちょっとおかしいんですよ。
松本:いや、お前だよ(笑)
加賀谷:いやいやいや、コーヒーのボタンを押してるんですけど、ミルクティーが出てくるんですよ!
松本:(笑)本当にそわそわしていて落ち着きがなかったですね。あと、最初は病気だってことも言っていなかったので、アクの強い奴が入ってきたなという感じで。
加賀谷:"オープン"と"クローズ"という言葉があるんですけど、オープンというのは、自分が病気ということをカミングアウトしているんですけど、クローズというのは内緒にしていることなんです。当時、17歳の僕はクローズでいたんです。
なぜかというと、そういうことがバレてしまうと、お笑い芸人をやらせてもらえないんじゃないかと思ってしまっていたんです。ところが、ある日先輩芸人さんが、"かわいがり"で僕の荷物を漁りまして。そうしたら、色々なお薬の箱が出てきまして、「どういうこと?」ってなりまして。だから、幻聴が聞こえたり、幻覚が見えたりして、グループホームというところに入っていたと正直に話しました。
大谷:キックさんもその時に?
松本:そうですね。その時に初めて知りました。
須田:その時はどんなふうに思われました?
松本:別にそこで「わっ、大変だ!」という風にはならなかったですね。「あぁ、そうなのか」と。だから、今も昔もスタンスは全然変わっていないんです。それが加賀谷の個性ということで。ただ、全くわからなかったので「グループホームってどういうとこなの?」とか聞いて。答えられる範囲で答えてくれたんだと思うんですけど、その話がおもしろかったんです。別に茶化しているわけじゃなくて、「おもしろいよ、その話。舞台でも話していいんじゃないのかよ」って言って。
加賀谷:オープンにしてから肩の荷が降りました。グループホームの話なんかは、フリートークの時に言うことが多かったんですけど、お客さんが楽しんで笑ってくれるんですよね。
松本:ちょっと話して、笑いに昇華すると、お客さんも受け入れてくれるんですよね。
加賀谷:そうなんです。心の重しが降りたような感じでしたね。
周囲の受け止め方も大切
須田:松本さんが5歳年上なんですよね?そうすると「守ってやらなきゃ」とか「俺が面倒見てやらなきゃ」という気持ちがあったんですかね?
松本:そんなにはなかったですね。
加賀谷:キックさんみたいに、ニュートラルでずっとフラットな人って、なかなかいないんですよ。この人、どうしてずっと変わらないのかな、なんでかなと思ってたんですけど、最近わかりまして。この人、天然なんですよ。
松本:お前が言うな(笑)
加賀谷:天然なんですよ(笑)ず~っとこのまんまなんですよ(笑)
松本:俺も傷つくんやぞ(笑)
大谷:精神疾患と聞いたら、多くの人はキックさんみたいな対応は取れないようにも思いますが。
伊藤:打ち明けられた時は、構えちゃうという人が多いかもしれないですよね。でも、実際には、精神病の人を見たことがないという人のほうが圧倒的に多いと思うんですよ。言葉だけ聞いて、精神病=怖い人・危ない人という思い込みを持っている人は、ちょっと引いちゃうのかもしれない。だから、キックさんみたいに、自然に入っていけるっていうのは、すごいですよね。
須田:「個性」ってなかなか言えないですよね。
大谷:「がんばれ」って言葉でさえも、言っていいんだろうか、と思うんですよね。かけた言葉で、かえって良くない影響を与えてしまうんじゃないかとか。
伊藤:キックさんを見ていると、すごく普通に接してますよね。
松本:気を使うことはないですね。
大谷:自分が統合失調症だということを打ち明けるのには、良い効果があるんですか?
伊藤:オープンにしていて、それが周りを受け入れてくれたら、それってすごい楽だなって思いますよね。病気を持っているということも含めての自分ということを、周りも「そうだよね」と思えたら、それはとてもいい感じになりません?
松本:環境っていうのもありますよね。
大谷:オープンにしたことで人間関係が改善されたというケースもあるんじゃないかなと思いますが。
伊藤:それも含めて「自分だよね」と言って、周りも「そうだよね」と思ってもらえて。でも、それなりの苦労を持っているから、「その苦労は一緒に考えていこうか」という関係性が周りの人たちとの間にあるのは、すごくいいことだなと思いますね。
加賀谷:やっぱり芸人として、キックさんと漫才をして、お客さんに笑っていただいたということで、「ここにいていいんだ」と、自分の居場所が初めて出来たことを強く感じました。また、そういう話をしても、受け入れてもらえるというのは、自分の気持ちの上ではものすごく大きかったですね。
須田:そういう意味では、お笑いという場所はドンピシャだったんでしょうね。お笑い以外では、なかなか統合失調症をオープンにして、仕事の糧にするというのは、なかなかないんじゃないですかね。
松本:ただ加賀谷も、昔、主治医の方に「加賀谷君は一番合っていない仕事を選んだかもしれないね。」って言われているんですよ。
加賀谷:99年に入院した時は、そう言われました。
大谷:「電波少年」「ボキャブラ天国」への出演で、「松本ハウス」の名前が全国区になっていって、非常に多忙になった結果、99年に活動休止をされていますよね。病状が悪化するとか、お薬の問題もあったということですが。
加賀谷:そうなんです。先生から「典型的な例だね。」と言われたことがあるんですけれども、「服薬コンプライアンス」という言葉があるんですよ。用量・用法というのを、僕は全然守っていませんでした。基本的な考えとして、出来ればお薬は飲みたくないというのは強くありまして、少しずつ減らしていったりして。
松本:調子がいいなと思うと、薬を減らして飲まなかったりした時期があったんですよね。
大谷:「良くなったかな」と思ったら、なるべく薬には頼りたくないなと思うのが人情ですよね。
松本:でも、その間に症状が悪化していることに本人は気づかない。そういう時に、ドーンときて。
伊藤:主治医の先生は「薬はちゃんと飲んだほうがいいよ」とは言っていなかった?
加賀谷:それに対しては、ほぼ嘘をついていた感じでしたね。「飲んでるの?」って聞かれたら、「飲んでます。」って。
松本:勝手に自分の判断でやってたんですよ。
伊藤:残念なことに薬の副作用って結構あるんですよね。90年代の頃のお薬って、手が震えちゃうとか、舌がもつれちゃうとか、それこそ、芸人さんとして仕事をしている時に困るような副作用もあったんじゃないかな。普通に仕事をしていても、手が震えて箸が持てないという方もいらっしゃって、「なるべく飲みたくないな」という気持ちになる方、結構いらっしゃるんですよね。
スナイパーの幻覚に恐怖する日々
大谷:そして、芸能活動休止を決断されたというのは?
加賀谷:妄想が膨らんで、幻覚に苦しめられたんです。当時、4階の角部屋に住んでいたんですけど、キックさんが覗きにくるんですよ。その部屋は、上が窓ガラスで、下がすりガラスだったので、すりガラスの下にさっと隠れて、カーテンをサッとしめて・・・って感じでした。
松本:向かいのマンションのフェンスから、僕が加賀谷の部屋を覗いているらしいんですよ。でも、実際は、僕はそこには行ってないんですよ。具合が悪い姿を見せまいとしていたんですよ。だから、最初は僕も全然気が付かなかったですね。
加賀谷:自分の中では仕事がとにかく大事なんですよ。お笑いがとにかく大事。舞台は最高、人生は最悪みたいな言葉ってありますけど、それでもいいじゃないかと思って、お笑いの仕事にしがみついていたんですよ。そうしたら、妄想がもっともっと膨らんで、スナイパーが現れたんです。今度はキックさんの代わりに、向かいのビルのフェンスから、ゴルゴ13と渡哲也さんを足して2で割ったようなスナイパーが狙っているんですよ。
須田:あんまりイメージ出来ない(笑)
松本:コントだろ、それ!
加賀谷:コントじゃないです!サングラスはRayBanです。 一同:(笑)
加賀谷:でも本当に銃口向けられたら恐いんですよ。
松本:わかんないよ、そんなの(笑)。
加賀谷:もうそういうことがずっと続くので、僕は部屋の明かりを消して、一番奥の部屋にこもって、歯をガチガチ鳴らしながら隠れていました。
松本:そんな状態でも、仕事を続けて、カメラが回ったら「か・が・や・でーす!」って全力でギャグをやっているんで、全然気がつかなかったです。周りの人間も誰一人気づいていなかったと思いますね。
大谷:決断された時は、どういう形で?
加賀谷:時間の概念がなくなっていまして、自分でもこれはマズイと思ったんです。そこで、お母さんに「ちょっと調子が悪いんだ」って電話をしました。そうしたら母さんが、今、手を差し伸ばさなかったらどうなっていたかわからないという感じで、2ヶ月ぐらい一緒に住んでくれたんです。それで、うちにきた初日に「入院したほうがいいわよ」って言うんですけど、僕にとっては、お笑い芸人・ハウス加賀谷ではない、ただの加賀谷潤は腑抜けでしかないとわかっているんですよ。お笑い芸人であるからこそ、今僕は生きていける。そのお笑い芸人を手放して入院するというのは、考えられなかったです。
松本:でもやっぱり、今も当時もそうですけど、テレビに出ている人間が精神疾患となると、仕事がなくなってしまうという思いはあったと思うので。
加賀谷:僕なんて、仕事に行くときは、衣装と靴をカバンに入れていけばいいだけなんですけど、ある時、忘れ物をしたような気がしたんです。それで、部屋を振り返って、忘れ物ないかなと確認して、よし行こうと思った時、ふと時計を見ると、1時間半経ってるんですよ。それをお母さんに指摘されて、びっくりして。
須田:私生活ではこういう状況に置かれていて、仕事だけはきちんと出来るというケースは、結構あるんですか?
伊藤:短期間の集中力は維持できるので、頑張る時にはとっても頑張る。だけど、家に帰ると、ガタガタに崩れてしまうという方はいらっしゃいます。ただ、加賀谷さんの場合は、自分はお笑いをやりたいという意欲とのマッチングがものすごくよかったので、そこの頑張りは普通の人以上だったと思うんですよね。
あまりおもしろくないなという仕事だと、どこかで集中力が途切れちゃったりするから、外でも恐怖心がすぐに出てきて、なかなか続かない人が実は多いんですけど、加賀谷さんの場合はそこがすごかったなと。天職のような仕事に巡りあえた強みがものすごくあったんだろうなと。
大谷:その一方で、天職を失うこと、リタイアしてしまうことへの恐さがあるんではないでしょうか。
伊藤:そうですよね。頑張れているところから撤退する時はものすごく辛いので、病気のために休むというのは、そう簡単なことではないですよね。
加賀谷:僕の場合は、完全に入院が遅れました。
松本:(今の仕事を)手放したくないと思って、頑張り過ぎた面もあるんじゃないかなと思います。
「早く治せよ」という言葉の重み
大谷:キックさんも、コンビとしての活動はそこで止まってしまうということになったわけですけども、どのように受け止めたんですか?松本:自分の心配は特にしなかったですね。本の冒頭にも書いたんですけれども、「入院することになります。」っていう、事後報告なんですよね。本人が1人で来られないので、話し合いにお母さんと一緒にくるんですよ。その時も、僕の言葉が聞こえているのかどうかがわからない。何か言っても、ボソボソと言うか、全く返事もないという状態。
例えば、相方が病気になった時って「はよ、戻ってこいよ」「はよ、治せよ」って言うじゃないか。友達同士でもそうですよね。でも、そういう状態の加賀谷を見て、“早く”という言葉は使えなかったですね。
とにかく、ちょっとでも良くなってほしいって思って。それで、いつかまた笑って会えればいいから、とにかく治療して欲しいと思いました。だから僕が言ったのは、「もしお前がお笑いやりたかったんだったら、1年かかっても、2年かかっても、5年でも、10年でもいいよと。そうしたらまた2人でやればいいじゃないか」って。そうしたら、本当に10年後に言ってきたんですよ(笑)
須田:でも、本の中で、あそこが一番印象に残っているシーンですよね。
加賀谷&松本:ホントですか!?
加賀谷:でも僕、その時の話を全く覚えてないんですよ(笑) 一同:(笑)
松本:本当にそれぐらい感情がなかったということですよね。
須田:その「10年でもいい」っていうのは、励まそうと思ったんですか?
松本:いや、励ますという気持ちはないですね。とにかくちょっとでもよくなって欲しいっていう気持ちだけでしたね。
須田:でも本当に10年待つとは思わなかったんじゃないですか?
松本:思ってなかったですね(笑)11年目に言ってきたら、どうなっていたかわからなかったですね。俺のリミットは10年やから(笑)
加賀谷:その辺は僕、ラッキーボーイなんで(笑)
新薬で体調が劇的に変化
大谷:そして、入院生活に入られたわけですけど、どういう治療を受けられたんですか?加賀谷:入院自体は7ヶ月だったんですけど、退院してからは、主力にしていたお薬の副作用がしんどいといいますか。それでずっと、引きこもりのような状態でしたね。おねしょが2年間ぐらい止まらなかったということもありましたし。人と話していても、薄い膜がサーッと貼ったような。例えば、話をしていても、プールの中にザバーンと沈んでいるような状態で、クリアには聞こえなかったです。
須田:そうすると、人生最悪の状況だったという感じですか?
加賀谷:その時は、症状が一番ひどかったので、最悪だと感じていました。でも、僕は入院してからも、大きくなったり、小さくなったり、消えそうになったことがあっても、“絶対にお笑い芸人に戻ってみせるんだ”という気持ちをずっと持っていたんですね。それで5~6年しんどい時期が続きまして。そのあとに新薬です。あと、地域の保健所って、精神疾患の方をみんな集めて、デイケアみたいなことをしているんです。そこで情報交換をしている中で、今度エビリファイという薬が出ることを知ったので、主治医の先生に新薬について話して「今の僕のお薬と代替することはどうでしょうか?」って言ってみたら「あぁ、いいよ!」という感じで。
それで4ヶ月ぐらいかけて段々移行していったんですけど、最初の段階から違うんです。今までかかっていたようなモヤがふ~っと切れて、色々なものに興味を持ち始めました。父さんがいきなり家族会議を開くぐらいなんですよ。父さんは「今度は潤が躁になったんじゃないか」って言うぐらい、劇的に変わって。あと、お母さんも「潤には人間の心の機微みたいなものが無くなってしまったんだと思ったら、戻ってきたからすごく嬉しい」って言ってくれて。この言葉は、今でもしっかりと覚えています。自分ではそういう自覚が無かったので「そうだったんだ!」という感じでしたね。
須田:また、本を読むと、すごくいい先生に巡りあったって出てきますけど。
加賀谷:そうなんです。実は入院してすぐの頃は、「お薬、お薬」の先生だったんです。正直その時は、しんどいなと思っていたんですけど、そのあと、O先生という方に代わりまして、そこから丸10年以上見てくれたんです。
大谷:先生によって治療方針も違うでしょうし、その時にどういう薬があるかとか、周りの環境とかで、症状の改善がかなり変わってくるということでしょうか?
伊藤:本当は、タイミングとか偶然では困るんですけれども、新しい情報をなるべく早く仕入れて、副作用の少ない薬を扱うとかね。あとそれに加えて、先生と長いお付き合いをするのも大事だなと今聞いていて思いました。医者との関係が安心できるものじゃなかったりすると・・・
加賀谷:恐いですよね。
伊藤:恐いよね。だから、そういう関係性ってとても大事で、その上で新しい情報が入って、なるべく体に合った薬物治療と、チャレンジすることをOKとしてくれる医療者がいてくれると、随分変わるかなって。
須田:でも、自慢するだけあって、引きが強いよね(笑)
加賀谷:そうなんですよ(笑)ラッキーボーイですね(笑)
一同:(笑)
社会復帰を目指しアルバイトの日々
加賀谷:その時、体重が100キロぐらいあったんですけど、ウォーキングを始めて、ダイエットをしたり、社会になじまなきゃいけないと思って、喫茶店でアルバイトもしました。
須田:その間のキックさんとの接触はあったんですか?
松本:まず退院して、加賀谷から連絡があったんです。そのあとは、僕の方から、大体3ヶ月に1度、電話するぐらいですね。
加賀谷:僕の方からは、申し訳なくて電話なんか出来なかったです。
大谷:電話のインターバルみたいなものを決めていたんですか?
松本:それは何かに基づいて決めていたわけじゃなく、芸人に戻りたい意識があるってことはわかっていたので、僕があまり連絡し過ぎると、焦ると思ったんですね。だから、焦らないようにというので。3ヶ月に一度の会話も、本当になんでもない会話ですね。「どうしてるんや?」っていう5分ぐらいの会話ですけど。
加賀谷:元気じゃないのに、嬉しくて「元気ですー!!」って叫んじゃいましたね。
須田:でも、一旦休止して、距離が離れたのに、キックさんもそこまでよく面倒を見る態勢を撮りましたよね。
松本:特になにも考えてなかったですけどね。
須田:いずれは復活できると、その時は思っていましたか?
松本:それは考えなかったですね。“待っている”という姿勢も強くは出さないようにしていましたし。やっぱりいつかまた一緒にやれたらいいなというのは朧気ながらありましたけど、症状が最悪の状態を見ているので、仮に復活して症状が悪化したら、僕は責任が取れない。だから、とにかく症状が少しでもよくなるように。あとは、焦らないようにということは考えていましたね。
大谷:そして2009年、いよいよ芸人としてカムバックされるということですね。本の中でも、非常に感動する場面でした。
加賀谷:僕は新薬でかなり調子が良くなって、アルバイトもしつつ、キックさんと時々合ったりして、「またやりたい」って言わなきゃなあと、思っていたんですけど、なかなか言えない乙女心がありまして。
松本:乙女心ってなんだよ(笑)
加賀谷:ウエイターのアルバイトでは、手がカタカタ震えるんですよ。お客さんに「お待たせいたしました。」って言いながら、カップをソーサーに乗せてお盆から離す時に、カタカタカタカタって震えまして、ソーサーにこぼれたコーヒーが溜まっているんですよ。あと、レジが苦手で。割り勘でお支払いになるお客様がいるんですよ。出来ないので、「当店は一括のお支払いになっております。」って言って。
松本:勝手に決めちゃダメだろ!
須田:3人以上の注文が覚えきれないとか。
加賀谷:そうなんですよ。ウエイターって、注文を取りながら、紙に書いてるじゃないですか。あのカンニングペーパーがあれば、なんでも出来るって思っていたんですけど、そのお店は、メモをとるのが禁止なんですよ。覚えて厨房に言わなきゃいけない。2人まではなんとか対応できますけど、3人組手になると。
松本:組手って、戦うわけじゃない!まあ、お前にとっては戦いでもあるよな。
須田:しかし、そのお店もよく雇い続けましたよね。
加賀谷:潰れましたけどね。 一同:(笑)
松本:お前のせいじゃないのか?
加賀谷:いやいやいや、違います、違います!
松本:理解ある人だったんですね。
加賀谷:そうなんですよ。でも、さすがにリーマン・ショックが来ましたら、使えない店員はシフトに入れないんですよ。外食産業は影響がモロにきたんで。
松本:まさか、リーマン・ショックの波がお前に来てるとは思わなかったよ(笑)
一番の失敗は、昔の自分に戻ろうとしたこと。
大谷:お話を伺っていると、加賀谷さんの折れない心の強さと、意図的に支えようとされているわけではないけれども結果的に支えているというキックさんがうまくマッチして、復活に結びついたのかなと感じているんですけど、先生はいかがですか?
伊藤:さっきおっしゃったような、注文を覚えられないとか、レジの計算が難しいとかって、最近の業界用語では、認知機能の障害って言うんですよね。記憶力や集中力が落ちちゃうことがあるんですけど、リハビリをするとよくなるというのが、今はデータで証明されているんですよ。加賀谷さんの場合は、リハビリを喫茶店で一生懸命やったわけですけど、その根底には“芸人に戻りたい”っていうすごく強いモチベーションがあるから、失敗しても踏ん張れた。それが脳の機能をドンドンよくするのに、役に立っただろうなって思うんですよね。
須田:でも著書を拝見させていただくと、最大のリハビリは、キックさんのトークショーに、加賀谷潤という素人で参加するということですよね。
松本:そうですね。加賀谷がもう1回お笑いをやりたいんだと言ってきた時、すぐに「よし、やろう!」と言わなかったんですよね。それは、また病気が悪化した時、僕には責任が持てないので。じゃあ、何を見たいかというと、本人がどれだけやりたい気持ちがあるのか、どれだけ本気に思っているのか。たまたま僕のトークライブがすぐあったので、「芸人としてではなく、素人として1回参加してみるか?」といったら、「出ます」って。そこでライブに出たら、汗だくになりながら一生懸命やってて、お客さんもバンバン笑ってくれているんで、これだったらいけるかなと思って、復活を決めたんですよね。
加賀谷:僕、汗っかきなんですよね。
松本:おい!体質にダマされてただけやないかい! 一同:(笑)
加賀谷:引きが強いんですよ(笑)
松本:でも、伊藤先生がおっしゃったように、復活したからといって、すべてうまくいくってことはなかったんですよ。やっぱり記憶力は落ちていますし、感情表現も平坦。それに、話をまとめることができないといった症状があって、なかなかネタがうまくいかなかったんです。
そういう時に、加賀谷がやりやすいように、これまでのネタの作り方を全部変えて、台本をなくしたこともありました。でも、どれをやってもなかなか思うように進まず、ためしては失敗してを・・・繰り返したんです。ただ、そうやって失敗から学んだり、経験を積んだことで、ネタがどんどんよくなっているんですよ。加賀谷の飲んでいる薬の量と種類は全く変わっていないのに。
加賀谷:言葉でいうと、クリアになっているんです。
松本:記憶力も復活当初は1冊の台本がね。
加賀谷:2~3ページの台本を、1ヶ月真剣にやって覚えられないんですよ。でもそれが、3日経てば覚えられるようになって、今は簡単な原稿なら2時間ぐらいで覚えられるようになりました。
松本:あと、感情の起伏もでてきましたね。
加賀谷:最初は「感情の起伏がない」と言われて、「なるほど」と思っていても、できないんです。
松本:あと、一番の失敗は、昔のハウス加賀谷に戻ろうとしたことなんですね。
加賀谷:そうなんですよ。休んでいる間に、お笑いだけが支えだったので、昔、バリバリやっていた頃のハウス加賀谷像が、なんでも出来る天才みたいになっていたんです。でも、実際戻ってやってみたら「あれ?」ってことになってしまいまして。
松本:だから、一度引っかかると「昔はできたのに!」ってことで、ガコーンと落ちちゃうんですね。
伊藤:それは本当に起きることだと思うんですよね。それでもめげなかった加賀谷さんもすごいと思いますけど、その時に相方でやっていると「なんでこうなるわけ?」とか、感情的になっちゃって、相手のガッカリに巻き込まれてしまうこともかなり多いと思います。
でも、キックさんの場合は、そういう時に「台本なしでやってみようか」とか「ここを工夫してみようか」みたいに、やりやすいやり方を作っていかれたわけじゃない?それで、加賀谷さんもやる気がまた出てくる。その絶妙な組み合わせが非常に素晴らしいなと思いますね。
須田:キックさんの対応は、正しいものだったんですか?
伊藤:正しいというか、僕からみれば素晴らしいなと思いますね。
須田:素晴らしいというのは、正しい以上ですよね。そういうノウハウは、いつの間に身につけたんですか?
松本:それはちょっと教えられないんですけど(笑)
大谷:コメントでも「キックさん詳しい」とか「勉強してたのか?」って出ていますけど。
松本:僕も昔から色々なことを考えてしまう人間で、頭の中がグチャグチャになったこともあります。でもやっぱり加賀谷と昔やっていた漫才がすごく楽しかったんですよね。加賀谷が真剣に「お笑いをやりたい!キックさんとやりたい」と言ってきたので、だったらと。加賀谷がよく復活した当初「僕、キックさんと心中しますんで!」って言ってたんですよ。「おいおい、俺まで殺さないでくれよ!」と言い返したんですけど(笑)
やっぱり、そこまで「お笑いをやりたい!」と言われると、それを無下には出来ない。だから、本当に失敗を繰り返しつつ、自分らで出来るおもしろい物を作っていけばいいんじゃないかと思って、加賀谷に「今の加賀谷は、今の加賀谷でいいんだよ」と。でも、その言葉って、頭では理解できても、心や体になかなか染み込まないんですよね。だから、時間がかかってしまったんですよ。
大谷:そこで、少しずつ症状が改善されて、ゴールとしては、元通り、社会に戻って、働けるようになるとか、昔と同じような生活を営めるようになるというのが着地点なのかなと思うんですけど。
松本:その、“昔と同じ”っていうのがね・・
伊藤:やっぱり7割~8割ぐらいのところで、集中力とか、疲れやすさが残っちゃったりすることは、どうしてもあるんですよ。でも、この7割~8割の自分でもいいじゃないかって。
加賀谷:そうですけど、そう思えるようになるまで、ちょっと時間がかかりましたね。
伊藤:そうだよね。でも、キックさんが「それでいい」って言ってくれたのは、結構大きかったんじゃないですか?
加賀谷:元々コンビとして、キックさんは年齢が5つ上で、僕は一人っ子なんですよ。
松本:どういう関係があんねん! 一同:(笑)
加賀谷:なんか昔からいい関係なんですよ。キックさんはこういうことをいうと照れるんですけど、いい感じなんです。
障害者雇用は、企業の社会的役割
大谷:加賀谷さんも社会復帰の過程でアルバイトを経験されて、少しずつ戻していったところがあると思うんです。伊藤先生も、社会復帰の練習を勧める活動をされていますけど、今の日本の精神医療の中での問題点や方法を教えていただきたいんですが。
伊藤:加賀谷さんが生きた見本みたいなところがあるんですけど、障害や病気を持っていても、基本はなるべく普通の現場で、人に支えられながら、仕事や家事をする。そういう中で、喜びや苦しみがあったり、色々な苦労はあるけれど、それを支援者が支えるというのが、僕はいい在り方だなと思っています。また、欧米のやり方がすべていいわけじゃないけど、向こうではそういうやり方が多くて、ちゃんと成果が上がっているんですね。
日本の問題点としては、病院の中でまずトレーニングをしましょうとか、施設の中で十分トレーニングしないと難しいですよ…という考え方に凝り固まっていた時期が結構長くて、そこから出て行くのに、とても時間がかかっているかもしれないなと思います。
例えば、雇用についても、今は障害者雇用と言われるようになりましたけど、実際に企業の中で働ける人は、随分いらっしゃるんですよ。なので、働きながらでも、企業の方が苦労について色々相談に乗って行くと、多くの方が就職できるというのが研究ベースではわかってきています。だけど、やっぱりまだ偏見もあるし、支援者の数も地域にはまだまだ少ないので、そうすると「まだムリなんじゃない?」とか「もう少しデイケアに通っていたほうがいいんじゃない?」とか言って、その先のチャレンジがなかなか出来にくい現状があるかな。もっともっと多くの人が参加できるなという気がするんですけど。
須田:そういった意味で言うと、企業が負担すべき社会的コストだと、僕は思うんですよ。景気が良い時は企業も率先してやるんでしょう。ただ、先ほどの加賀谷さんのリーマン・ショックの話ではないですが、景気が悪くなってくると、我が身大事で、そういったコストを払うことに、相当な抵抗感が出てくる。それを今度は逆に、社会として、公的な機関としてどうフォローするかというのが必要ですよね。
伊藤:もちろんそういうことは必ず起きることですよね。だけど、今の時点でも、企業の中にメンタル的な問題で、長期に休んでいる方もいらっしゃる。メンタルな問題というのは、すでに今、企業にとって無関係では無くなっていて、「社員がかなり休んじゃって困るんだよ。」という企業がたくさんあるんですよね。
だから、その困っている方をまずサポートするところから始めてもいいのかもしれない。そういう方が、また元気になって会社に貢献して、お給料も稼いで、税金を払えるといった、良い循環になっていくことが大事。もちろんそれに対して、行政、医療の支援が入ることは必要だと思いますけれども。
加賀谷:当事者の立場としましては、やっぱり責任ある仕事って恐いんですよ。デイケアとかではなくて、社会的に責任ある仕事を受け持っているから「これは一生懸命やらなきゃ、やらなきゃ!」と、すごく小さくなってしまうよりも、責任ある仕事ですけど、失敗しても別に死ぬわけじゃないんで。そこらへんは、少し乱暴な言葉を使うと、ケツをまくって失敗を恐れずやったほうがいいと思います。
大谷:最近のトピックでいうと、障害者雇用促進法の中で、平成30年から精神疾患の方の、企業での雇用拡大の義務付けも、また広がっていく。今のお話を伺っていると、マッチングも難しい上に、企業にも適切な受け皿が用意できないとなると、成功するのかなという気がするんですけど。
須田:先ほど“社会的コスト”という言い方をさせていただきましたけど、やっぱり社会的な役割っていう言葉に置き換えたほうがいいんじゃないのかなと。それが“義務”という重い負担に受け止めていると、それこそブラック企業という問題もある以上、切り捨てに入ってしまう。
あるいは、形の上だけ仕事をさせておいてということになりかねない。その意味するところをもっともっと深堀りしていく。これは病気なんだと。病気っていうのは、治療して社会的にケアしていけば、治る可能性があるという受け止め方が必要だと思いますね。
大谷:海外だと、職場での受け入れはどのぐらい進んでいますか?
伊藤:どこの国にも偏見はあるので、必ずしも海外がすべて素晴らしいというわけではないですけれども、例えばイタリアだと、生活協同組合みたいなものがあって、そこで障害者の方を雇用するのが割りと当たり前になっています。
大体、従業員の30%ぐらいの方が障害者ですが、みんながフルタイムというわけではなくて、週3時間働く人もいれば、週10時間の人もいるという多様な働き方を認めているような国もあります。近くに障害を持った人がいることが、当たり前になっている世界はあるかな。
あと、医療の方も、病気を治すことだけが目的というよりは、その人の生活の質がよくなることまでお手伝いするという姿勢があって、医療のゴールとしても人が働けるようになることのお手伝いをする。そうすると、「医療と福祉」のように分けるのではなくて、一緒にして行くことで、一緒にやれるような医療に変わってくるなと思います。
須田:アメリカのケースでいうと、マイノリティに対して、一定程度の職を与えましょうということが義務付けられています。障害者だけじゃなくて、少数民族や移民に対して、きちんとその辺が配分されている。そのマイノリティの中に、障害者が入っているという形になっている。こういった発想が日本にも必要だと思いますね。
精神疾患だって人生を謳歌できる!
大谷:最後に感想を伺っていきたいのですが、私の感想としては、精神疾患というのは、身近な話題にも関わらず、あまりにも知らないことが多いなと。映画などでも精神疾患をテーマにした作品はあると思いますけど、情報発信や理解を深める活動をされている松本ハウスさんの役割は非常に大事だなと思いました。
伊藤:僕らもNPOをやっていて「心の元気+」という雑誌を出しています。これは当事者やご家族のために作っているものですが、実は雑誌に映っている方も当事者で、中身も当事者や家族の方が結構書いているんです。
そういうことをオープンに出来る時代には、徐々になってきています。精神疾患は病気であるということに加えて、偏見がくっついちゃっているので、それを剥がしていくことはすごく大事だなと思うわけですよね。松本ハウスさん達のインパクトって、病気をネタにしても明るく、オープンに話して、しかも笑いが取れる。これは、「統合失調症はこんなに輝ける病気なんだ」ということを提示できている気がするんですよね。そういう意味で、病気を患った者にとっては希望だなと思うし、後に続いて「僕も芸人になりたい」みたいな人がたくさん出てきたらいいなと思います。
加賀谷:伊藤先生が芸人になるのかと思いました。
伊藤:私ですか(笑)
松本:本当に身近なものなのだということをもっと知ってほしいですよね。例えば、今メディアでの精神疾患の取り上げ方って結構、極端ですよね。例えば、一方は犯罪で、もう一方は映画とかドラマのキレイなお話。でも、本当は変わらない1人の人間なんだということを知ってもらいたいですね。あとは、本当に茶化しているわけではないんで、おもしろいと思うことは普通に笑っていいと思うんですね。
だから、近くにいて「どう接していいか、わからない」という気持ちはすごくわかるんですけど、普通に接することが大事です。すぐに出来なくても、「普通に接すればいいんだ」ということを、どこかに留めておけば、また違ってくると思います。
加賀谷:わたくしはだね。
松本:偉そうだな、お前!
加賀谷:統合失調症に限らず、精神疾患をお持ちの方に、お伝えしたい言葉があります。僕は今、働けるぐらいの状態ですけども、みなさんも決して焦る必要はないと思うんですよ。でも、絶対に諦めちゃダメだと思います。どうしてかというと、自分の人生は謳歌したほうがいいと思うんですよ。なぜならそれが、アナタ自身の人生だから。腐っちゃうことは簡単かもしれないですけど、そうではなくて、もっと自分の人生を楽しく生きるためにはどうしたらいいかなということを想像するだけでも楽しいんじゃないかと思います。
須田:これだけキレイに素敵にまとめていただいたので、私が言う必要もないけれども。この番組が3年目を迎えて、私の相方は大谷さんですけど、キックさんに代わって欲しいなって(笑)
一同:(笑)
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